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6.池田ダムの建設(香川用水、吉野川北岸用水)


『池田ダム工事誌』

 昭和50年4月池田ダムは、吉野川の中流域の徳島県三好郡池田町ウエノ、西山地先に昭和43年9月に調査所を開設して以来6年9ケ月をかけて完成した。上流の早明浦ダムと連携し、吉野川総合開発の要として香川用水、吉野川北岸用水をもって各々に分水する役割を担う重要なダムである。この建設記録として水資源開発公団池田ダム建設所編・発行『池田ダム工事誌』(昭和50年)がある。

 ダムの目的は洪水調節として計画高水流量11,300m3/Sのうち 200m3/Sの調節を行い、吉野川の流水の正常な機能を維持するために早明浦ダムの操作とあわせて下流維持用水の取水の安定を図っている。さらに新規用水として池田ダム上流左岸に2つの取水口を設け、香川用水の取水口からは、灌漑用水最大 8.0m3/S、都市用水 4.5m3/S、同様に吉野川北岸用水の取水口から灌漑用水最大14.8m3/Sを供給するものである。



 ダムの諸元は堤高24m、堤頂長 247m、堤体積約 5.2万m3、総貯水容量1265万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は水資源開発公団、施工者は鹿島建設(株)、総事業費74.1億円である。用地取得面積54.3ha、移転家屋42戸となっている。
 工事については、地辷りと再々の出水について悩まされている。
 立川耕平池田ダム建設所長は『池田ダム工事誌』に次のように述べている。
「池田ダムは当初、電源開発株式会社で建設を計画していた吉野川第二発電所(小歩危ダム)の逆調整地をも兼ねていたものであり、ところが景勝地大歩危保存を理由とした地元反対から遂に建設中止となった経緯があり、この関連で一時、事業が足踏みしたこと、次いでダムサイト右岸に発生した全く予想外の地辷りのため、これの対策に追われたことなどでありました」


『川とともに池田ダムのあゆみ』

 このような難題には熱意をもった対応で乗り越えている。『池田ダム工事誌』の内容は、第7回技術研究発表会資料「池田ダム荒締切グラフト工事報告」、第8回技術研究発表会資料「池田ダム右岸ダムサイト地辷り対策について」、芥川明久副所長の「池田ダム、池田発電所の右岸地山対策について」、坂森嘉夫係長の「ゲートの自動制御等管理設備面」、さらに板東次男用地課長の「補償交渉過程の関係者のやりとり」の各々の論文から構成されている。

 特筆することは、池田町当局、池田ダム対策協議会の英断によって、用地調査中にもかかわらず早明浦ダム、香川用水の工事工程にあわせるために、補償基準妥結以前に、仮設工事、町道付替工事を認めたことである。このことは分離協議と呼ばれている。池田町役場編・発行『川とともに池田ダムのあゆみ』(昭和50年)には、このような分離協議も含めて、内田太郎池田町長らの町関係者による昼夜を惜しまず対話の輪が結局は早期の補償妥結と完成に向かわせたことが、多くの資料と写真でまとめられている。


上:香川用水取水口
下:北岸用水取水口

 次に、香川用水事業は、前述のように池田ダム上流 1.8kmに設けた取水口から早明浦ダムにおいて、開発された水を取水し、阿讃山脈を貫く約8kmの導水トンネルにより香川県に至り、幹線水路約 106kmをもって県内のほぼ全域に水を供給している。
 年間2億4700万m3の水を灌漑用水として約31,000haの農地へ年間1億 500万m3を補給し、水道用水年間1億2200万m3、工業用水として年間2000万m3を供給する多目的水路事業である。この建設記録として、水資源開発公団香川用水建設所編・発行『香川用水工事誌』(昭和50年)がある。

 香川用水工事でもっとも難工事で工期内完成が難しい予想されていた阿讃トンネルは、当時では最新鋭のR.T.M(岩盤用トンネル掘削機T.M 430G)を導入し、破砕帯を突破しながら5032mを掘削した。

 昭和49年5月30日香川用水は通水式を迎えた。このとき金子正則香川県知事は、「咲いたぞ咲いたお水の花が、友情の花が・・・・・感謝こめて」と香川県民の長年の夢が叶った歓びをこのように表現されている。
 香川用水は、昭和50年の管理開始以来、20数年を経過し、水路コンクリートがアルカリ骨材反応等による劣化し、またひび割れの進行も懸念されていた。このため現在、緊急に対応が必要な水路施設の改築と新たに水道用水専用調整池(有効貯水量約 300万m3)の建設が進められている。

 同様に、池田ダムの上流から取水する吉野川北岸用水事業は、池田町他11ケ町にわたる受益面積6860haを対象として、農業用用排水事業及び農地開発事業をあわせ行う、国営総合灌漑排水事業である。灌漑期平均 8.0m3/S(最大14.8m3/S)、非灌漑期 2.0m3Sを取水し、池田町から板野町に至る延長69.2kmの水路について導水し5030haの水田補給と1780haの畑地及び造成される50haの畑地灌漑を行うものである。
 昭和46年10月事業を着手し、平成2年3月に完了した。この建設記録については、農林水産省中国四国農政局吉野川北岸農業水利事業所編・発行『吉野川北岸用水』(平成2年)の書がある。

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