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7.旧吉野川河口堰(今切川河口堰)の建設


 旧吉野川は、吉野川の河口から15kmさかのぼった徳島県板野郡上板町下六條の左岸堤防に設けられた第十樋門から分派され、宮川内谷川をはじめ、多くの支川を合わせて吉野川北岸の平野を東に12.5km流れ、北島町高房(三ツ合堰地点)において今切川を分派し、紀伊水道注ぐ延長24.7kmのゆるやかな河川であり、その流域面積は 245.6km2である。


『旧吉野川河口堰工事誌』


 旧吉野川流域の農地は、水田 4,600ha、畑 1,800haの穀倉地帯が広がっているが、流域の殆どは感潮河川であり、かつては塩害や早魃の多いところであった。このため旧吉野川と今切川の河口近くに潮止樋門(旧吉野川樋門:昭和24年完成、今切川樋門:昭和11年完成)を設け、これに対処してきたが、昭和21年の南海地震による地盤沈下で旧吉野川・今切川潮止堰の効果が減少し、水門のきめ細かな操作が必要とされてきたことと、老朽化、洪水の流下能力不足等により、これを撤去する必要があったことから建設省は、昭和43年8月旧吉野川河口堰設計画をまとめた。昭和45年2月吉野川水系における水資源開発基本計画の一部変更により、旧吉野川河口堰建設事業が新規に追加決定された。(『吉野川の水資源開発二十年のあゆみ』


『旧吉野川河口堰写真集』

 これにより昭和46年6月今切川樋門の撤去と今切川河口堰(徳島市川内町・板野郡北島町地先)の建設に着手した。同様に昭和48年6月に旧吉野川樋門の撤去と旧吉野川河口堰(徳島県板野郡松茂町地先)の建設に着手し、昭和49年7月今切川河口堰、昭和50年10月旧吉野川河口堰がそれぞれ完成した。この両堰の建設記録として、水資源開発公団旧吉野川河口堰建設所編・発行『旧吉野川河口堰工事誌』(昭和51年)、同『旧吉野川河口堰写真集』(昭和51年)の書がある。

 この事業の目的は、旧吉野川の河川改修と相まって、本事業により当該地点における計画高水流量、今切川河口堰地点で 950m3/S、旧吉野川河口堰地点で 850m3/Sの疎水を図り、海水の遡上を防止し、流れの正常な機能を維持し、徳島県の都市用水の取水についてその導水距離を短縮し、事業の合理化を図ったものである。

 諸元は今切川河口堰は堤長 220.3m、旧吉野川河口堰は堤長 192.3m、両堰とも型式はフローティングゲートダム(可動式)で、起業者は水資源開発公団、施工者は清水建設(株)、総事業費69.9億円となっている。

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