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大町(関電)トンネルだけじゃない黒部ダム秘話

これは、本田典光様の投稿です。

はじめに

 本棚を整理していたら、いつ買ったか忘れてしまっていた1冊のマンガ本を見つけた。購入した当時、「黒四ダム」という文字が目に入ったので買ったのだと思う。

 その本の題名は「コミック版 プロジェクトX 挑戦者たち 厳寒の黒四ダムに挑む」。題名が「プロジェクトX」ということは、NHKが放映したものをマンガ化したものと思われる。しかし、残念ながらテレビで黒部ダム関係のプロジェクトXを見た記憶がない。

 調べてみると、本サイトのテーマページに「ダムの書誌あれこれ(4) 〜児童書〜」があり、その「ダム建設」の中に本書の紹介があった。その紹介のコメントは、以下のとおりである。

 NHKは、プロジェクトX挑戦者たちの番組で、「世界一のテレビ塔 333メ−トルの難工事東京タワ−」、「YS−11日本初の国産旅客機翼はよみがえった」、「スパル 360家族たちの自動車革命」など、高度成長期におけるサクセス苦心談を放映、人気を博した。このプロジェクトXシリ−ズの一つに黒部川第四発電所(黒四ダム)の建設についても放映された。このことを劇画にしたNHKプロジェクトX制作班・影丸穣也作画・脚本『厳冬黒四ダムに挑む』(宙出版・平成15年)が発行されている。間組の現場リ−ダ−中村精をはじめ、ダム越冬隊員となる医師鈴木康彦とその新妻との愛、標高2700メ−トルの山越えを行う岩井宰ブルド−ザ−隊、決死の雪上輪送、大町トンネルへの迎え堀りなどを描いている。それは過酷な自然環境と闘うダム造り、断崖絶壁に阻まれた人跡未踏の地のダム造りであった。昭和38年6月、工期7年間で黒四ダムは竣工式を迎えたが、最大出力 335,000kwの電力を生み出すために 171人の犠牲者を出した。

 しかし、この紹介の文章だけでは黒部ダム建設の苦労が表現できていないように思う。
 昔、先輩に「ダムと砂防は、山が好きかダムが好きでないとやってられない。」と言われた言葉を思い出す。若い頃にダム建設に従事したが、当時は若気の至りで都会(ネオンかな?)にあこがれて、交通の便がよくない、さびしい山での仕事はいやだった。研修などで都会で仕事をしている同期の連中と話すと「都会の生活はいいなー。」と思ったものである。今、思うと「もっと真剣にダムの仕事をやっていれば・・・。」とちょっぴり後悔が残る。

 1968年公開の映画「黒部の太陽」は、1964年に木本正次氏が発表した小説を原作に大町(関電)トンネルの工事をメインに描いているが、黒部ダム建設工事の苦難は大町トンネルだけではなかったようだ。
 黒部第四発電所建設工事の第一工区(工事内容:ダム本体、取水口、水路トンネルの一部、大町トンネルの一部(迎掘り)、御前沢渓流取水)を請負った間組の苦労は、第三工区(工事内容:大町トンネルの大部分、黒部ルートトンネルと水路トンネルの各一部)を請負った熊谷組の工事に勝るとも劣らない過酷な工事だったのかもしれない。
 映画「黒部の太陽」は第三工区の熊谷組の大町トンネル工事がメインであり、第一工区を請け負った間組関係者として所長代理の国木田(加藤武)をはじめ、大野間組工事課長(高津住男)、上條班班長(大滝秀治)、上條班労務者(嶺田則夫)が登場するが本書にはそのような人物は出てきていない。


『コミック版 プロジェクトX挑戦者たち―厳冬・黒四ダムに挑む』
影丸 譲也, NHKプロジェクトX制作班
宙出版
内容概略

 この物語は、間組の黒部大ダム建設所堰堤課長兼設備課長である「大まむし」と呼ばれた中村精(なかむら くわし)氏をメインに書かれている。
 間組は、第一工区のダム本体、取水口、水路トンネルの一部、大町トンネルの一部(迎掘り)、御前沢渓流取水の工事を42億9324万円で請負った。ちなみに熊谷組が請負った第3工区は、大町トンネルの大部分、黒部ルートのトンネルと水路トンネルの各一部の17億8180万円であるから、間組に対する関電の期待は相当なものであったと思う。
 関西地方の電力需要のひっ迫からダム竣工までの工期が短く、早急に大町トンネルの迎掘りをおこなう必要があった。だが現地まで資材を運搬する道路がないため、間組は全国から「強力」(ごうりき:登山者の荷物を背負い道案内をする人)を4000人集めて、人力による資材運搬をおこなった。しかし人力による資材運搬には限度があり、重機等の大型機械の搬入ができないため、中村は、本社と掛け合ってブルドーザー等の重機を現場に運び込むこととしたが、その方法がすごい。秋に富山県立山の一ノ越までブルや重機類を上げて、春先の残雪を利用して作業現場までおろすという作戦である。(雪上輸送といっていた。)
 ブルドーザー隊は、9月に立山の一ノ越までブルや重機類を上げて、シートで覆い越冬させた。翌春、立山の一ノ越から作業現場へ下ろすための作業を開始したが、ブルが凍っていたり、吹雪に遭遇したりと大変な作業あった。幾多の苦難を乗り越えてブルドーザー隊は、無事黒部ダム建設現場に到着する。
 雪上輸送とは別に、トンネル工事と本体準備工事を少しでも進捗するため越冬隊を組織して、御前谷の越冬宿舎での生活が始まった。真冬の大町トンネルの迎え掘りの作業は、出水に悩まされながらの作業であった。越冬は、世間から完全に隔離された世界での生活であり、越冬隊は大変な苦労をする。(吉村昭の「高熱隧道」と通じるものがある。)生活環境や食糧事情の悪い中の作業であったが、春になり工事部隊が作業現場に登ってきたことで越冬隊は工事部隊と入れ替わりに下山していった。
 順調に進捗すると見えた大町トンネルの迎掘りも、熊谷組のトンネル工事同様、破砕帯からの出水に悩まされ作業が大きく遅れていく。仮排水トンネル、仮設備の工事が進捗していく中、遅れていた本体の掘削を一般的な本体掘削工法であるベンチカット工法から大発破という法面全体を一度に発破する計画に変更することとした。昭和33年6月20日に大発破を成功させ、ダム建設工程の遅れを取り戻し、昭和38年5月にダム本体関係の工事終了、同年6月5日竣工式を行った。
 また、ここには書かなかったが宇奈月町の医師鈴木康彦先生と奥様のエピソードも泣かせる。

おわりに

 現代のダム建設工事に比べると黒部ダム建設当時の土木工事の施工方法は未熟で、安全性についても現代の工法に比べ問題が多くあったと思う。また現地の生活環境もよくなかったはずである。しかし、当時のダム建設に携わった人々は、多くの困難に耐え克服しながら、ダムを造るという使命に燃えて現場を動かしていったのだと思う。
 多くの尊い人命が失われたことも事実である。そういった事実を踏まえダム工事を含め現代の全ての土木工事では安全重視の工事がおこなわれている。
 また、ダムを造るということはダム技術者や作業員だけではなく、多くの人に支えられていることも事実である。本書では宇奈月ダム町の医師鈴木先生が登場するが、鈴木先生の医師として、また一人の人間としての苦心、苦労によって越冬隊員が助けてもらったことも大きい。また、私がダムの現場にいた時には、現場担当や積算担当の補助者として働いてもらった多くの人たちに助けられた。また賄いや掃除のおばさん達など多くの人たちに支えられたことで、巨大なダムが完成したことも忘れてはならない。

 最後に本書の題名は「コミック版 プロジェクトX 挑戦者たち 厳寒の黒四ダムに挑む」であるが、当該ダムの正式名称は黒部ダムである。黒四ダムとは黒部ダムの別称で、黒部川第四発電所の発電用水の貯水ダムのであることから黒四ダムと呼ばれていることを申し添えておく。

[関連ダム]  黒部ダム
(平成28年8月作成)
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