《大分県は・・・》
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大分県は九州の北東部に位置し、総面積 6,339km2で総人口約 123万人である。地質的には臼杵と熊本県八代市を結ぶ地質構造線によって南北に分けられ、北部は火山岩が多く、南部は古生層や中生層が広く分布し石灰岩が多くみられる。 この複雑な地層が多様な地形と豊かな自然を生み出し、「九州の屋根」と呼ばれる久住山群をはじめ、由布、鶴見、祖母、傾の山々が連なり県土の70%を林地が占めている。年間降水量は1869mmで、これらの山系から流れる水流は多くの河川となって、豊富な水資源をもたらし、生活用水、あるいは農業用水、工業用水として、大分県の発展を支える重要な役割を果してきた。
大分県を流れる一級河川は、霊場英彦山に源を発し、天下に冠たる名勝耶馬渓を貫流し中津市から周防灘に注ぐ山国川、豊後富士と呼ばれ、その姿を誇る由布岳に源を発し、湯布院町、大分市から別府湾に注ぐ大分川、阿蘇外輪山以東の水を集めて、大分新産業都市の命の水としてその多くを供給している大野川、西南戦争の戦場として名高い三国峠を源として、佐伯湾に注ぐ番匠川、県南宇目町の水を集め宮崎県に注ぐ五ケ瀬川、そして、「坊がつる賛歌」で名のしれた九重連山に源流を求め水郷日田を流れ、有明海に注ぐ筑後川の6水系 372河川で延長 2,080Km、二級河川93水系 211河川で延長約 987Km、計99水系 5 83河川で延長約 3,067Kmに及ぶ。 海岸線は総延長 759Kmで、北部は遠浅海岸の周防灘、中央部は波穏やかな別府湾、南部はリアス式海岸の臼杵湾、津久見湾、佐伯湾に面し、ミネラル分を含んだ各河川が流れ込み、海水と交じりあって豊富な水産資源をもたらしている。
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大分県では水資源の総合的な有効活用をめざして、明治期からダム建設が積極的に行われてきた。 大分県土木建築部河川課「大分の河川」、「大分県内のダム」、同水資源・土地対策局「大分県の水資源」、「各ダム事業のパンフレット」の資料によると、平成13年までに72基(白水ダムを含む)が築造された。これらのダム建設について、(1)明治期、(2)大正期(3)、昭和前期(昭和元年〜20年)、(4)昭和中期(昭和21年〜40年)、(5)昭和後期(昭和41年〜62年)、(6)平成期(平成元年〜13年)に分けて追ってみたい。なお築造年、ダム名、水系、用途、総貯水容量の順の記載である。(年表中のF:洪水調節、農地防災、N:不特定用水、河川維持用水、A:灌漑用水、W:水道用水、I:工業用水、P:発電)
(1)明治期
明治2年 下影戸溜池 (大分川水系小挟間川) A 5.4万m3 17年 吉松新池 (安岐川水系吉松川) A 13.2万m3 20年 小園池 (武蔵川水系志和利川) A 2.8万m3 22年 竜ケ池 (臼野川水系北川) A 3.5万m3 25年 須川溜池 (櫛来川水系須川) A 1.3万m3 26年 下後野池 (後野川本川) A 3.2万m3 28年 穴野新池 (桂川水系穴野川) A 12.0万m3 38年 大久保溜池 (桂川水系迫田川) A 6.2万m3 39年 長谷川内溜池 (大野川水系長谷川) A 4.2万m3 40年 高田溜池 (桂川本川) A 18.0万m3
明治期は10基築造され、用途はすべてが灌漑用でア−ス式ダムである。1基あたりの平均総貯水容量は6.98万m3に過ぎない。この時期は稲作開田にむけての水確保が切実な時代であって各地域に水路が開削されている。
(2)大正期
大正2年 女子畑第一第3号・第2号 (筑後川水系玖珠川) P 43.4万m3 3年 亀の甲池 (岐部本川) A 7.0万m3 4年 中河内池 (臼野川本川) A 8.2万m3 6年 乙原ダム (朝見川水系乙原川) W 1.7万m3 7年 山下池 (大分川水系倉本川) P 172.6万m3 11年 地蔵原ダム (筑後川水系玖珠川) P 143.9万m3 12年 風呂前溜池 (大野川水系福生寺川)A 18.0万m3
大正期は8基が築造され、用途は灌漑用3基、発電用4基、上水用1基となっている。大正6年築造の乙原ダムは初の重力式コンクリートダムで、大分県初の上水道(別府市)用である。また、筑後川上流には、発電用ダムが建設されてきた。1基当たりの平均総貯水容量は 49.35万・に増加している。乙原ダムを除いては、7基すべては型式はア−ス式である。
(3)昭和前期(昭和元年〜20年)
昭和元年 溜池一号 (大野川水系山崎川) A 52.7万m3 5年 溜池二号 (大野川水系山崎川) A 44.0万m3 6年 女子畑第二 (筑後川水系玖珠川) P 67.5万m3 8年 溜池三号 (大野川水系藤渡川) A 41.2万m3 9年 十王池 (臼野川本川) A 15.6万m3 13年 白水ダム (大野川水系大谷川) A 60.0万m3 19年 一ノ瀬溜池 (伊美川本川) A 24.6万m3
昭和前期は太平洋戦争を含め激動の時代であったが7基が築造され、女子畑第二ダム、白水ダム、一ノ瀬溜池の3基は重力式コンクリートダムで、残りの4基は灌漑用ア−ス式ダムである。1基当たりの平均貯水容量は43.6万m3で、大正期より、増えていない。
(4)昭和中期(昭和21〜40年)
昭和23年 鮎返ダム (朝見川水系鮎返川) W 7.5万m3 25年 小高野溜池 (大野川水系笹無田川)A 13.0万m3 28年 長湯ダム (大分川水系社家川) A 54.9万m3 29年 夜明ダム (筑後川本川) P 350.7万m3 31年 芹川ダム (大分川水系芹川) FP2750.0万m3 33年 篠原ダム (大分川本川) P 166.3万m3 35年 小野原ダム (駅館川水系日出生川)A 36.0万m3 36年 千倉ダム (筑後川水系千倉川) A 61.2万m3 37年 北川ダム (五ケ瀬川水系北川)FP4100.0万m3 魚ケ鼻池 (寄藻川水系田笛川) A 16.0万m3 39年 石河内溜池 (竹田川本川) A 34.3万m3 40年 志生木ダム (志生木川本川) AF 40.0万m3
昭和35年の池田内閣の所得倍増政策による高度経済成長の時期であり、昭和39年大分地区が「新産業都市建設促進法」に基づく新産業都市の指定を受けて、大分都市圏の膨脹により、上水、工業用水、水力発電エネルギ−の需要が増大していった。 昭和中期は12基のダムが築造され、特筆するダムは大分県による昭和31年の完成芹川ダムで、堤高52.2m、総貯水容量 2,750万m3、その用途は、洪水調節を図るとともに、芹川第一、第二、第三発電所により併せて最大出力23,800Kwの発電を行い、さらに灌漑用水を供給する。また昭和37年完成の北川ダム(堤高82m、総貯水容量 4,100万m3)も、洪水調節と北川、下赤谷、桑原の各々の発電所併せて最大出力28,600Kwの発電を行う。 芹川ダムは、大分県初の本格的な多目的ダムの嚆矢であったといえる。
(5)昭和後期(昭和41年〜63年)
昭和41年 大中尾ダム (番匠川水系木立川) F 41.6万m3 小中尾ダム (番匠川水系木立川) F 18.8万m3 42年 若杉ダム (大分川水系白滝川) F 75.0万m3 43年 大熊毛池 (大熊毛川本川) A 1.5万m3 44年 深見ダム (駅館川水系深見川) A 165.0万m3 乙見ダム (臼杵川本川) A 180.0万m3 小熊毛池 (小熊毛川本川) A 10.8万m3 下筌ダム (筑後川水系津江川)FP5930.0万m3 大平池 (赤坂川本川) A 12.5万m3 45年 日出生ダム (駅館川水系日出生川)A 800.0万m3 戸保の木ダム (小猫川水系轟川) AF 29.0万m3 松原ダム (筑後川水系大山川)FP5460.0万m3 46年 油留木ダム (安岐川水系油留木川)A 16.5万m3 日指ダム (駅館川水系桑ノ尾川)A 488.0万m3 直川ダム (番匠川水系道の内川)F 74.0万m3 丸山ダム (桂川水系丸山川) A 17.2万m3 47年 安岐ダム (安岐川本川) F 258.0万m3 48年 佐賀関ダム (小志生木川本川) A 75.6万m3 石場ダム (大野川水系三重谷川)A 219.0万m3 高瀬川ダム (筑後川水系高瀬川) P 27.3万m3 49年 師田原ダム (大野川水系十時川) A 327.6万m3 松木ダム (筑後川水系松木川) A 130.0万m3 並石ダム (桂川水系都甲川) A 157.8万m3 50年 黒沢ダム (番匠川水系堅田川) F 410.0万m3 51年 石山ダム (高山川水系船部川) A 88.0万m3 52年 中の川ダム (末広川水系中の川)AF 88.1万m3 53年 青江ダム (青江川本川) F 150.0万m3 60年 耶馬渓ダム (山国川水系山移川) FWP2330.0万m3 床木ダム (番匠川水系床木川) F 350.0万m3 62年 末広ダム (末広川本川) AF 209.8万m3
昭和後期は高度経済成長を受けて、この20年の間、30基の多くのダムが築造された。このなかで、特筆されるダムは、全国的に注目を集めた下筌ダム、松原ダムであろう。昭和28年6月の筑後川大水害を契機として建設が進められたこのアベックダムに対し、公共事業の是非を問いつづけ、公権と私権に係わる法的論争に挑み、13年間国家に拮抗した室原知幸の闘争は社会的にあまりにも有名であり、それ以降のダム建設に多大な影響を及ぼした。また、技術的には、阿蘇火山系による難しい地質条件を克服した近代的な大型ダム築造であったとも位置づけられる。また、昭和60年完成、多目的ダムの耶馬渓ダムが福岡県への取水として注目を引くが、これは後述する。
(6)平成期(平成元年〜13年)
平成3年 野田ダム (臼杵川水系田井ケ迫川)AF 45.2万m3 鍋倉ダム (天村川本川) A 113.5万m3 7年 香下ダム (駅館川水系妙見川) A 220.0万m3 10年 行入ダム (田深川水系横手川) F 164.0万m3 13年 野津ダム (大野川水系垣河内川) FW 33.1万m3
平成期は5基が築造され全てが小規模ダムである。なお、平成12年には猪牟田ダム(筑後川水系玖珠川)、矢田ダム(大野川水系平井川)の計画が中止となったものの、現在大分川ダム(大分川水系七瀬川)、大山ダム(筑後川水系赤石川)、稲葉ダム(大野川水系稲葉川)が建設中で、玉来ダム(大野川水系玉来川)は調査中である。 竹田市における稲葉ダムと玉来ダムの必要性は、竹田市の中心地を流れる稲葉川、玉来川が氾濫し、昭和57年(死者7名、浸水家屋 356戸)、平成2年(死者4名、浸水家屋1483戸)の被害をもたらしたことから、竹田緊急治水ダムとして建設が進められている。稲葉ダム建設地点の地質は阿蘇溶結凝灰岩の地盤を有し、各所で亀裂が生じているため、
@貯水池の水漏れを防ぐためにコンクリ−トやアスファルト、コア材で貯水池全体を覆う Aダムの左右岸基礎地盤には、一部重さに耐えられない柔らかい地層があり、その地層を覆うようにコンクリ−トの人工地盤を造って、その上にダム本体を築造する B現場で発生した土砂に少量のセメントを加えて固めるCSG工法をもって、施工されている。このことは、水との調和を図りながら人的、経済的被害を防ぐ新しい工法である。
以上のように、明治期から現在まで72基のダムが完成した。堤高で分類してみると、
15m〜30m 44基 31m〜60m 24基 61m〜 100m 4基
となり、また総貯水量では、
1万m3〜 300万m3 61基 301万m3〜 1,000万m3 6基 1,000万m3〜 6,000万m3 5基
となる。 堤高、総貯水容量のベストスリ−は1位下筌ダム(98m、5930万m3)、2位松原ダム(83m、5460万m3)、3位北川ダム(82m、4100万m3)が各々占める。なお、既設の行入ダム、野津ダム、そして計画中止となった矢田ダムについては、後述する。
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