500戸近い移転戸数 |
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関連事業を含め移転戸数は500戸近くにのぼる。補償関係の話し合いは長期に及び、地権者団体との間で補償基準が合意できず、昭和49年からは異例の個別交渉方式による補償交渉が行われた。その後、土地収用も。補償に長期を要した代表事例では。ダム建設と地域の関係を考える上での貴重な教訓を残したとの指摘も。
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ダムのデザイン決定に地域の意見 |
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ダムのデザイン決定に全国で初めて地域意見を取り入れている。景観検討委員会が提示した6案について地元住民と専門家にアンケート調査を実施。ダムの上端に連続的なアーチ橋を模したデザイン。
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通廊・エレベータシャフトをプレキャスト化 |
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通廊の約9割とエレベータシャフトにプレキャスト部材を導入。通廊について、通常工法に比べ工期が5分の1程度短縮し、安全性の向上などの効果。
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日本で初めて油圧式クレストゲート |
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景観に配慮し、ダム天端からの突起をできる限り抑制。ゲート類も堤体内に納めるため、日本で初めて油圧式クレストゲートを採用
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カスケード方式の減勢施設 |
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小洪水時にダム湖の水位を計画した水位に保つことを目的として計画水位維持放流設備が設けられているが、その放流水は、下流右岸の「カスケード」から減勢池に放流される構造になっており、放流時には珍しい光景が見られる。「カスケード」とは小さな滝という意味で、滝の景観を創出。
[写真](撮影:ひろ@)
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優雅な斜長橋 |
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白屋橋は優雅な斜長橋。国道169号と対岸の道路を結ぶ。1991年完成。PC斜長橋のダムにおける初期採用事例。
[写真](撮影:さんちゃん)
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学べる建設ステーション |
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ダムの本体工事現場を校外学習の場に提供する現場がまるごと教室をコンセプトに「学べる建設ステーション」を建設し、広く一般公開。平成8年4月20日にオープン。13年10月26日、オープンしてから1,440日目で来場者20万人を達成。
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後南朝の歴史が |
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川上村は、後醍醐天皇から発する後南朝最後の自天親王とその弟の忠義王の歴史が残るところ。忠義王は川上村神之谷に御所をおいていた。長禄元年12月2日、大雪のなか、二人は赤松家臣団に殺害された。南朝を擁護する川上郷民は追走、反撃して、首級と神璽を取り返したという。両皇子の御首は川上村神之谷にある金剛寺に手厚く埋葬された。自天親王が即位した2月5日には、今も毎年、金剛寺で朝拝式が厳粛に行われる。
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生まれ変わった川上村 |
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地元の川上村は後南朝の史跡を残し、また日本三大人工美林で有名な吉野杉の主産地。観光を柱とした村づくりを目指す。ダム建設による移転に伴って平成2年に新しい村の官庁街が誕生。ダムを望む地に村営ホテルが建った。役場職員自らが皿洗いなどしてホテルを運営するという素人集団による営業。平成7年度には温泉宿泊施設として「五色湯」もオープン。木工センター、トントン工作館など木工の里かわかみとしての拠点施設も。
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丹生川上神社上社と宮の平遺跡 |
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丹生川上神社上社が水没する。丹生川上神社は、平安中期以後二十二社の一つに数えられる由緒ある神社。しかし、戦国時代の乱世の世に衰退し、所在が不明に。明治から大正時代に、現社地が丹生川上神社上社とされた。水没するため、平成10年に現社地より南西側の高台に遷座。その敷地から遺跡が発見され、3年間に渡って発掘調査。縄紋時代早期から晩期にわたる大規模な縄紋遺跡。
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試験湛水中に亀裂が発生 |
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平成15年4月、試験湛水中のダム周辺の白屋地区で地面に亀裂が発生しているのが見つかり、試験湛水を中断。結局地区住民は移転し、本格的対策工事を実施。ダムの完成は大きく遅れることに。
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ダム湖は「おおたき龍神湖」 |
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ダム湖名を公募、ダム湖名選定委員会で、応募した205点の中から吉田志帆さんの「おおたき龍神湖」に決まった。地域を特定しやすい「大滝」の文字と、地域の人びとの永く変わらぬ源流吉野川への畏敬の念から「龍神」の文字が用いられた作品が選ばれた。2013年3月23日の竣工式に先だって、ダム右岸で記念碑の除幕式があった。
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