[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


《計画中止となった矢田ダムをめぐって》



 おわりに、計画中止となった大野町の矢田ダム(大野川水系平井川)について、環境社会学の視点から論じた書がある。それは立正大学文学部講師帯谷博明著『ダム建設をめぐる環境運動と地域再生−対立と協動のダイナミズム』(昭和堂・平成16年)の第7章に「放置された巨大ダム建設計画と地域社会の対応−大分県大野町・矢田ダム建設問題」として著わしている。
(「ダイナミズム」dynamism・・・自然の根源を可能力とし、これを物質・運動・存在などの一切の原理であると主張する立場。『広辞苑』)

 本書の課題を「ダム建設をめぐる地域コンフリクト(紛争)の社会学的分析を通じて、21世紀初頭の今日にいたるまでの日本の河川政策および環境運動の変遷とその特質を明らかにし、政策過程と地域再生に関する課題と展望に示すことにある」と位置づける。
 先ず、現在までのダム計画をめぐる対立構図の変遷過程について、次のように論ずる。

@昭和初期〜1950年代は、補償要求における「生活保全運動と自然保護運動の2つの潮流」をあげ、生活保全運動の展開は小河内ダム(東京都)、花山ダム(宮城県)、佐久間ダム(静岡県)の3つの事例で分析。また、自然保護運動は、尾瀬ケ原ダム計画に反対を唱えた「尾瀬保存期成同盟」を自然保護運動の誕生である、と指摘する。
A1960年代〜80年代半ばは、松原・下筌ダム建設と蜂の巣城闘争をかかげ、「権利防衛と公共性の問い直し」であると論じ、ダム建設計画の公共性の疑問を訴訟によって投げかけたこと、本運動が補償要求を念頭においていなかったと分析する。
B1980年代後半〜は「多様な運動の交差とネットワ−ク形成」として長良川河口堰問題をかかげ、「そこに住まない」運動の担い手が登場したことをあげる。
C1990年後半〜は「オルタ−ナティブの探究・実践と地域再生へ」とし、吉野川可動堰問題をかかげ、これまでの対決型、作為・阻止型の運動にとどまらず、みずからの代替案や対抗案を積極的に提示し、実践するという、オルタ−ナティブ志向の強い運動に展開していった、と指摘する。
(「オルタ−ナティブ」alternative ・・・既存の支配的な ものに対する、もう一つのもの。特に、産業社会に対抗する人間と自然との共 生型の 創造をめざす生活様式・思想・運動などを指す。『広辞苑』)

 以上、4期に分けて、ダム建設計画にかかわる環境運動の変遷特徴を整理している。さらに、計画中止となったダムについて具体的に、新月ダム(宮城県)、細川内ダム(徳島県)、矢田ダム(大分県)の事例をあげて分析する。

 矢田ダムであるが、大分新産業都市計画(第2期)による工業用水の増大を見越して、大野郡の大野町(平成14年現在・人口約5700人)と朝地町(同・人口約3600人)に跨がる大野川水系平井川に建設省によって、昭和44年ダム計画が発表された。昭和44年は下筌ダムが竣工したときでもある。ダムの諸元は堤高56m、総貯水容量5400万m3、重力式コンクリートダムで、補償については、水没家屋 190戸(大野町 137戸、朝地町53戸)、水没水田 160ha(大野町 110ha、朝地町50ha)となっている。下筌ダムと比較するとダムの規模及び水没家屋はほぼ同程度であるが、水没水田は下筌ダム40haの4倍と広く、生活基盤といえる農業生産業が大きく喪失することとなる。矢田ダムは皿型ダムといわれる。

 次のようにダム計画中止までの経過を追っている。
 ダム計画発表当時は生活保全運動による反対→ダムの公共性の疑問→作為阻止運動→運動の分裂→外部団体・友好者からの支援→工業用水需要の見直し→会計検査院からの「長期間にわたって進歩していない事業」の指摘→政府の公共事業の見直し政策→計画中止の発表→反対協は「矢田ダム地域振興協議会」改称。現在生活道路の改修など地域社会資本の整備が進捗している。大野町、朝地町は昭和44年〜平成12年の30数年間ダム問題で揺れてきた。
 このような経過を踏まえ、著者帯谷博明は、水量増量運動による「沈墮の滝」の景観再生、雪舟まつり、伝統芸能の復活など、すでにこれまでの地域活性化を高く評価し、さらに、大野町・朝地町住民、大野川ネットワ−ク(NPO)、行政当局を含めた協働によって活性化、地域再生への運動が、地域振興へ発展することが望まれるとし、結論として、これからの河川政策について、技術的、河川工学を中心とする「科学的専門性」と住民の個別の知識(生活知、実践知)である市民の専門化、即ち「もうひとつの専門性」による協働関係、相互に補完していくことが必要だ、と唱いている。この主張が、平成9年河川法改正「河川環境の整備と保全、住民参加」の意味するところの、21世紀に向けて、河川行政の真のあり方であると思われてならない。

   ◇

 以上、大分県のダムについて概観してきた。下筌ダム、松原ダム、矢田ダムと話題を集めたダムもある。「大分県の宝」である白水ダムや国東仏教文化を醸し出す行入ダムもみられる。これまで社会資本として、72基のダムは大分県の発展に尽くしてきたことはいうまでもない。被補償者をはじめこれらのダム建設事業に携わってきた多くの方々の協力と尽力には常に敬服をせざる得ない。これからのダムは阿蘇溶岩の地質に苦労はあるものの、帯谷博明が「科学的専門性」と「もうひとつの専門性」による地域との協働を図ることを示唆したように、環境に配慮しながら「利用しつつ保全していく」地域と密着したダム造りが益々重要となってくるであろう。

  <紅葉散る 白水ダムの やさしさよ> 
                    (賀来英範)

[前ページ] [目次に戻る]
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]