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■子どもたちから見たダム建設

 ダム建設によって村が沈むことは、ふるさとの喪失につながっていく。その地で培ってきた生活、民俗、文化の無形的なものも消えていく。子どもたちもまた野で遊び、川で遊び、友と遊んだ記憶も薄れていく。

 鈴木実著、久米宏一画『ふるさともとめて花いちもんめ』(新日本出版社・昭和51年)は、山形県の白川ダム(堤高66m、堤頂長 348.2m、総貯水容量 5,000万・、昭和56年完成)を舞台としている。白川は、飯豊連峰に源を発し、山形県を南から北に貫流する最上川に流れ込む。昭和42年8月 300┝の豪雨による水害が生じ、その水害防除と利水を図るために白川ダムの建設が行われた。六つの集落と一つの学校がダム底に沈んだ。補償対象は水没農家、耕地が80%沈む準水没農家、非水没農家(少数残存農家)など併せて 100世帯が生活の場を失う。このようなダムに沈む村を背景として、大人たちの悲喜劇を子供たちの眼で追っている。ふるさとに残る子どもたち、ふるさとから去っていく子どもたちを、寂しげながらも暖かい目でみつめている。著者は小学校教諭である。


 同様に教諭である川村たかし著『川にたつ城』(偕成社・昭和54年)は、奈良県十津川の風屋ダム(堤高 101m、堤頂長 329.5m、総貯水容量 1億 3,000万m3、昭和36年完成)を舞台としている。ダム建設が始まると小学校に18人の生徒が転入してくる。工事に携わる者の子ども、工夫の子ども、補償金目当ての移転者の子どもである。この子どもたちと地元の子どもたちのダムをめぐる騒動、そして交流、友情、別れを描写する。ダムは大人だけの問題ではない。子どもたちの人生にも大きな影響を及ぼすこととなる。

 ところで、俳聖松尾芭蕉は <さまざまの ことを想い出す 桜かな> と詠んでいる。
 岐阜県白川村の御母衣ダム(堤高 131m、堤頂長 405m、総貯水容量 3億 2,965万m3)の水没から、桜を守った美しい話がある。神戸淳吉著、清水勝絵『ふるさとのさくら』(岩崎書店・昭和52年)には、電源開発(株)の関係者によって、4百年生の荘川桜2本をダムサイトに移植させ、その移植が成功したときの、ふるさとを喪った人々の喜びの心情を描いている。
 この書のあとがきに「このような移植は世界でも例がなくまことに至難のわざでした。それだけにダム完成と同じ年(昭和36年)の5月、ダムサイトに移されていた桜がみごとに根づき、芽ぶいたとき、人びとは奇跡だと驚きました。なんと、たくましい生命力でしょう。ふるさとを失った人たちのふるさとを慕う思いが、2本の桜の老樹−荘川桜にしっかりとうけつがれたからです。」と記してある。


 ダム湖畔には、電源開発(株)総裁高碕達之助が詠んだ <ふるさとは 水底となりつ うつくしき この老桜咲け とこしへに> の歌碑が建立された。
 この御母衣ダムを舞台とした、早船ちよ著、塚谷政義絵『ダムサイトのさくら』(毎日新聞社・昭和46年)、他に、獏次郎著・発行『ダムの谷間のサムライたち』(昭和53年)が刊行されている。


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