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《来てくれと頼んだ覚えはない》

 温井ダムは昭和42年4月予備調査に着手した。中国新聞社の記者であった真田恭司著『来てくれと頼んだ覚えはない』(どんぐり舎・平成14年)には、ダム建設推進者3人を中心に、温井ダム建設34年の軌跡を追っている。

 推進者の一人は、この書の表紙にあるベレー帽の和服姿の老人が、こうもり傘でブルドーザーを指している温井ダム対策協議会会長(2代目)佐々木寿人、二人目は、昭和48年から56年加計町長を勤めた源田松三、三人目は、建設省温井ダム工事事務所用地課長中原資智(のちに副所長昇格)である。


 この書から、先ず佐々木寿人会長の補償の考え方について追ってみる。

一、「来てくれと頼んだ覚えはない」。つまり温井の住民の誰一人として「私達が住んでいる温井を水の底に沈めてダムを建設してください」と国や県、広島市に頼んだりお願いした者はおりません。

一、現在、温井の住民の誰一人として生活に困っているわけでは在りません。土地を手放してまで生活を変える必要は、爪の垢ほどもないのです。今の生活を続けられることが十分に幸せなのです。

一、だからダム建設に対して温井の住民全員が反対なのです。

一、ただし、ダムができることにより益を受ける下流域(広島市など)に、私達の親類縁者もたくさん住んでいます。その人達を困らせるようなことはしたくありません。またわれわれの子々孫々のために、どうしても必要なしせつであるというのなら、頑強に「反対」ではなく話し合うだけの度量は持ち合わせています。私達だけで社会や国を構成しているわけではありません。要は共存共栄ということです。

一、ただし、話し合うには条件があります。

条件というのは、

一、ダムの湖畔に温井地区の全員が住めるような新しい土地(団地)を造ってもらいたい。ただ団地を造るのではなく今の集落を再現したい。つまり住宅はもちろんですが学校、神社も今まで通りのものを建設してもらい、その地で今まで通りの近所付き合いをし以前と変わらぬ生活を続けたいということです。

一、私達が望んで土地や家を手放すわけではなく国の政策により立ち退くのですから、現在以上の生活が保証できるような環境整備計画を示してください。

一、その整備計画を見たうえでイエスかノーか答えます。

 佐々木寿人会長は、調査や工事よりも、常に水没者の生活再建対策について重要視した。交渉にあたっては、「立ち退き後の将来ビジョン」を示させ、その条件を水没者の全員が納得したときに、初めて調査や工事を了解した。このことは、問題点、疑問点が生じた場合その都度お互いが納得いくまで話し合って一つ一つ打開点を見つけ出す。この手法を「温井ダム方式」と呼ぶ。会長は「温井ダム方式」の理念を、補償の精神として根底にすえ、事にあたった。このことが「来てくれと頼んだ覚えはない」の表現と連動してくる。

   ◇

 源田町長は、次のように温井ダム建設における基本的考え方を述べている。

「疲幣した加計町を活性化するには、かつて豊かな山と川を蘇らせるしかありません。そのための方法として温井ダム建設を受け入れ、推進し、ダム建設に伴って行う周辺整備事業をダム水没対象地の温井地区だけに限定せず、加計町全体に広げて一体的に開発することにより、町おこしをしよう」

 加計町の人口は4000人に減少していた。町の活性化を図るためダム建設を取り入れる発想である。加計町を愛する源田町長の情熱がダム促進の起爆剤になった。さらに、町長は中国自動車道の新設、国道 186号線の改良、太田川の改修に尽力した。


   ◇

 この二人の考え方に対し、温井ダム工事事務所中原資智用地課長等の生活再建対策、周辺整備事業について、その対応を追ってみる。

 この温井地区は農業と林業を主とした生活であり、当初水没家屋13戸、非水没家屋14戸と分かれ、水没農地は11.8haで、「水源地域対策特別措置法」に基づく対象のダムではなかった。このために企業者は、非水没家屋14戸における補償の取り扱いを含めて、大変苦慮していた。
 熟慮を重ねた結果、水底になる国道 186号線から標高差にして 150m上がった小温井、後温井地区非水没家屋14戸の存する地域を集団移転地に決定し、非水没家屋14戸を補償の対象として取り込むこととした。関係者の了解を得て、山を掘削し、谷を埋めて、宅地一区画平均約 1,000m2、農地1戸あたり平均約 4,000m2の造成を行った。この移転地は温井ダムサイト右岸側から至近距離のところに位置し、ダム湖畔が目の前である。

 いまでは、集団移転地の新温井団地内に、加計町から浜田市方面へ付け替えた国道 186号線が貫いている。新温井団地には集会場、グランド、消防水利兼用プールの公共施設を中心に、それを取り囲むように国道の両側に新家屋が建っている。山側には河内神社、共同墓地が移転され、近くに農地が点在し、農業作業所、ぬくい木工センターも設置された。それぞれの家屋、公共施設、農地がほどよい間隔で配置され、従前の集落が再現されたように、社会的、文化的なコミュニケーションがよく保たれている。移転者のほとんどが新温井団地で生活再建を図り、従前と変わらない生活、いやそれ以上の生活が行われている、といえる。前述の「ダム湖畔の地で、今まで通りの近所付き合いをし、以前と変わらぬ生活を続けたい。現在以上の生活が補償できるような・・・。」という、佐々木会長の生活再建の希望が叶った。
 これらの生活再建対策、周辺整備事業の施行については、広島県、広島市等の行政的、経済的な支援と、さらには地元加計町の協力も大きく貢献した。


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