B新浦ダムに関する考察[ダム番号:2500]
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新浦ダムは唐津市大字和多田に所在するアースダムで、ダム便覧においては市街地にほど近い位置の小溜池が仮位置として掲載されています。また、この溜池の少し下流(小学校側)には、やや規模の大きい溜池が存在するようです。 ダム便覧のフォト・アーカイブスにおいては、安河内孝さんとだいさんの撮影による写真が掲載されていますが、お二人が撮影された溜池はそれぞれ異なるもののようです。おそらくは前述の2つの溜池をそれぞれ撮影されたものと思われますので、遅ればせながら筆者も訪問してみることといたしました。 便宜上、下流の溜池を溜池E、上流の溜池を溜池Fと表記いたします。
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溜池E・F位置図(国土地理院ホームページデータを加工) |
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◇溜池E まずは下流(小学校側)の溜池Eで、安河内孝さんが撮影された箇所であると思われます。 唐津市都市計画図では「西谷山下溜」、ゼンリン住宅地図では「両谷山下溜」とされています。佐賀県地域振興計画書等の資料に「唐津市和多田字西谷山」の表記が見られる一方、両谷山なる地名が見当たらないことから、西谷山下溜が正しい名称であると推測しました。(“西” と“両”の文字形状が近似していることから考えると、転記ミスによる誤字である可能性が考えられます。) 少し前の地図(国土地理院地図など)では溜池の両側が山になっていたようですが、現在は左岸側が大きく切り開かれ、唐津赤十字病院の移転建設現場になっています。病院がオープンすれば、病院駐車場と隣接する位置関係になります。 溜池は比較的よく整備されており、左岸側を管理道が通っています。名称を推測できるような表示はありませんが、警告看板には管理者として「和多田区」と書かれています。
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溜池E |
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左岸に幅の広い洪水吐があり、コンクリート製の橋が架けられています。橋に登るステップは封鎖されていますので、堤体には立ち入りませんでした。 堤頂長は地図上で80m程度ですが、目測でも概ねその程度に見えます。
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小学校側から近づくと、堤体の直下まで到達できます。比高は目測で10m程度に見えます。導水路に隣接して横樋の出口が設けられています。周辺はすぐ近くまで住宅街が迫っており、農地はあまりありません。国土地理院が公開している古い空中写真では国道の東西に広大な農地が広がっていますが、開発に伴ってそのほとんどが宅地化したようです。 溜池から流れ出る水路は住宅街で一部暗渠化しており、潮分川に合流した上で松浦川へ流れ込むようです。水路自体が和多田川なのか、あるいはどこかの地点で和多田川に合流しているのかは不明ですが、いずれにしても「川」とイメージされるほどの流れにはなっていません。
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溜池E堤体・横樋 |
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◇溜池F 続いて上流側の溜池Fで、だいさんが撮影された箇所と思われます。溜池E堤体の概ね250m上流に位置します。堤頂長は地図上の計測で30〜40m程度、堤高は見かけ上10m未満に見え、新浦ダムの堤高15mには及ばないように感じます。 こちらの溜池にも名称の表示等はありませんが、溜池Eと同一の警告看板が立てられていることから、同様に「和多田区」の管理であると思われます。
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溜池F |
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洪水吐は溜池Eとは逆の右岸側にあります。堤体中央部に斜樋が設けられています。溜池Eと比較すると、全体に老朽化している印象です。
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溜池F堤体 |
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以上2基の溜池を訪問いたしましたが、いずれも現地には名称がわかるような表示等がなく、たまたま近くにいらっしゃった地元の方にお尋ねしても名称はご存知ないとのことでした。
◇その他の溜池 唐津市は溜池の多い地域で、各所に大小の溜池が点在しています。唐津市和多田地区には、他に御手洗上溜、御手洗下溜という溜池があり、また隣接する養母田地区には下の谷下溜、新溜(“シンタメ”と読むのであれば候補となり得るのではないかと推測)という溜池もあります。 これらの溜池の中にも新浦ダムの候補があるのではないかと考えてそれぞれ訪問してみたのですが、いずれも堤高が低く、「新浦ダム」もしくはこれに類する表示はどこにも見当たりませんでした。
◇資料からの推測 現地訪問のみでは十分な情報を得ることができなかったため、各種資料と照らして考えてみることとします。 まず、国土数値情報には唐津市和多田に所在するダムが2基掲載されていますので、当該データと比較します。
・名称 西谷山 ・所在地 佐賀県唐津市大宇和多田 ・河川 松浦川水系和多田川 ・堤高 21m ・堤頂長 81m ・竣工年 1840年
・名称 新浦 ・所在地 佐賀県唐津市大宇和多田 ・河川 松浦川水系和多田川 ・堤高 15m ・堤頂長 46m ・竣工年 1870年
実際に和多田地区にある溜池の中では、溜池E(西谷山下溜)が最も堤頂長が大きく約80mです。国土数値情報における西谷山ダム(堤頂長81m)に該当するものとしては溜池E(西谷山下溜)以外に適当なものがないことから、まず溜池E(西谷山下溜)は西谷山ダムであると考えられます。なお、西谷山下溜という命名からすれば溜池Fを「西谷山上溜」と呼ぶことが予測できるのですが、西谷山上溜という名称が書かれた資料は発見できませんでした。 次に国土数値情報における接続河川に着眼すると、西谷山ダムと新浦ダムは同じ和多田川に接続することになっています。昭和50年の航空写真を確認してみると、溜池E(西谷山下溜)から流れ出る水路は概ね最短距離で松浦川に至っています。近隣の他の溜池(御手洗上溜・御手洗下溜など)の導水路とは交わっていない様子であることから、他の溜池の接続河川が和多田川である可能性は低いと思われ、やはり新浦ダムに該当する溜池は溜池Fであると推定されます。(ダム便覧に掲載されている位置情報が合致していることになります。)
以上がこのたび考察してみた内容です。拙い調査方法ではここまでしか判明せず、位置確定したとは考え難いと思っています。 資料中で新浦ダムという名称が見つからなかったこと、現地を訪問した印象として堤高が不足しているように感じられること、新浦ダムという名称が不自然である(浦を“ため”と読むことは一般的でなく、たとえば「新溜」の誤転記等も予測しうる)ことなど疑問点も多くあり、まだ調べてみる必要がありそうです。 唐津は歴史の宝庫であり、藩政期の文献等も膨大にあります。いずれ新たな情報が確認できましたら、改めて投稿させていただきます。
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