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昭和初期も水力開発は大正末期からの平水量基準(最大取水量を平水量程度とするもの)と渇水時の電力補給に火力を使用する方式を一大推進力として大容量のダム建設が継続して計画された。産業の国家統制が強まると同時に鉱工業生産は急テンポで増大し、ダムを「シリーズで開発」する発想が台頭した。このうち、黒部川水力開発は、アルミニウム事業を計画した高峰譲吉博士によって大正6年(1917)に開始された。だが、この事業計画は頓挫して1922年から日本電気に引き継がれ、柳河原発電所の完成を手始めに、上流に向って小屋平ダムによる黒部川第二発電所(1936)、仙人谷ダムによる黒部川第三発電所(1940)と順次に建設された。黒部川第三発電所工事は、なだれ災害、高熱トンネル工事の厚い壁などを克服して、太平洋戦争直前に完成した歴史的難工事であり、吉村昭『高熱隧道』に詳述されている。同書は土木文学最高の名著のひとつである。大井川や天竜川でも、本川中流部に「シリーズ開発」の核となるダム式発電所が建設された。
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