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ダム番号:2383
 
東谷口池 [福岡県](ひがしたにぐちいけ)



ダム写真
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テーマページ 東谷口池(福岡県太宰府市)の位置確認について
左岸所在 福岡県太宰府市坂本  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯33度31分20秒,東経130度30分54秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  大佐野(4km)  牛頸(5km)  北谷(5km)  山口調整池(6km)  須恵(8km)  地別当共同池(8km)  山神(8km)

河川 御笠川水系鷲田川
目的/型式 A/アース
堤高/堤頂長/堤体積 20m/50m/15千m3
流域面積/湛水面積 km2 /1ha
総貯水容量/有効貯水容量 11千m3/11千m3
ダム事業者 太宰府町
着手/竣工 /1937
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[鷲田川→物部川]
【07当初→07最終】河川名[物部川→鷲田川]
【08最終→09当初】堤高[16.1→16]
【09当初→09最終】堤高[16→16.1]
【12最終→13当初】堤高[16.1→20] 総貯水容量[10→11] 有効貯水容量[8→11]

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東谷口池(福岡県太宰府市)の位置確認について

拾泉舎(山口県)
 
1.はじめに

 東谷口池は福岡県太宰府市にある農業用アースダムで、平成27年12月現在、ダム便覧においては位置未確認とされています。
 地図で確認したところ、所在地とされる太宰府市坂本周辺には非常に多くの溜池があります。これらのいずれかが東谷口池に該当するものと思われますが、各種資料や地図類(国土地理院地図、太宰府市地域防災計画、太宰府市ハザードマップ等)には「東谷口池」という名称は見当たりません。
 太宰府市のウェブサイトや観光マップ等を調べてみたところ、おおよそ次のようなことがわかりました。

◇ダム便覧における現在の位置情報は、「すうだ池」を指している。
◇ダム便覧で東谷口池の接続河川とされている鷲田川は国道3号線の南に位置しており、坂本地区を通っていない。また平地(市街地)を流れており、地図や航空写真では湛水域が認められない。
◇太宰府市ウェブサイトに「東谷口築堤碑」が掲載されており、「坂本新池の堤防東端に建てられている東谷口築堤の石碑。昭和11(1936)年、坂本新池が完成した際に建立されたものである。」と説明されている(東谷口池の竣工年である1937年にきわめて近い)。同サイトの地図では、他の地図で坂本新池とされている溜池に「東谷口池」と表記されている。
◇GoogleEarthで坂本新池を確認したところ、アースダムらしき溜池とコンクリート製の堰堤が認められる。アースダムの堤頂長は地図上で45m程度であり、ダム便覧における東谷口池のデータに近い。

2.現地調査

 上記より、「A.東谷口池は坂本新池の別称である」「B.坂本新池の築造により東谷口池が水没した(もしくはその逆)」「C.アースダムである東谷口池の直下に坂本新池としてコンクリートダムが設置された」の3つの可能性を想定しましたが、資料でわかるのはここまでのため、平成27年12月に坂本新池の現地訪問を行いました。


坂本新池の位置(出典:国土地理院ホームページデータを加工)
 坂本新池がある場所は、史跡・太宰府跡のほぼ真北となります。坂本新池から流れ出る河川が史跡の西側を通っています。史跡後方に見える山が四王寺山と思われ、坂本新池は四王寺山に至る登山道の途中に位置するようです。


太宰府跡
 太宰府跡から坂本八幡宮の脇を抜け、四王寺山へ向かう遊歩道を目指します。古くからある道のようで、周囲には多くの史跡や石仏等が点在しています。車止めのある位置から、「九州自然歩道 大野城跡」の案内がある方向へ進みます。


九州自然歩道入口
 急な坂道を5分ほど登ると、フェンス越しにコンクリート堰堤が見えてきます。フェンスには「東谷口川坂本砂防堰堤」の名称と平面図が示されています。航空写真でコンクリートダムに見えていたものは、砂防ダムだったようです。
 堰堤本体には、「昭和57年6月完成/東谷口川坂本砂防堰堤/L=82.0M H=12.5M/福岡県」と諸元を表示したプレートが掲示されています。


東谷口川坂本砂防堰堤

坂本新池
 砂防ダムの数十メートル北側にアースダムがあり、これが坂本新池のようです。フェンス扉は施錠されていて天端に立ち入ることはできませんが、洪水吐きや取水設備が確認できます。訪問時はかなり水位が低い状態でした。


坂本新池
 坂本新池堰堤の標高は砂防ダムより数メートル程度高いように見えます。堤体下流側は緩い傾斜となっており、堤体の裾が砂防ダムに到達しています。砂防ダムの高さが12.5mですが、その中間程度まで土砂(坂本新池堤体の下端)に埋まっています。
 坂本新池の堤高は判然とせず、堤頂長は目測で40〜50mという印象です。


坂本新池の下方に砂防ダムが見える
 坂本新池の左岸には、石碑が立っています。接近できないので詳しい碑文は読めませんが、撮影した写真を拡大したところ、太宰府市ウェブサイトに掲載された東谷口築堤碑で間違いないようです。


東谷口築堤碑
 自然歩道入口の入り口まで戻り、下流側から砂防ダムに接近してみました。堤体下部の開口部から常時水流があります。砂防ダムに湛水はない様子なので、坂本新池からの放流水がそのまま出ているものと思われます。坂本新池の横樋出口桝と砂防ダムが一体化したものかとも考えましたが、素人目では判断できません。


東谷口川坂本砂防堰堤を下流側から
3.文献調査

 現地調査の後、太宰府市民図書館で文献を調査し、下記のようなことが判明しました。

◇太宰府市史環境資料編において、坂本新池の別名が「東谷口」と明記されている。
◇坂本新池は昭和10(1935)年3月に起工され、昭和11(1936)年1月に完成。市史上での築造年は昭和11(1936)年とされている。
◇坂本新池の面積は5,411u=0.54haとする資料と、2,500u=0.25haとする資料があり、いずれもダム便覧に掲載の数値より小さい。また堤高を8.2mとする資料があるが、「底樋より堤の上面までの比高をハンドレベルにより実測」と注釈があり、基礎地盤からの高さを示しているわけではない。
◇東谷口築堤碑には、築造年のほか「敷地面積5反5畝、灌漑面積8町3反1畝」という情報が刻まれている。同碑は坂本耕地整理組合が昭和11(1936)年に設置した。
◇坂本新池の設置で同地区の水利は一変し、水田の増加につながった。
◇坂本新池が設置された河川は、御笠川水系東谷口川。
◇坂本新池の周辺の小字として「東谷口」「西谷口」がある。実際には坂本新池の大部分が西谷口に位置している。

※主な参考文献
『太宰府市史 環境資料編』(太宰府市史編集委員会・太宰府市、2001)
『太宰府市大字・小字界図』(太宰府市、1984)
『太宰府市地域防災計画』(太宰府市、2004)

4.まとめ

 現地調査・文献調査の結果、坂本新池の別名が東谷口池であると判断いたしました。
築堤碑の碑文から考えると、最初は東谷口池が正式名称だったのかとも思われますが、旧来から坂本地区にあった池(現在の坂本旧池)とセットで「新池・旧池」と呼び習わされ、現在では「坂本新池」(または単に「新池」)が正式名称とされているのではないでしょうか。
 坂本新池全体を含めて砂防指定地とされ、堤体下端を削るように砂防ダムが建設されているため、現地を見ても元々の形状が判断しがたくなっています。堤高の20mという数値は大きすぎるようにも感じるのですが、視認だけでは判断できません。
 本来であれば築堤碑の碑文や地元の方のお話も調査すべきところですが、位置確認の当初目的までは達成できたため、今回の調査はここまでとさせていただきます。

 上記より、東谷口池のデータのうち判明した部分を報告いたします。

◇位置 北緯33度31分21秒 東経130度30分54秒
◇河川 御笠川水系東谷口川
◇着手/竣工 1936/1937

(2015年12月作成)


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