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《偏見の目を捨てて公平に評価を》


 そういえばこんな話を聞きました。

 日本に仏教が伝来したときには、神社が出雲大社の様な形の建物が多くありましたが、いつの間にかそれとは違った屋根の曲がった、しかも極彩色の仏教社殿が、山を切り開いて出現し、その異様さに庶民は驚いたと思うが、それが100年、200年と何百年経つと、すっかり自然になじんで素晴らしい景観を形成し、幾つかは国宝にまで指定されている。

 はてさて、ダムや水力設備もこういう性質があるのではないだろうか。景観だ景観破壊だと言う話を出してくる人もいるけど、これは主観的なもので簡単には答えは出ないのでは。ある人にとっては目障りなものが別の人にとってはカッコよく見える、景観とはそういう答えを出すのが難しい、ある意味ではあやふやなものではありませんか。性急に景観破壊だと決めつけるべきではないと思うが。

 ダムの働きを考えると、ダムで得る淡水資源は、例えばかつて東京砂漠といわれたことを振り返るとこれはもうかけがえの無いものだし、水力電気はクリーンエネルギーの中でも質・量ともに優等生で、温暖化が叫ばれる今はもっと重要視されるべきだと思う。しかしダムを語るときは得てしてこういう実際の働きではなく、まことに主観的な景観といった話で非難されることも多い。こんな話をしていてはこれからの21世紀、大量生産大量消費が行き詰まりつつあるこの時代に何の解決にもならない。

 必要なのはリスクとリターン、正と負のインパクトを正しく評価することが大事ではないか。たとえばよく土砂に埋まっている・土砂をせき止めると揶揄される佐久間ダムですが、このダムによる水力発電の二酸化炭素(CO2)削減効果は年間発電量が13億〜14億KWHだから石油削減効果28万トン/年、CO2削減効果は89万トン/年という莫大な貢献をしている。こういう評価が語られること無く、ダムは環境破壊だ・土砂をせき止める・100年で埋まる等と言われるのはとても悲しい。

 佐久間ダムは土砂満杯まで何も手を打たない状態で193年という。しかし水力としても貯水池に土砂が溜まって良いはずはない、経過年数の過ぎた水力は原価が低減するので維持費を支出する余裕がある筈だから長期的にその対策をとり続ける必要がある。ずっと貯めておいたものを一気に処理しようとするとコストも環境負荷も大きいだろうが、水力の寿命は長い。じっくり腰を据えて作業をすればいいのだ。堆砂から骨材を取ればこれも有用な資源であることに間違いのだからもっと活用できないものか。

 写真付きで述べましたが、紀伊半島の熊野川では河口の海岸減少が言われている。下流で川砂採取が行われているのも一因と思われるし、ダムにも一因が無いとは言えない。原因は複合的なものだ。そこでは一番下流の二津野ダムで堆砂浚渫が行われているそうだが骨材としても十分な川砂と言う話である。しかし値段か交通アクセスか、下流の川砂は骨材として買い手がついているのにダム堆砂は取り出しても買い手がつかずに埋め立て処分されているとのこと。もったいない話ですね。そういえばこれと同様の話は朝日新聞の記事で槍玉に挙げられた静岡県天竜川でも聞きました。

 日本は水力以外のエネルギー資源を殆ど輸入に頼っている上に、6割もの食料も輸入に頼っている。食料を輸入するということはそれを作るための大量の水を輸入していることに等しい。いつまでもこの平穏な時代が続けばよいが、いつどうなるか分からない。このまま日本円の外貨価値が続けばよいがこれからどうかなるか分からない。しかし食料の確保というのはもっとも重要な安全保障ではないか。そう考えると食料自給率をあげるためには淡水資源の価値というのはこれからもっと重要になってくるのではないか。

 確かに今までのダム事業、公共事業のあり方には間違った点もあったと思う。しかしダムを含めた公共事業の本当の目的は「For People」だ。しかし本来の意味を忘れ利権にからんだ「For Ourselves」になる事があったとしたら、それは改めなければならない。しかし昨今の公共事業=悪という話はいささか短絡的ではないか。もともと日本と言う国は厳しい自然のある国だから安全に住むための防災、安定した生活を送るためのインフラ整備のために公共事業が果たす役割が重要だったのだです。

 昨年の災害の連続を見ても防災の重要性は高まるばかりですが、河川治水関連の予算はかなり削減されているといいます。もちろん最低限の出費で最大の効果が得られる方法を選択することは大事です。そうすると地形によってはダムが一番効果的な方法の地点も出てくる。堤防強化の方がいい地点もある。天井川なら川底を広範囲に掘り下げる必要も出てくる。しかしこのごろの最初からダムを否定する風潮はいかがなものかと思います。

 ダムは悪い、公共事業は悪いと一口に言うのはとても簡単で、正義の味方になったような錯覚さえ覚えるんだろうか? しかし今必要なのは偏見の目を捨てて公平に評価する事が大切なのではないですか?

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