全項目表
 
ダム番号:881
 
出し平ダム [富山県](だしだいら)



ダム写真

(撮影:灰エース)
061738 だい
051276 Dam master
061736 だい
051282 Dam master
  →ダム便覧トップ写真   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
排砂設備を整備
___ 黒部川の流域は日本でも有数の土砂流出の激しい地域。貯水池に流入した土砂を排砂し、ダム機能を維持するため、堤体の左右両側に排砂設備を設置。日本で最初という。91年12月に日本初の排砂実験。2001年6月からからは宇奈月ダムとの連携排砂を実施。一方、排砂が原因で漁業被害が生じたとして、2002年12月に富山県の漁業者が損害賠償などを求め関西電力を提訴。
新柳河原発電所で発電
___
宇奈月ダムのダム湖の湖岸に関西電力新柳河原発電所がある。上流の出し平ダムから取水して、ここで発電。新柳河原発電所は、湖上に浮かぶ城をイメージして作ったらしい。
[写真](撮影:Dam master)
テーマページ ダムインタビュー(78) 橋本コ昭氏に聞く 「水は土地への従属性が非常に強い,それを利用させていただくという立場にいないと成り立たない」
ダムインタビュー(48) 吉津洋一さんに聞く 「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (12) 最終回 河川環境重視と国民に開かれた河川・ダム行政
左岸所在 富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯36度46分13秒,東経137度37分52秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  宇奈月(6km)  小屋平(7km)  北又(9km)

河川 黒部川水系黒部川
目的/型式 P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 76.7m/136m/203千m3
流域面積/湛水面積 461.2km2 ( 全て直接流域 ) /35ha
総貯水容量/有効貯水容量 9010千m3/1657千m3
ダム事業者 関西電力(株)
本体施工者 前田建設工業・西松建設・飛島建設・鴻池組
着手/竣工 1980/1985
ダムカード画像コレクション
出し平ダム
リンク DamJapan・出し平ダム
Damnist・出し平ダム
THE SIDE WAY・出し平ダム
ウィキペディア・出し平ダム
ダムマニア・出し平ダム
ダム湖の風景・出し平ダム
ダム好きさん【出し平ダム】
ピンクのうさぎ ダムめぐり・黒部渓谷鉄道 その3
水力ドットコム・音沢発電所
水力ドットコム・新柳河原発電所
雀の社会科見学帖・出し平ダム 見学 その1
参考資料
■出し平ダムの施工について:杉木清・岩沢隆・金谷賢生
【ダム日本 No.481(S59.11)】
■新愛本水力発電所・出し平ダムの施工について 関西電力叶V愛本水力発電所建設所第一工区 区長 岩 澤 隆
【第17回ダム施工技術講習会(S60.07.19)】
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】左岸所在地[下新川郡宇奈月町黒部奥山国有林→黒部市宇奈月町黒部奥山国有林] 河川名[黒部川→立目ノ沢川]
【07当初→07最終】河川名[立目ノ沢川→黒部川]
【08最終→09当初】堤高[76.7→77]
【09当初→09最終】堤高[77→76.7]
【12最終→13当初】本体施工者[前田・西松・飛島・鴻池→前田建設工業・西松建設・飛島建設・鴻池組]

■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

ダムインタビュー(48)
吉津洋一さんに聞く
「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」

出し平ダムで経験した黒部の自然のすごさ

中野: 出し平ダムで黒部に対してどのような印象をもたれました。

吉津: 出し平ダムで驚いたのは、水の流れの力です。ダムを作る時には、仮排水路トンネルを作り本川の流れを引き込みますが、洪水時には狭いトンネルの中に大量の水が流れ込みます。洪水警戒中のある日の夜、ダム管理所からダム現場の方を見てますと、真っ暗闇の中でチカチカと光るものが見えました。何かと思い、恐る恐る行って見ましたら、「ガツンガツン」とものすごい音をたてて、洪水とともに流れてきた岩石同士が水中でぶつかりあい火花を散らしていたのです。幾度か洪水が仮排水路では吐ききれずに上流仮締切を越えて来たことがありますが、洪水の後、直径が数メートルもあるような巨岩がダム現場の中で見つかったこともありました。

中野: それほど急流なんですね。

吉津: もう一つ自然のすごさを示す話があります。一般的に、ダムの施工では、自然の不確実性の影響を受ける掘削が終わると大体九割ほど仕事が終わったようなものと言われます。コンクリートダムの場合は、掘削のあとは積み木を積んでいくような仕事になります。出し平ダムでは昭和58年6月23日に、初打設を迎え、御輿(みこし)をかついでみんなでお祝いしました。これで残りの工事は順調にいくと思っていましたら、7月に10日間で800ミリという大雨が降り、間隙水圧の上昇によってダム左岸の岩盤が崩落し、それに輪をかけるように上流仮締切を洪水が越流してきました。水が引いた後、驚いたことに、初打設したコンクリートの上に10mくらい土砂が貯まっていました。結局、もとの河川と同じくらいこところまで河床が上がってしまったのです。その時、黒部の自然は、人間が手間暇かけて作ったものを一瞬にしてもとに戻してしまう、なんとすごいんだろうと思いました。

出し平ダム(工事中)

出し平ダム(工事中)
黒部での仕事は、一勝一敗だった

中野: 人間の力に対して自然の脅威は凄いですね。

吉津: 洪水が上流仮締切越流したときに、自分が設計した構造物が壊れていくところを目のあたりにしました。これは衝撃的ではありましたが、まるで実物大の水理実験を見ているようで、構造物がどこからどういう順番に壊れていくかがわかり、とても貴重な経験だったと思います。
 例えば、下流仮締切は災害復旧が容易なように土堰堤で造っていたのですが、下流側からのパイピングで上流側に崩れました。上流面の張りコンが、ブロックごとにスローモーションを見るようにスッーと滑り落ちていきました。
 なにくそと思い、上下流仮締切の復旧工事では、人からは何故こんなに頑丈な構造物を作るのかと冷やかされるくらい剛な構造にしました。1年後に、もう一度洪水が越流したのですが、このときはちゃんと耐えたので、自然との勝負としては一勝一敗ですね。

 ・・・→ 全文はこちら
(2014年1月作成)


→ ダム便覧の説明
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
ダム便覧内の写真、文章、データなど全ての内容の無断転載を禁じます。