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《日本一美しいダム〜白水ダム》



 声も出せないほどに感動を覚えたことがあった。それは絶世の美人に出合ったかのようにただ唖然とそのダムの美にみとれていた。滝のように白い水泡が流れてくだる白水ダムに佇んだときのことである。森閑とした木漏れ日のなかの白水ダムは気品があった。恐らく日本一美しいダムであろう。10年前のことであるが、今でもこの光景ははっきりと覚えている。

 伊東孝・馬場俊介・松山巖・西山芳一共著『とっておきの風景水辺の土木』(INAX出版・平成15年)には、奥沢水源地、藤倉ダム・馬ケ城ダム・干苅ダム、長篠発電所余水吐など、土木遺産について挙げているが、白いレ−スが下りてくる日本一優雅なダムとして、白水ダムを次のように表現している。

堰堤は左右非対称形になっている。左岸は円形の階段で擁壁が固められ、その上を水が順番に下りていく。右岸の壁はねじれたカ−ブになっていて、遊園地のウォ−タ−・コ−スタ−のように水が回りながら滑り落ちる」。さらに、「堰堤の中央部は目の粗い切石が積み上げられ、水が石に当たって白いレ−スのような、鱗模様を描いて落ちていく」と。しかも、この白水ダムの美は地盤の弱さを補うために左岸に階段上に、右岸に武者返しのような曲面状の擁壁を築いて減圧させて下流部に水を集めた、とその用強美について分析する。この白水ダムはまさしく土木構造物と水が一体となった美しさに五感で感じることができる。だから誰もが白水ダムには魅いられてしまうのだろう。

 白水ダムはJR豊肥線竹田駅南西約10Km、大野川上流大谷川における竹田市次倉と荻町柏原に位置する。その用途は、富士緒井水路の農業用水不足を補給するための水源として昭和9年〜昭和13年に築造された。このころは、昭和12年日中戦争が始まり、翌年国家総動員法が成立した時代である。白水ダムを手掛けたのは、大分県農業土木技手小野安夫(明治36年〜平成5年)で絵心をもった美的感覚に優れていた、という。白水ダムの白いレ−スの流れは、彼が育った九重町「竜門の滝」がモデルとも言われている。

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 ダムの諸元は、堤高13.9m、堤長87.3m、堤頂幅 2.7m、満水面積 0.1km2、流域面積96.4km2、総貯水容量60万m3、構造は越流式重力ダム(表面石張)である。この白水ダムは富士緒井路土地改良区の管理で、ダムの水は、富士緒井路16kmによって、竹田市片ケ瀬から下流の緒方町軸丸までの水田 388haを潤している。
 堤高15m未満であることから、白水ダムは正式にはダムとはみなされていない。このことが残念である。正式名は「白水溜池堰堤」で農業水利施設である。

 平成11年5月13日白水ダムは国の重要文化財に指定された。大分県内では69件目、明治以降の近代遺産としては県内第1号である。 この文化財について、加藤和夫大分県農政部主幹は「日本で一番美しいダム「白水ダム」という論文をまとめ、同・指定の評価について、次の3点を挙げている。

@明治以降の建造物で近代遺産にふさわしい現役の水利施設であること
A石張りの堤面および左右袖部の造形が特殊で流れ落ちる幾何学流水美が評価されたこと
B地質不良の阿蘇溶岩地帯に築造された粗石コンクリ−トダムであること。

 さらに、「この貯水池を設計・監督して歴史的な水利資産として我々に残してくれた当時の県職員であった小野安夫氏の水と土に対する愛情に裏打ちされた美意識の追求と高度な技術力にあらためて敬意を表する」として、白水ダムは「大分の宝」であり、次世代に継承していくことが使命である、と結んでいる。
 豊後は、藩政期から多くのため池、水路、石橋が造られ、その優れた技術をもった地域であった。これらの伝統的な技術は、白水ダムの設計・施工にあたって、小野安夫にいくらかの影響を与えたものと推測される。

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