全項目表
 
ダム番号:2243
 
柳瀬ダム [愛媛県](やなせ)



ダム写真

(撮影:さんちゃん)
034749 灰エース
077983 さんちゃん
077990 さんちゃん
078010 さんちゃん
  →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
銅山川分水を実現
___ 四国中央市がある宇摩地方は古くから水不足に悩まされ、江戸時代に銅山川分水の計画が作られるなど、銅山川からの分水が悲願だった。それを実現したのが柳瀬ダム。法皇山脈をくり抜き隧道で銅山川の水を宇摩地方に供給。
ローラーゲートの支柱にスリット
___
天端には5本のローラーゲートの支柱があり、それにはスリットが入っていて、くぐることができるようだ。昭和28年に完成したダムで、コンクリート節減のためではないかともいうが、どうだろうか。
[写真](撮影:さんちゃん)
ダム湖の堆積土を田畑の土づくりに利用
___ 伊予三島市はダム湖の堆積土を田畑の土づくりに役立てる客土活用事業を進めている。湖底3〜5メートルに積もっている土砂を渇水期の冬季、田畑に投入、土作りに活用。「リデュース・リユース・リサイクル推進協議会」から平成14年度の表彰(国土交通大臣表彰)を受けた。
ダム湖は「金砂湖」
___
昭和28年命名。金砂は、旧村名で、現町名。明治の末期までこの河原で砂金が採取されていたことに由来する。
[写真](撮影:さんちゃん)
テーマページ ダム温故知新 《第23回(最終回)》 柳瀬ダムを訪ねて
文献にみる補償の精神【14】 「その我々の前にボ−トとは何ぞ。 観光客とは何ぞ」 (柳瀬ダム)
ダムの書誌あれこれ(10) 〜柳瀬・新宮・富郷ダムと銅山川分水〜
ダムツーリング -ダムのお遍路・四国-
左岸所在 愛媛県四国中央市金砂町小川山  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯33度56分12秒,東経133度34分16秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  新宮(5km)  新池(6km)

河川 吉野川水系銅山川
目的/型式 FAWIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 55.5m/140.7m/131千m3
流域面積/湛水面積 170.7km2 ( 直接:69.5km2 間接:101.2km2 ) /155ha
総貯水容量/有効貯水容量 32200千m3/29600千m3
ダム事業者 愛媛県
本体施工者 鹿島建設
着手/竣工 1948/1953
ダム湖名 金砂湖 (きんしゃこ)
ランダム情報 【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2003)
カイツブリ、カワウ、ゴイサギ、チュウサギ、アオサギ、オシドリ、ミコアイサ、トビ、オオタカ、ノスリ、ハヤブサ、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、キジバト、アオバト、ジュウイチ、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、アオバズク、フクロウ、ヤマセミ、アカショウビン、カワセミ、アカゲラ、コゲラ、ツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ビンズイ、ヒヨドリ、モズ、カワガラス、ミソサザイ、ルリビタキ、ジョウビタキ、トラツグミ、クロツグミ、シロハラ、ツグミ、ヤブサメ、ウグイス、センダイムシクイ、キクイタダキ、キビタキ、オオルリ、エナガ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、アオジ、クロジ、アトリ、カワラヒワ、マヒワ、ベニマシコ、イカル、スズメ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス、サンコウチョウ
【ダムカード配布情報】2021.8.1現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver3.0
○柳瀬ダム管理支所 9:00〜17:00(土・日・祝日を含む)管理支所入口のインタ-ホンを押してください。
ダムカード画像コレクション
柳瀬ダム Ver.1.0 (2007.07)
[協力:X-DAM]
柳瀬ダム Ver.2.0 (2016.12)
リンク DamDrive・【放流動画】 柳瀬ダム放流 (2011/09/18)
DamDrive・柳瀬ダム(放流中)
Dam's room・柳瀬ダム
THE SIDE WAY・柳瀬ダム
ウィキペディア・柳瀬ダム
ダム『京』・柳瀬ダム写真集
ダム好きさん【柳瀬ダム】
愛ある愛媛・ダム巡り〜銅山川の柳瀬ダム〜
愛ある愛媛・柳瀬さん!生まれ変わるのネ・・・☆
吉備の国 風景撮物帳・柳瀬ダム
四国堰堤ダム88箇所巡り・第68番堰堤札所 柳瀬(やなせ)ダム
水力ドットコム・銅山川第一発電所
水力ドットコム・銅山川第二発電所
雀の社会科見学帳・柳瀬ダム見学 その1
関連書籍 ■合田正良 『銅山川疏水史』 愛媛地方史研究会 1965
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[銅山川→那賀川] 流域面積[170.7→170.5]
【07当初→07最終】河川名[那賀川→銅山川]
【08最終→09当初】堤高[55.5→56]
【09当初→09最終】堤高[56→55.5]
【11最終→12当初】流域面積[170.5→170.7]

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ダム温故知新
《第23回(最終回)》 柳瀬ダムを訪ねて

写真・文 安河内 孝

10年前、このダムについて新聞に掲載されていた。記事を読み感銘したのは「紀伊為一郎」である。恐らくこの名前を知っている方は皆無と思われる。岡山在住の彼は、愛媛県四国中央市(旧川之江市)の出身で、知人から1912年に銅山川疎水構想を持ちかけられ、このダムの事業の実現のために奔走し、更に私財を注ぎ込んだ。それにより県営事業として1937年に着手、戦後の1953年に完成、この分水実現により、宇摩平野の農業用水の確保と全国屈指の製紙産業都市に育つ重要な要素となり、現在でも使用されている。紀伊為一郎は、先祖から受け継いだ全財産を費やし、家庭を犠牲にして働いたため妻とも離別し、晩年は香川県観音寺で静かに過ごしたという。男はつらいものである。

撮影時、4基のゲート室のうち1基は建設当時のままであった。型枠が大変だったかと思われるが、曲線美があり、丸い窓を見ると何かほっとする。また、湖の名前が「金砂湖」と洒落ている。江戸時代に砂金が取れたことから名付けられている。


(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(2014年10月作成)


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