[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


狭窄部を持つ河川の治水対策についての考察

これは、本田典光様の投稿です。

1.はじめに

 令和2年7月に熊本県の球磨川で水害が発生した。球磨川についての知識はほとんどなかったが、川辺川ダムについては知っていた。
 今回の災害で球磨川についてのマスコミ報道が多くあったので、子供が中学生の時に使っていた地図帳を開いてみた。すると球磨川は山間地域を流れ下った後、人吉盆地を貫流し再度山間狭窄部を流下し、八代平野を経て八代海に注いでいることがわかった。
こういった、狭窄部の上流にある土地(以下「盆地」という。)の治水対策について、信濃川の上流部である千曲川で考えてみた。

2.河川の治水対策

 堤内地を洪水から守る方法(治水対策)には、山林保全や雨水浸透・貯留施設を除けば、
  • 築堤
  • 堤防嵩上げ
  • 河床浚渫・掘削
  • 河道法線の整正
  • ダムの建設
  • 放水路の建設
  • 調節池の建設
  • 遊水池の保全
  • 河道(狭窄部)の拡幅
等がある。
 このほかにも、内水対策(内水河川の改修、排水機場の建設、排水路・下水道の整備)があるが、今回の検討の対象外とした。

3.狭窄部を持つ河川の治水対策

 日本の河川は中流部に平地があり、その下流に狭窄部を有している形状が多い。そういった狭窄部の上流にある盆地の治水対策で検討すべき事項は、
  • 築堤
  • 堤防嵩上げ
  • 河床浚渫・掘削
  • ダムの建設
  • 河道(狭窄部)の拡幅
の5項目だと思う。放水路は狭窄部に設置するには無理があり、トンネル河道は莫大な費用が必要になる。調整池や遊水池は土地利用の面から(設置できる未利用の土地があれば別だが)新たに大規模な施設の設置は不可能であると判断した。

4.千曲川の狭窄部の概要

 信濃川の上流、千曲川の長野市付近は善光寺平(長野盆地)と呼ばれる土地である。その善光寺平の下流にある立ヶ花(たてがはな)地点からの狭窄部を立ヶ花狭窄部と言い、立ヶ花狭窄部は飯山盆地に接している。飯山盆地の下流はまた狭窄部になり戸狩狭窄部を含んで山峡を流れ、狭窄部は県境を越えて新潟県内(十日町盆地)まで続いている。


(信濃川水系河川整備計画より)
 善光寺平は、令和元年の台風19号によって発生した水害で北陸新幹線の車両基地を含めて大規模な浸水があったことは記憶に新しい。

5.千曲川の治水事業

 千曲川の治水事業は古くから行われており、代表的なものは、寛保2年(1742年)の洪水(戌(いぬ)の満水)を契機とした松代藩による千曲川の瀬直しがあり、明治以降では、丸山要左衛門の発案による上今井の新川掘り工事や、ケレップ水制等の工事がある。
 明治29年や同43年、同44年の大洪水を契機として、大正7年に国による第一期改修工事が開始され、千曲川は上田市から上境(飯山市)、犀川は両郡橋(長野市)から本川合流点までの区間で築堤・護岸等を施工し、昭和16年に一応竣工を見た。 その後、昭和20年、同24年の洪水を受け、国は第二期改修工事に着手した。また、昭和28年に松本市をはじめとする犀川上流区間や支川一部区間を国の改修区間に編入した。さらに、昭和33年と同34年洪水を受けたことから河川計画を改定し、改修工事を進めて現在に至っている。
(信濃川水系河川整備計画より)

6.延徳田んぼ

 立ヶ花狭窄部の上流右岸には延徳田んぼが広がっている。現在の堤防ができるまでは、延徳田んぼは、善光寺平の遊水池の役目をはたしていた。

(千曲川河川事務所HP「千曲川・犀川斜め写真」に加筆)
 堤防で締め切られた現在の延徳田んぼは、降雨量が多いと内水湛水が発生し湖のようになり昔の遊水地の面影を残す。連続堤を施工する以前の千曲川の沿川の田畑は、遊水池の機能を持っていて、洪水時に有効に機能していた。こういった遊水機能は、土地開発時に規制して残すべき治水機能だったのではないかと思う。
 霞堤でのことだが、霞堤のオープン部分は民地の場合が多い。その土地を行政が買収してごみ処理場などの公共施設を建設し、洪水時に施設が浸水するから霞堤を閉めて連続堤にするよう河川管理者に申し入れる自治体があった。つまり霞堤の本来の目的を考えず、霞堤を閉めることで下流の洪水リスクを増やしていることを理解していない一例である。

7.千曲川の狭窄部解消の検討

 前述のとおり盆地の治水対策として有効なものは、
  • 築堤
  • 堤防嵩上げ
  • 河床浚渫・掘削
  • ダムの建設
  • 河道(狭窄部)の拡幅
である。項目別の検討内容を以下に示す。

(1)築堤と堤防の嵩上げ
 洪水から堤内地を守る方法として有効な方法であると思う。しかし、狭い盆地では築堤によって守るべき土地がなくなってしまうということも想定される。
 また、築堤によって河川沿いの住民の移転問題が発生するし、嵩上げでは多摩川で築堤できなかった景観問題の発生も懸念される。
 以前、飯山盆地の下流狭窄部に点在する集落を守るために堤防の検討をしたことがあるが、法線を引いたら千曲川の隣接する農地のほとんどが堤防用地に入ってしまい、住宅だけが残るような計画となった。農地がなくなれば多くの住民は、その集落から出ていくことになると考え堤防案を破棄した。

(2)河床浚渫・掘削と河道(狭窄部)の拡幅
 河床を浚渫して河川の流下断面を拡大して流下能力を上げることは、一定の効果が期待できる。しかし、盆地の場合は下流狭窄部まで河床を掘削することが必要になりあまりよい対応とは思われない。また掘削土砂の処分の問題も発生する。
 しかし盆地下流の狭窄部の開削は有効な方法であると思う。狭窄部の流下断面を拡幅することで、盆地に滞留する洪水流を軽減することができるが、狭窄部下流に今まで以上に負荷をかけることにも注意が必要である。
 また、河床掘削には、河道の横断工作物の対応や魚類等の生態系の問題が発生し、横断工作物の施設管理者や自然保護団体等との調整などが必要になる。

(3)ダムの建設
 ダム建設は、洪水軽減にある程度有効に機能する施設であると思う。計画対象洪水に対して100%の軽減はできないが、何割かの軽減は可能と考えられる。
 ダム建設は適当なダムサイトがあることが絶対条件で、水没対象者の了解と大規模な生態系の変革が発生することで、水没対象者の了解と自然保護団体等との調整に時間がかかることが予想される。

8.狭窄部の開削

 千曲川の盆地で、一番有効だと思われたのが狭窄部の開削である。その掘削土量を軽減するために、トンネル河川や「コの字型」の開削も考えたが、費用対効果(B/C)の点から一蹴された。
 しかし、狭窄部の開削には膨大な予算が必要であることはもちろんであるが、昨今の公共事業で頭を悩ませているのが残土の問題である。大河津分水路工事(明治42年から大正13年)の頃には、付近の湖沼の埋め立てや田圃を深田から浅田にするために多くの土砂が必要で分水路の工事現場から発生する大量の残土の利用が可能だったが、今日では大規模の埋め立てや工業団地の造成等の土砂の需要がないため、工事着手前に大量の残土の処理方法の検討が必要になってきている。

9.まとめ

 治水対策は、多くの事業の中からその河川にあった事業を組み合わせて計画流量を残全に流すために最良の組み合わせを検討する必要がある。当然、地域の状況と予算に見合った治水効果(B/C)も見ながら計画を検討することも必要になる。
 ダムの洪水調節によって計画流量が低減されれば、ダム下流の堤防の嵩上げ、河床掘削、狭窄部の掘削土量などが軽減される。また、計画を完成させるまでの期間も検討しなければならない。こういった各河川で可能である事業を組み合わせて最良案を決定するのがその河川の治水計画であると思う。
 ある知事が、ダムなしの治水計画を10年以上かけても立案できないが、こういう形で続けていきたいと言っている。また費用が多額で実行不可能とも言った。それは、県が目指すダムなしの治水計画の立案は不可能であると言っていると同じである。つまり言い訳でしかないと思う。また、ダムなしの治水計画は、県民の意向であるとも言っているが県民に計画が進まない責任を押し付けるのではなく、県は早く最良と考える治水計画を決定し、その計画を県民に説明して納得してもらうのが知事であり、県の治水担当者の役目だと思う。

 どの河川の治水計画にも言えることであるが、治水工事には多額の予算と長い時間がかかる。短期間で目標を達成すること、すべての計画を完成させることは不可能である。しかし洪水は待ってくれない。そのため、その河川の治水計画を速やかに策定し、事業の優先順位を決定して計画的に工事に着手することで、一日でも早く地域の安全を確保することが重要なことであると思う。

(2020年8月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]