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1.はじめに
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新潟県のアースダム「貝の沢池」は、ダム便覧では、 左岸所在地:新潟県長岡市川口牛ヶ島 位置:北緯37度17分02秒,東経138度50分47秒【位置未確認】 堤高:15m 堤長:80m と記載されていました。
すでにフォトアーカイブスには立派なアース堤体の写真が先人により多数提供され、高い確率でこの堤体が「貝の沢池」であると考えられます。しかしながら、付近には大小様々な貯水池らしいものが地図上に描かれており、今日に至っても位置未確認のままです。一帯は、日本を代表する魚沼産コシヒカリの水田が広がっていました。
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新潟県長岡市 |
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牛ヶ島地区と信濃川(関越道越後川口PAから) |
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旧川口町は、合併(平成22年)により長岡市の一部となりました。当時の川口町は直接隣接していた小千谷市ではなく、長岡市を合併相手として選択しました。このため地図では、旧川口町部分は小千谷市を挟んだ飛び地となって描かれます。
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2.竣工記念碑
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アース堤体右岸には、平成元年に建てられた記念碑とおそらく改修前の堤体から移設されたと思われる古い石碑がありました。
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記念碑の裏側には次のような文字が刻まれておりました。
大溜池史 宝暦六年現国道十七号線西側に小堤を作り開田を行う 明治二十二年溜池を現在地迄拡張し合せ土地改良事業を行う 昭和十九年集中豪雨の為堤防決壊 同二十三年復旧工事完成 昭和六十一年漏水等堤体の脆弱化のため県営ため池等整備事業着工 平成元年完成 以下 関係者個人名
この記念碑には、平成元年の年号があります。このような碑文中に名前を刻まれた関係者の方々は、恐らく当時50〜60歳代の方であった思われます。従って、現在では齢90前後となられているのではないかと推測しました。
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牛ヶ島地区 |
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調べてみると、この記念碑裏面に記載されていた一人のお住まいが分かりました。そこで、その方の住所を訪ねてみることにしました。表札を見ると苗字は同じでしたが下の名前が違いました。世代交代されているのでしょうか。 突然の訪問に対応していただいたのは、その方の奥様でした。記念碑裏面に名前が刻まれたご本人はすでに他界されているということで、直接お話を聞くことはできませんでした。また、この日は偶然にも地区の避難訓練が終わった直後でした。この関係で近隣の方もこのお宅に来ていました。旧川口町は、平成16年の新潟県中越地震で震度7を記録した場所です。以来、定期的に避難訓練を行っているそうです。あの「貝の沢池」と目される堤体も震度7クラスを経験したはずですが、特に目立った被災はなかったようです。
皆様から伺った内容を簡潔に記すと、 ■あの溜池はここでは「大堤(おおづつみ)」という名前で呼んでおり、「貝の沢池」とは言わない。また、「貝の沢池」という名前は聞いたことがない。 ■もっとも、小字名が「貝之沢」なので、「貝之沢の池」や「貝之沢にある池」といえば地元で通じないことはない。
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越後交通のバス停留所 |
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■正式な名前は、現地の記念碑にある通り「大溜池」だろう。 ■溜池が完成したときは、本当に町を上げてのお祝いだった。 ■牛ヶ島地区では、「大堤」が一番大きな溜池である。 ■「大堤」はもちろん現在でも貴重な溜池であるが、さらに、信濃川からポンプアップした水も利用している。
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信濃川から揚水した農業用水の調整池 |
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■「牛ヶ島」という地名は、大昔このあたり一帯が信濃川の中州(島)だったことから付けられた。目の前には大河が流れているが、昔はそれを汲み上げる手段がなかったので溜池が多く作られた。 ということです。
さらに、平成元年10月発行の「広報かわぐち」(当時の川口町の広報誌)を見せていただくことができました。
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3.牛ヶ島大ため池
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広報かわぐち(平成元年10月)より当該部分を引用 |
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広報誌には、地元で通称「大堤」が『牛ヶ島大ため池が完成 記念碑を建立』という見出しで紹介されていました。 その内容の一部を抜粋すると、 「整備は、県営事業により昭和六十年に着工され、四年にわたって改築がおこなわれてきたもので、堤高十三・六m、堤長五十五m、貯水量二万三千m3、余水吐越流幅十一mに改築されるなど、立派なため池として生まれ変わりました。」 と記載されています。
要点を整理すると、 溜池の名称:牛ヶ島大ため池 堤高:13.6m【ダム便覧で「貝の沢池」は15m】 堤長:55m【ダム便覧で「貝の沢池」は80m】 となります。このことから、多くの方が提供されている「貝の沢池」の写真は、実際は「牛ヶ島大ため池」の写真であったことが確定します。
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牛ヶ島大ため池下流面 |
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4.貝の沢池
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それでは、ダム便覧・ダム年鑑に「貝の沢池」として掲載されている堤体はどうなったのでしょうか?堤体名が「貝の沢池」で貯水池名が「牛ヶ島大ため池」ということなのでしょうか? さまざまな状況から判断すると、 「貝の沢池」=「牛ヶ島大ため池」 と考えるのが最も合理的です。 所在地である「新潟県長岡市川口牛ヶ島」には、他に「貝の沢池」の候補となる溜池はありません。地元では、「貝の沢池」と呼称されてはいないものの、「牛ヶ島大ため池(大堤)」の別名であると考えざるをえません。
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牛ヶ島大ため池貯水池 |
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ただし、「牛ヶ島大ため池」と「貝の沢池」の諸元には大きな開きがあります。 「牛ヶ島大ため池」は堤高:13.6mと記載されていますが、この数値が基礎岩盤から堤頂部までのものか、地上に見える部分のみを指すものかは不明です。堤長は、地形図で確認しても50m程度で、「貝の沢池」の堤長80mには不足しています。
ところが、DamMapsやYahooなどの航空写真で確認してみると「牛ヶ島大ため池」の堤体は、左岸側で少し伸びがあることが確認できました。この部分を含めると、全体としての堤長は約80mあると思われます。また、この右岸部から見ると対岸は、なだらかな登り坂となっていましたので、この部分の高さを含めると堤高が15mとなるのかもしれません。
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最終的に、基礎岩盤からの高さが13.6mであることが確定した場合には、「貝の沢池」はダムには該当しないことになます。少し残念なことではありますが、アースダムでなくなったとしても、これからもおいしいお米を作ってくれることに変わりはありません。 また、ダム便覧・ダム年鑑の所在地住所に誤りがあって、別の場所に「貝の沢池」が存在しているという可能性も否定できません。今回分かったことは、長岡市川口牛ヶ島にある溜池の名称が「牛ヶ島大ため池」であるということだけです。
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