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■宮ケ瀬ダム建設と私の係わり合い
 宮ケ瀬ダム完成までの長い年月の間には,計り知れないほどの課題解決が必要であったが,最大の難関は水没関係住民の理解を如何にして得るかであった。
 ダム建設により,先祖伝来の土地に営々と築き上げてきた生活と,住み慣れた地域社会を,根底から覆される人達にとって,将来の生活に不安があるのは当然である。

 宮ケ瀬ダムのように,旧村274世帯全戸が水没するという有史以来の大問題に対処するためには,住民の組織的な統一は,より一層必要であるが,このことは生易しいことではない。
 それぞれの思惑が異なり組織は統一化出来ず,年月は経過していくものの話し合いは一向にして進展せず,住民の苛立ちは増幅するばかりであった。
 前述のように,住民組織は分裂し混乱していた最中の51年5月,私は当時の山本務本村長の懇請を受けて,住民組織の統一化と水没補償生活再建にかかわる課題解決の進展を図るために,ダム対策連絡協議会の事務局を引き受け担当した次第である。

 ダム完成までには数多くのプロセスがあるが,水没者,起業者とも諸問題の解決が遅延することは得策ではない。お互いの主張をもって話し合いや協議を繰り返しても,解決するまでには長期間を費やしてしまう。
 要は,地域住民の要望を優先し積極的に取り上げ,起業者並びに関係機関がそれを満たす方向で努力を惜しんではならず,住民側も要望の限界を認識し,話し合うことが最も大切であることを深く感じた次第である。
 宮ケ瀬ダムにおいても,水没住民の願望は経験のないことだけに計り知れないものがあったが,私は生活再建対策を最優先課題に掲げ,先例ダムの視察や研修会を数多く開き,関係者全員に参考資料や情報の提供を重視したため,意思の統一化が図られ水没住民の信頼を得られて,順調に進展したものと回顧している。

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