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◇ 2. 取水ダムの美しさ

 河川から用水路へ必要な水を引き入れる場合、河川の水位を一定に保つために、堰上げ施設を造る。この施設を取水ダム(頭首工)、堰という。

 さらに沢田氏は「美しいダムと水環境づくり」で取水ダムの美について、次のように筆を進めている。
 近代になって景観に工夫を施した取水ダムとして京都市嵐山の「一の井セキ」を挙げ、セキ上げてできた水面というのは、嵐山の山紫水明の地、昔から春秋には竜頭の舟を浮かべて王朝絵巻を再現するところで格別重要な意味をもっている。1950年に改修されるときにセキの基本構造は重力式コンクリートダムとなったが、なるべく自然の岩盤に模して工夫され、堤体コンクリートの表面には黒っぽい硬砂岩の自然石を逆張りすることになった。また、セキ下流の水たたき部や沈床等の工法も工夫して慎重に施工された。

 木曽川の犬山頭首工は愛知県、岐阜県にまたがる濃尾用水(取水量左岸40m3/s、右岸11m3/s)の取水ダムで、堤体平面形の軸線は曲率半径1 000mで上流側にコンベックス形とし、ピアの設計にも黄金比を参考にして形や寸法を決める等、バランスのよい安定感のある形状になるように工夫している。さらに左岸に犬山市、右岸に鵜沼市を擁する美しい水面には夏期に鵜飼舟を浮かべるなど水環境づくりに工夫している。「国宝の犬山城に負けないような景観のヘッドワークを造れ」というモットーの下に当時の木村久満所長や岡田昇工事課長ら設計、施工の関係者が精魂込めて完成させた、という。

「取水ダム」

「取水堰」

「日本の水景」
 取水ダムについては、実際に和歌山紀ノ川筋の国営取水ダム災害復興の設計に関与したことのある中谷強著「取水ダム」(東海出版・昭和34年)がある。この書は著者が実際に所長として自ら携わった富山県、早月川農業水利事業の「みのわぜき」の実施設計、施工を中心に取水ダムの技術論を展開している。
 同様な技術書として、狩野徳太郎著「取水堰」(地球出版・昭和46年)では、河川と取水堰について多くの実験を重ねた結果、取水堰の設置位置、設置方向の選定、河川の性格に適応する堰の種類、各部構造物の構成・配置、固定堰可動堰の安定計算、水理計算法、パイピングの防止工法、洪水による下流側法先きの洗掘防止工法などを論じる。

 取水ダムもまたハイダムづくりと同様に技術、環境、景観に配慮することは当然である。
 取水ダムの水景美については、篠原修・文「日本の水景」(鹿島出版会・平成9年)のなかで、土佐藩家老野中兼山の事跡として、麻生堰の糸流し、八田堰、小田方堰、河戸堰も紹介している。全ての堰を「落水表情の妙」と表現し、そのデザインは河川構造物として水理学的に合理的な形となっており、この形がその上を越流する水の表情としても実にまことに美しいのだと、と絶賛している。現在、高知県宿毛市に流れる松田川の河戸堰は改築され、「落水表情の妙」は消失してしまった。残念でならない。江戸時代の代表的な土木遺産として残せなかったのだろうか。

 なお、改築に当たって高知県宿毛土木事務所は、昭和50年松田川河川改修事業に着手し、治水上支障となるとして、河戸堰の固定堰の可動化工事を行った。事業計画は堰の文化財価値を配慮して右岸の一部を残存し、他を可動堰として再生するとともに、右岸側の河川敷地を親水公園とした。篠原氏が「落水表情の妙」と絶賛した河戸堰の空間的な景観美は今は見られない。野中兼山の偉業を残すために調査され、その報告書が高知県宿毛市教育委員会編・発行「河戸堰」(平成8年)として刊行された。その内容は河戸堰の発掘、河戸堰の歴史、松田川の流域と河戸堰の改築計画からなる。

 牧隆泰著「日本水利施設進展の研究」(土木雑誌社・昭和33年)で、多くの河川構造物・取水ダムを調査研究しているが、これ以上、この種の取水ダムを消滅させてはならない。


「河戸堰」

「日本水利施設進展の研究」

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