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◇ 10. 滝沢ダム(中津川)の建設

 中津川はその源を埼玉、群馬、長野の3県にまたがる三国山に発し、埼玉県秩父郡大滝村落合地内で荒川と合流する。滝沢ダムはこの荒川水系中津川の埼玉県秩父郡大滝村大字大滝字十々六木地区に荒川総合開発事業の一環として建設され、近々完成予定である。

 水資源開発公団滝沢ダム建設所監修「荒ぶる川の恵み−滝沢ダムものがたり」(水資源協会・平成8年)によるとダムは3つの目的をもって造られた。

@ 洪水調節
  ダム地点の計画高水流量1 850m3/sのうち、1 550m3/sの洪水調節を行い、300m3/sに低減させる。

A 流水の正常な機能の維持
  荒川沿岸の既得用水や河川環境のための用水などを補給する。

B 水道用水
  新たに水道用水として4.6m3/sを新規に開発し、埼玉県に対し3.74m3/s、東京都に0.86m3/sを取水可能とする。


「荒ぶる川の恵み−滝沢ダムものがたり」
 滝沢ダムの諸元をみてみると、堤高140m、堤頂長424m、堤体積約180万m3、総貯水容量6 300万m3、有効貯水容量5 800万m3、洪水調節容量3 300万m3、堆砂容量500万m3で、型式重力式コンクリートダムである。起業者は水資源機構、施工者は鹿島建設、熊谷組、錢高組特別共同企業体で、事業費は2 320億円を要した。
 なお、主なる補償は家屋移転112戸、土地取得面積274ha、付替道路13.7q、漁業補償、減電補償、高圧送電線移設補償、鉱業権補償であった。


 滝沢ダムの建設事業の経過は次のとおりである。

昭和44年4月 建設省滝沢ダム調査所開設
  49年12月 荒川水系 水資源開発水系に指定
  51年10月 建設省から水資源開発公団に事業継承
  63年12月 移転者(104戸)と損失補償基準妥結
平成元年3月 水源地域整備計画に指定
  4年11月 移転者(8戸)と損失補償基準妥結
  10年10月 一般国道140号大滝道路全線開通
  11年3月 ダム本体工事着手
  13年7月 ダム本体コンクリート初打設
  16年3月 付替道路中津川三峰口停車場線開通
    9月 ダム本体コンクリート打設完了
  17年10月 試験湛水開始
  20年3月 ダム完成

 滝沢ダム建設によって、大滝村の廿六木、滝之沢、浜平、塩沢地区112戸が移転を余儀なくされた。その人たちの移転まで追った滝沢ダム水没地域総合調査会編・発行「興懐」(平成5年)、新井靖雄写真集「奥秩父−ダムで移転した人びと」(埼玉新聞社・平成19年)がある。新井靖雄写真集の表紙をめくると、洗濯物が干してあり、その前に老女が座り込んで秩父の山々を眺めている。この老女から
 「明日、荒川村に引っ越すので、この風景は今日までです。ああ、良いところへ来てくれたね」と言われ、そのあとに撮影されたものである。滝之沢地区を離れがたい老女の心理状況がこの1枚の写真に見事に表現されている。新井靖雄さんは、水没地区の光景を17年間にわたってシャッターを押し続けていたが、シャッターを押せなかった苦しみもあったという。


「興懐」

「奥秩父−ダムで移転した人びと」
 水没するということは土地や家屋もそこで生活してきた全ての消滅に繋がってくる。幾千年にわたった大滝村の歴史、文化、生活、生業、遊び、また自然、動物、植物も少なからず消えることになる。

 合角ダムの水没地区と同様に、滝沢ダムでもこれらの記録を残す努力がなされ、次のような調査書が出来上がった。「秩父滝沢ダム水没地域総合調査報告書(上巻)自然編」(平成6年)は、地形、地質、地理、植物、動物編からなり、同「秩父滝沢ダム水没地域総合調査報告書(下巻)人文編」(平成6年)では、大滝村の歴史、近世産出木材の筏流し、地名、生活、民家、交通、運輸、信仰、年中行事、民俗芸能、口頭伝承等の貴重な調査内容となっている。

 以上、秩父地域における3ダムは、ともに洪水調節、水道用水等の治水と利水の役割を十分に果たしている。私たちは、ダム建設によって移転を余儀なくされた方々の恩を決して忘れてはならない。



「秩父滝沢ダム水没地域総合調査報告書(上巻)自然編」

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