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■損失補償基準の交渉と妥結

 損失補償の基本となる土地地目の認定と等級格差付けは,難しい課題であった。
 公簿と現況の異なるものは,利用目的によること,公平と均衡化を図るため,認定は組織を通じて行うことなどが合意されるなど,地元の考え方が了承されて,約三ケ月間で比較的スムースに決定した。
 54年12月建設省から補償基準の提示を受けて以来,連日連夜150回におよぶ補償交渉を重ねたが,交渉の都度議事録や確詔書を取り交わし,後戻りしないようにするなど効率的に進めた。
 補償交渉と併行して,補償項目ごとの細部にわたって,税法上の取り扱いを東京国税局と協議し,後日のために文書で確認もし,これらの交渉の経過や結果は全会員に説明会を行い,交渉委員が信頼を得て進展し,56年8月28日に宮ケ瀬ダムの建設を大きく前進させる「損失補償基準]の妥結調印式が行われたのである。

 最大の難関である補償基準の妥結調印が出来たのは,建設省の歴代工事事務所長以下担当者が水役者の感情を理解し,「誠意が人を動かす」という諺の如く,献身的に対応をされたことが解決の潜在的要素となったことは言うまでもないが,既に故人となられた歴代村長三氏をはじめ議会議員や対職員,関係機関の職員の昼夜を分かたぬ調整・努力があったことも忘れてはならない。
 さらに、神奈川県知事が宮ケ瀬住民の集会に赴き,神奈川県民のためダム建設容認を強く訴えたこと,そして神奈川県として感謝・協力金の支給,融資利子補給措置,相談所の設置など生活再建施策が,住民の最終的決断に大きく貢献したことである。


損失補償基準の妥結調印式

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