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「特定多目的ダム法」と「水資源開発促進法」

 昭和32年(1957)「特定多目的ダム法」が施行された。高度経済成長期を象徴する画期的法律である。急速な経済成長と人口の都市集中によって、都市用水の需要が急激に増大した。工業用水の不足が首都圏・近畿圏・北九州地方を中心に深刻な問題となった。地下水の過剰汲み上げによる地盤沈下も社会問題となった。多目的ダム建設を推進するための制度面の充実が急がれた。当時、多目的ダムに関する法制度としては、「河川法第4条第2項の規定に基づく行動施設に関する建設省令」などによる多目的ダムの費用負担制度の法制化により整備されてきた。だがこれだけでは山積みされた難題を処理できなかった。
@施工面では事業者間で工事受託・委託の手続が必要で、経理面においても会計が別々で年度ごとに行われる工事費の受託・委託の手続が極めて複雑であった。
A管理面でも、河川管理者が一元的に管理するには他の事業者の同意が前提とされていた。
B農業関係団体など水利事業者の共有持分についての登記や担保の方法がなく財産管理上の位置付けが明確ではなかった。
 32年度国家予算でダム特別会計が承認される見込みとなったことを受けて、政府は河川法の特例を定める法律として「特定多目的ダム法」を制定したのである。
 同法は、多目的ダムに関する日本最初の統一法であり、主な骨子を見ると
@従来の受託・委託の方法ではなく、建設大臣(当時)が多目的ダムを建設する。
A建設大臣が多目的ダムの建設に関する「基本計画」「操作規則」を定め、多目的ダムの計画及び管理を一元的に行うことが出来る。
B建設費を負担する上水道、工業用水道、発電事業者の権利として「ダム使用権」を創設し、各事業者の投資を財産的権利として明確化。

 同時に「特定多目的ダム建設工事特別会計法」が制定された。これはその後道路、港湾、治水でも採用された特別会計の先駆けをなすものである。同法による多目的ダム建設事業の第一号は、美和(みわ)ダム(天竜川支流三峰川、重力式コンクリートダム、堤体高69.1メートル、旧建設省)であった。同ダムは治水効果とあわせて最大1万2200キロワットの発電を行い、さらには長野県河南土地改良区2709ヘクタールに農業用水を提供した。(同ダムは、今日堆砂量が計画の約2倍に達し土砂放出用バイパストンネルの建設工事が行われている)。美和ダム以降、33年に大野ダム(由良川)、市房ダム(球磨川)、目屋ダム(岩木川)、大倉ダム(名取川水系大倉川)、鹿野川ダム(肱川(ルビひじかわ))が建設され、特定多目的ダム事業は軌道に乗った。

 昭和20年から30年代前半までは大水害の時代だった。だが34年の伊勢湾台風の大水害(犠牲者5000人余)を境に、今度は大渇水の時代となった。全国主要都市で水不足が深刻となった。このため政府は、水資源確保を目指し同時に広域的用水対策を確立するため新たな公的機関を構想した。建設省(当時、以下同じ)は水資源開発公団、農林省は水利開発管理公団、厚生省は水道用水公団、通産省は工業用水公団をそれぞれ構想し譲らなかった。自民党水資源特別委員会でも別の機関の創設を検討した。各省の意見調整は難航を極めたが、首相池田勇人の裁定で公団への一本化が決定された。ダムや水源地をかかえる関係自治体の要望も組み込まれた。

 そして36年(1961)「水資源開発促進法」と「水資源開発公団法」が成立した。促進法は水資源の総合的開発や利水の合理化の促進を図ることを目標とするもので(1条)、政府は水資源の総合的な開発と利用の合理化を促進する必要がある水系を「水資源開発水系」として指定し(3条)する。その水系における水資源の総合的な開発と利用の合理化の基本となる水資源開発基本計画を作成しなければならないとした(4条)。利根川、淀川、筑後川、吉野川、木曽川、利根川・荒川、豊川の各水系について、基本計画が定められた。37年水資源公団が水資源の開発と利用のための事業を実施する法人として発足した。公団の任務は、ダム建設・管理の他に河口堰・湖沼水位調節施設・導水施設の建設、それらの管理運営を統一的に行うことであった。同年公団は山岳地の利根川水系矢木沢ダムと下久保ダムそれに淀川水系高山ダムの事業を建設省から引き継ぎ本格的建設に入った。


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