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《日本一の「響き鮎」を戻せ!》



 一方では「松原・下筌ダム建設」の後遺症に悩む人たちがいた。大山川の流域で生活をしている人達だ。大山町はかって産業政策のもと、電力需要の高まりから大山川の水利権を発電用として全水量を電力会社に売り払った。そのことが形として現れたのは松原ダム建設が行われ、その利水のため発電用のトンネルが山の中に完成したときだった。

 水はわずかな河川維持用水を残しては、すべて両サイドの発電用トンネルを流れた。江戸時代、日本一の鮎と言われた「響き鮎」も姿を消した。あまりにも変わり果てた河川の惨状に昭和50年には町議会が音頭をとり「水流せ運動」が始まった。そして8年後、松原ダム再開発事業の名の下に毎秒1.5トンの河川維持流量が決定した。
 この数字は集水面積100kuあたり0.1トンから0.3トンという、発電水利権の期間更新におけるガイドラインとして全国に定着した。しかし、川は蘇らなかった。
 30年目の発電水利権の更新を数年後に控えた平成8年、地域おこしグループがカヌーで大山川を下るイベントを行った。水量が少ない。水が臭い。水性生物すら発見できないこの危機感は町の住民を動かし、水量増加の要望に85.3%の方が署名した。住民グループで「大山川再生計画書」が作成され、その中での目標は、響き鮎の育つ川がイメージされた。国・県・電力会社・町・そして住民代表、あるいは識者を交えた息の長い話し合いは、鮎の生育期間に限って毎秒4.5トンの流量確保につながった。


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