去る2月24日(月)に、土木学会社会コミュニケーション委員会主催の『第2回 土木 a la mode 「黒部ダム VS 宮ヶ瀬ダム」〜人を惹き付ける魅力はどこに?〜』が開催された。見に行ってきたので、全くバランス無視の単なる印象記になってしまうが、以下にその様子を紹介する。
なお、当日の概要は以下の通り。
日時 :2014年2月24日(月) 18:30〜20:00 (開場18:00) 場所 : 土木学会 講堂(東京都新宿区四谷一丁目外濠公園内) プログラム: 18:30〜18:40 開会挨拶 野崎 秀則(社会コミュニケーション委員会 委員長) 18:40〜19:00 【第一部】それぞれのダムの紹介 吉津 洋一 (関西電力(株)北陸支社長) 竹村 公太郎 (NPO法人日本水フォーラム事務局長) 19:00〜19:10 (休 憩) 19:10〜19:30 【第二部】高橋裕先生の解説とコメンテーターとの議論 19:30〜19:55 【第三部】黒部vs宮ヶ瀬のすごいところ (質疑応答) 19:55〜20:00 閉会挨拶 司会進行:中野朱美 (社会コミュニケーション委員会 委員・一般財団法人日本ダム協会)
行ってみてまず驚いたのは、盛況であったこと。6時開場、6時半開始であったが、開場から間もない頃にはもう、見た目には満員状態であった。見渡すと、やはり土木学会会員らしき人が多いが、それ以外とおぼしき人も結構いた。名の知られたダム好きさんもかなり含まれていて、中には遠方から駆けつけたダム好きさんもいたようだ。プログラムが魅力的だったためだろうか。
会場風景
吉津さん(関西電力北陸支社長)から黒部ダムの紹介があった。興味深かったのは、黒部ダムがウイングダムになった経緯について、わかりやすく明確に語ったことだ。不正確かも知れないが、メモと記憶によれば、以下のようなものだった。
昭和34年7月にコンクリートの初打設をし、定礎式を挙行。そのすぐ後の34年9月にフランスのマルパッセダムが決壊、多数の死者が出た。黒部ダムの建設費は、その4分の1ほどを世銀から借り入れていたが、35年5月に世銀から顧問団が来て、両岸の上部の岩盤が弱いので、186メートルの計画を150メートルにせよと言われた。堤高の大幅な低下は経済性を著しく損なうので、すぐにフランスから機械を取り寄せて上部岩盤調査を実施し、世銀に説明。当時の副社長がワシントンの世銀に出向き、世銀総裁と直接話をして、ようやく186メートルが受け入れられた。 黒部ダムは、16回設計変更をしている。当初の計画は単純アーチダムだった。世銀との話し合いを経て、ドーム型アーチで、その両翼に重力式ダムを連結した構造となった。
吉津さんの講演
宮ヶ瀬ダムの紹介は、建設当時の所長だった竹村さん(NPO法人日本水フォーラム事務局長)。当時から、客を呼び込むダムを造ると言う明確な目的意識を持って、いろいろと工夫を重ねていたようだ。その優れた先見性には驚かされる。
アメリカのフーバーダムを見学して、天端にテラスがあるデザイン、エレベータシャフトが2個ある、などといったことが、客を呼ぶために行われているのを見て、ショックを受けた。宮ヶ瀬ダムの所長として計画を考える際に、フーバーダムでの経験が役に立った。 RCDコンクリートを運ぶのに、何回もダンプに積み替えるのはいやなので、インクラインを造った。電気代を少なくするため、カウンターラインを導入。カウンターラインのところが、現在客を運んでいるインクライン。当時から、乗客用のインクラインとして最適な位置になるよう配慮していた。 宮ヶ瀬ダムでもエレベータシャフトは2個造った。今見学用に使われている。 インフラを造って、そこに人を集めて、インフラを強くすると言う発想が日本には昔からあった。インフラ建設の「目的」というものは忘れた方がいい。できあがって客が来て、別の使い方をして、インフラが強くなる。
竹村さんの講演
このあと、高橋先生の講演など、中身の濃い内容が続き、比較的短時間ではあったが充実した時を過ごすことができた。
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