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ダムインタビュー(48)
吉津洋一さんに聞く
「先人から受け継いだ素晴らしい‘くろよん’をしっかり守り、引き継いでいきたい」

 関西電力(株)北陸支社長の吉津洋一(よしづよういち)さんは、これまで黒部川水系のダム現場をかわきりに複数のダムの計画・設計・施工に携わってこられました。
我が国のダム事業の歴史の中で、苦難の連続であった「くろよん」建設は余りにも有名ですが、今年はその「くろよん」建設から50年が経ちました。そうした中、地元黒部市と協力して、「くろよん50周年記念講演会」を企画され、当時ダム建設に従事されていた関西電力や建設会社のOBを招いて、実際の現場で汗を流した方々の生の声を聴くことのできる機会を産官学の約200名の方に提供されました。
 今回は、吉津さんに、黒部川水系における関西電力の水力発電の歴史や、東日本大震災以降、国内の原子力発電所がすべて停止する中、電力の安定供給を下支えし再生可能エネルギーの一つとして力を発揮している水力発電の将来についてどのような見通しがあるかや、海外での水力発電事業プロジェクトに携わられた時の苦労話など、ダムと水力発電の関わりについてさまざまな角度からお話を伺います。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)


ダム事業との関わりについて

中野: 吉津さんは、東大で高橋裕先生に教わったと伺っておりますが、当時からダムに興味があったのですか?また卒業されてから関西電力に入られたきっかけを教えてください。

吉津: もともとダムや吊り橋などの大きい構造物に興味がありましたが、研究室は橋梁研究室に所属していました。大学四年の時、就職希望について就職担当の先生と相談する機会がありましたが、子供の頃に「黒部の太陽」の映画を見て「くろよん」を造った関西電力に興味があったのと、地元が兵庫県ということもあり関西電力も希望先の一つにしていました。当時は、企業からオファーがあってこちらの希望があえば始めてマッチングということになるのですが、その年はたまたま関西電力の求人がなかったのです。それで先生が、先方に尋ねてみることになり、その場で、関西電力の同窓生に電話をかけてくださいました。すると明日来てくれと言っているという話になり、一度会って話を聞いてみたらということで伺いましたら、すでに就職内定という話になっていて、その頃ちょうど和歌山県の御坊(ごぼう)火力発電所という日本で初めて海を埋め立てて造る建設工事のプロジェクトがあり、君が来てくれたらそこを担当してもらおうと考えていると、とんとん拍子に上の方に紹介されました。
 当時、土木系の人が就職する先は、電力、国鉄、役所、ゼネコン等でだいたい頭数も決まっていました。よほどここに行きたいというのがあれば別ですが、土木のメンバーでおおよそ話し合ってどこに行くかの話が進んでいった時代でした。土木系から総合商社に行ったりする者が出始めたのはしばらくしてからです。そういう中で、私自身はゆっくり時間をかけて考えたいなということもあったのですが、現実にはご縁があって急速に話が進展し、よろしくお願いしますと返事をしたという次第です。

中野: その時、関西電力に入社されたのは東大土木からはお一人ですか?

吉津: そうです。もともと求人がなかったくらいですから。

中野: でも初めて担当された部署は、御坊発電所ではなくて黒部川の水力調査所だったのですか?

吉津: 私自身、黒部川でダムプロジェクトがあると聞いていて興味はあったのですが、御坊火力という人工島に行くという話になっていたので、希望通りにはいかないと思っていました。でも実際は、御坊発電所ではなくて黒部川の水力調査所でした。
 四月に入社すると大阪府の茨木市に関電学園というのがあり、そこに研修に二週間ほど入ります。私は東京にいましたので車に布団等を積んで兵庫県の伊丹市にある実家に帰り、関電学園で研修を受け、勤務先が黒部川の水力調査所ということになり、荷物を降ろさずそのまま宇奈月まで運転していった記憶があります。宇奈月は4月後半でもまだ道路脇に雪が残っており、たいへんな山奥に来たなという印象があります。

中野: それで黒部の調査所に行って土木の設計をされたと。

吉津: ここは、新愛本水力発電所(現音沢発電所)の準備段階の組織でしたので、仕事としてはもっぱら出し平ダムをはじめ、土木構造物の調査・設計や、NATMやTBM(トンネル・ボーリングマシン)など、導水路トンネルの海外文献調査の仕事をやっていました。


土木系のエンジニアの仕事

中野: 土木系のエンジニアとしては電力会社では、どういうお仕事があるのでしょうか?

吉津: 発電所は、水力、火力、原子力とありますが、これを造るには必ず土木工事を伴います。水力は土木工事が多いのですが、火力、原子力の場合も、場合によっては海を埋め立てて造成したり、山を切り拓いたりする土木工事や、地質調査をしたり、あるいは、最近話題の活断層調査なども土木部門の仕事です。土木構造物の安全性を確保するための調査・設計・施工監理や維持・管理を担当するのが土木の仕事になります。
 火力、原子力は、それぞれ火力事業本部、原子力事業本部が主管部門で、土木はその下請けという形です。その点、水力は土木が主管になりますから、水力発電所のダム、トンネル、発電所などの構造物を造るための調査、設計、施工監理が一通り経験できるようになっています。もっとも現在、国内ではダム建設を伴うプロジェクトはありませんから、維持管理が主な仕事です。古いものでは100年以上維持管理している発電所もありますので、性能や健全性を診断して、長期間使用できるように保全していく仕事です。以前は構造物を造るのが主体でしたが、今は維持管理が主体になっています。

黒部川における水力電源開発について

中野: 黒部川水系での電力開発の歴史について教えてください。



吉津: 最初は、大正初期に福沢桃介(木曽川開発で有名な電力王)が黒部川の電源を調査し始めたと聞いていますが、黒部川の河口にある入善町に日清紡績という会社の工場を造って、そこの電力を賄おうという計画だったそうです。しかし、そのプロジェクトはうまく行かず、次に東洋アルミナム(株)の代表取締役高峰譲吉が、黒部川の水力発電でアルミ冶金工場の電力を賄おうと考え、山田胖という東京大学土木出身で逓信省に入省していた人間を引き抜いて黒部川上流域の調査に当たらせました。
 実際は、東洋アルミナムの工場も実現しませんでしたが、大正12年に、五大電力の一つである日本電力(株)に電源開発の主体が引き継がれてからは、下流から上流に向かって、昭和2年に黒部川第一発電所に相当する柳河原発電所が、昭和11年に黒部川第二発電所が、昭和15年に黒部川第三発電所が開発されました。その後、昭和26年に現在の9電力体制になり、関西電力(株)になってから黒部川黒四発電所(通称くろよん)の開発に取り掛かりました。
くろよん建設の決断

中野: 3000m級の山々のすぐそばの黒部川最上流部にあるダムは、なぜここにダムを…という程、難易度の高い事業に思えますが、そこまでしても関西電力としてはどうしても水力発電をやらなければならなかったのでしょうか?初代社長の太田垣氏の思いとして、今でも社内に伝わっているエピソードはありますか?

吉津: 太田垣のエピソードはいろいろありますが、その中でも私が好きなのは「経営者が十割の確信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちに入らない。七割の可能性があれば勇断をもって進める。そうでなければ本当の事業はやれるものではない。」というメッセージです。昭和30年秋、戦後復興需要で電力不足が大きな社会問題となる中で、それまで火力よりも水力を主体として開発を進めてきた電源構成が、やがてベース負荷を火力が担い、ピーク負荷を水力が担う火主水従に変わることを予見した太田垣は、負荷調整力に優れる貯水池式発電所がどうしても必要になると確信し、社運を掛けて、前人未到の黒部奥山に黒四を建設することを決断しました。ところが、着工後まもなく、建設資材輸送の要である大町トンネルが大破砕帯に遭遇したんです。

中野: そうですね。太田垣社長は、自ら現場に行かれたという話をお聞きしました。

吉津: 昭和31年8月に大町トンネル掘削工事が開始されたのですが、翌32年5月に破砕帯に遭遇しました。掘削を続行するか他のアクセスを考えるか、大きな決断をする時だったのですが、太田垣社長は現場に出向き、危険だからと部下が止めるのも聞かず、仕事を依頼した自分が行かなくてどうするのかと言って水が吹き出す切羽まで行きました。その時一緒に行かれたのが、当時の熊谷組笹島班の班長(現笹島建設会長)笹島信義さんだったのです。
 切羽で、太田垣は「どうだ、掘れるかね」と笹島氏に問いかけ、「なんとかなるでしょう」という答えが返ってきたことで、このルートを維持することを決めました。そして宇奈月で、笹島氏に、「日本の土木の名誉にかけて堀り抜いてください」とはがきを書いています。危険な現場にもかかわらず切羽へ行き、作業員に声をかけた太田垣の、何としても掘り抜きたいという思いが関係者全員に伝わりました。笹島氏によれば、これでトンネル作業員の意識がガラッと変わったそうです。
 太田垣は本社に戻り「エンピツ1本、紙1枚を節約して、黒四に手を貸そう」と呼びかけ、社員全員にくろよんを支援しようという機運が広がっていきました。
 少し話しが外れますが、3.11以降、原子力発電の安全性が大きな社会問題となる中で、大きなプレッシャーを受けながら、2年前の7月から昨年9月まで安全・安定運転を完遂した大飯3,4号機の運転員やメーカーの皆さんに対し、関西電力社員が全社をあげてエールを送りましたが、今も「くろよんスピリット」がしっかり受け継がれていることが実感できた出来事でした。

黒四を支援する、くろよんスピリット

中野: 全社一丸となって、苦難を乗り越えていかなければならない試練の時だったのですね。ところで、笹島様は、今年、秋の叙勲で瑞宝単光章を受けられましたね。

吉津: 熊谷組の大田会長にお聞きした話ですが、最初は自分は勲章をもらうような人間ではないと固辞されておられたようですが、破砕帯突破の労苦を共にした仲間のために受章してほしいという声に背中を押されたと聞いています。受賞されてほんとうによかったと思います。

黒部での難工事

中野: 吉津さんご自身は「黒部の太陽」をご覧になって関西電力に入られたということですが、くろよん以外のダム、発電所建設での難工事のエピソードはありますか?

吉津: 黒部川第三発電所は、吉村昭氏の小説でも有名な「高熱隧道」の舞台になった所です。黒部の険しい渓谷での発電所建設は、いかにして資材を運びこむかというのがいつも問題になりますが、トロッコ電車では線路勾配の限界がありますので宇奈月から欅平までしかレールが引けません。そこで、欅平で200mの竪坑を堀ってエレベーターを設置し、トンネルの中をバッテリーカーを走らせる上部軌道を上流へ伸ばしていきました。ここで高熱地帯にぶつかったのです。160℃を超える岩盤温度にダイナマイトが自然発火して、多くの人命が奪われたということです。また、従業員が越冬している時に、泡雪崩によって、宿舎ごと一山越えたところまで飛ばされたという悲惨な出来事もあったそうです。命を掛けて黒部の奥山に挑んだ先人の意志の高さと筆舌に尽くしがたい労苦には、心から敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。

黒部川の環境問題

中野: 多くの方々の尽力で、電力を確保することでき、日本の発展につながっていくのですね。
 よくダムができると川が死んでしまうと言って反対運動が起きるのですが、黒部川の自然環境に対してお話を伺いたいと思います。ダムの影響度というのはどのように把握されていますか? 抱えている問題点、課題というものはどういうものですか?また、京都大学の角先生が研究されている連携排砂は、黒部川ではどういうふうに行われているのでしょうか?

吉津: まずダムが出来ると流水と流砂が遮断され、上下流の連続性が途切れてしまうことで、環境に対してさまざまな影響を与えます。まず、流水遮断に関しては、ダムから河川維持流量を放流することによって、河川生態系や河川景観を維持することはできます。しかし土砂がせき止められますと、ダム上流では堆砂によって河床が上昇し、逆にダム下流では河床が低下します。また、河口では土砂の供給が減少し海浜が後退します。
 黒部川では、それらの現象を緩和するために出し平ダムと宇奈月ダムで毎年連携排砂を行っています。その結果、浸食された海岸線がもどりつつあります。連携排砂が生態系に与える影響については、下流河川や沿岸域で、生化学的指標を定点観測しており、影響は排砂中の一時的なものであることを確認しています。


出し平ダムで経験した黒部の自然のすごさ

中野: 出し平ダムで黒部に対してどのような印象をもたれました。

吉津: 出し平ダムで驚いたのは、水の流れの力です。ダムを作る時には、仮排水路トンネルを作り本川の流れを引き込みますが、洪水時には狭いトンネルの中に大量の水が流れ込みます。洪水警戒中のある日の夜、ダム管理所からダム現場の方を見てますと、真っ暗闇の中でチカチカと光るものが見えました。何かと思い、恐る恐る行って見ましたら、「ガツンガツン」とものすごい音をたてて、洪水とともに流れてきた岩石同士が水中でぶつかりあい火花を散らしていたのです。幾度か洪水が仮排水路では吐ききれずに上流仮締切を越えて来たことがありますが、洪水の後、直径が数メートルもあるような巨岩がダム現場の中で見つかったこともありました。

中野: それほど急流なんですね。

吉津: もう一つ自然のすごさを示す話があります。一般的に、ダムの施工では、自然の不確実性の影響を受ける掘削が終わると大体九割ほど仕事が終わったようなものと言われます。コンクリートダムの場合は、掘削のあとは積み木を積んでいくような仕事になります。出し平ダムでは昭和58年6月23日に、初打設を迎え、御輿(みこし)をかついでみんなでお祝いしました。これで残りの工事は順調にいくと思っていましたら、7月に10日間で800ミリという大雨が降り、間隙水圧の上昇によってダム左岸の岩盤が崩落し、それに輪をかけるように上流仮締切を洪水が越流してきました。水が引いた後、驚いたことに、初打設したコンクリートの上に10mくらい土砂が貯まっていました。結局、もとの河川と同じくらいこところまで河床が上がってしまったのです。その時、黒部の自然は、人間が手間暇かけて作ったものを一瞬にしてもとに戻してしまう、なんとすごいんだろうと思いました。

出し平ダム(工事中)

出し平ダム(工事中)
黒部での仕事は、一勝一敗だった

中野: 人間の力に対して自然の脅威は凄いですね。

吉津: 洪水が上流仮締切越流したときに、自分が設計した構造物が壊れていくところを目のあたりにしました。これは衝撃的ではありましたが、まるで実物大の水理実験を見ているようで、構造物がどこからどういう順番に壊れていくかがわかり、とても貴重な経験だったと思います。
 例えば、下流仮締切は災害復旧が容易なように土堰堤で造っていたのですが、下流側からのパイピングで上流側に崩れました。上流面の張りコンが、ブロックごとにスローモーションを見るようにスッーと滑り落ちていきました。
 なにくそと思い、上下流仮締切の復旧工事では、人からは何故こんなに頑丈な構造物を作るのかと冷やかされるくらい剛な構造にしました。1年後に、もう一度洪水が越流したのですが、このときはちゃんと耐えたので、自然との勝負としては一勝一敗ですね。

ダムでもパイオニア精神

中野: その後、現場から北陸支社に戻られ、海外に研修に行かれた経緯を教えてください。

吉津: 今はそういうプログラムがありませんが、昭和63年1月から5ヶ月間、海外電力調査会を通じて、北米に研修にいきました。いろいろな電力会社から一名ずつ、総勢6名のチームで渡航しましたが、各人が違うテーマを持っていましたので、語学研修以外はみんな別行動でした。私は5ヶ月の間に、アメリカ23州、カナダ5州を飛びまわり、主要な水力発電所やダムを見学し、電力会社の技術者と様々なディスカッションをしてきました。

中野: 63年頃は水力発電を盛んにやっている時でしたから、海外の水力発電所をご覧になってどうでしたか。

吉津: RCCダムの建設は1980年代の初めにアメリカで始まりましたが、米国初のRCCダムである工兵隊のウィロークリークダム(ワシントン州)は下流面の仕上げが悪く、漏水も見られ、下流から上流の湛水位がわかるほどでした。最初に見た時、砂漠のような平坦なところにダムがあり、それも治水ということでしたから、本当にこのダムは必要なんだろうかというのが率直な感想でした。ところがそこからの帰り道、突然バラバラと小石大の雹(ひょう)が降り出して、やがて道路脇の斜面から土石がごろごろと流れ出して行く先を塞ぎ、それ以上進めなくなってしまいました。自然現象にもいろいろあるなと思いました。
 もう一つのRCCダムは、開拓局のアッパー・スティルウォーターダム(ユタ州)ですが、私が行った時は、堤体は完成しており、約1/3まで水位をあげていました。監査郎内でかなりの漏水が見られましたので、「これ以上、水位を上げても大丈夫か」と所長さん聞いたところ、「この程度の問題は人知を結集すれば解決できる。むしろ、RCC工法に新たな改善を加えることによって、科学技術に貢献できたことが誇らしい。これからも新たなチャレンジがどんどん出てくるだろう」という答えが返ってきました。アメリカのパイオニア精神に触れ、たいへん感動しました。

電力の土木屋の仕事

中野: 北米研修後、総合技術研究所に従事されますが、そこでは海外の事例などを研究されたのでしょうか。

吉津: これは全く違いまして、電力の土木屋はいろんな仕事をするわけで、私も建設だけにかかわっているわけではなく、ダムの環境に関するいろんな問題に携わりました。この時は、環境技術研究センターというところでダムに発生する淡水赤潮の研究をしました。
 赤潮は通常は海に出るのですが、ダム湖でもある程度栄養分が増えてくると、渦ベン毛藻という植物プランクトンが大量発生して赤潮が発生することがあるのです。もともと環境技術研究センターというのは、CO2を植物プランクトンで回収する研究をメインにしていましたが、私は淡水赤潮を生分解性凝集剤を使用して除去する研究を担当しました。
 生物の知識がなかったため、つくばにある工業技術院微生物工学研究所に3ヶ月程弟子入りすることになりました。当時はバイオが盛んな時でいろんな企業からの研修者を受け入れていましたが、オリエンテーションのたびに呼び出され、「100mのダムを造っていた人間が今はこの研究所に来て頑張っているくらいなので、皆さんにも必ずできます。」と紹介されました。(笑)

「no action talk only」海外で仕事をする難しさ

中野: そうだったのですね。海外の話に戻りますが、本庄さんのインタビューの時、受注したエリククリークダムは、工事途中で中止したとお聞きしました。考え方も違うので、日本が海外で仕事をとるのは大変ですね。東南アジアへ行かれていますが、海外の水力発電の開発はどうでしたか。

吉津: 2000年頃から電力にも自由化の波が押し寄せてきました。それ以前には電力会社はドメスティック(国内的)な地域独占的企業で、海外に調査団を出すことはあっても、海外事業など考えも及びませんでした。それが電気事業法改正によって規制が緩和され、海外事業もしていいことになったため、土木部門には俄然海外進出の気運が出てきました。
 1998年4月、商社からの持ち込み案件で、フィリピンのサンロケ・プロジェクトに参画しましたが、これがうまくいったことで、今度は自らプロジェクトを発掘しようということになりました。そこで、東南アジアの国々を対象に、未開発水力ポテンシャル、国民一人あたりの電力使用量、経済指標、政治リスク等を精査した結果、次のターゲットとしてはミャンマーがいいということになりました。

 そして、1999年12月に、第一回ミャンマー調査隊が派遣され、私もそれに加わりました。その頃ミャンマーでは、電源開発、東京電力、東北電力などがすでに活動をはじめていましたので、これに遅れてはなるまじと、ミャンマー電力公社に行き、「水力地点調査のお手伝いをしてあげましょう」と少し上から目線で話しましたら、総裁に「ナトー(nato)」と言われました。「no action talk only」 のことで、日本人は調査だけで、実際に発電所に投資をしない。
 調査だけなら必要ないから帰れと言われましたが、すごすごと帰国する訳にもいかず、手弁当でいくつかの地点を調査したうえで、数年以内に有望な地点を見つけてIPP事業候補とするので、ご協力頂けないかということを申し入れました。


ミャンマーで
 8地点の調査を実施することで合意ができたので、そこから必死になって調査をしました。道案内と人手不足を補う必要から、現地の技術者を連れて調査に出かけ、日本で後輩を指導するような感じで、技術を教えました。これが効を奏しまして、 関西電力はなかなかいいということになり、2001年に、ミャンマーの経済発展に水力発電をメインに置こうと「水力開発5ヶ年計画」が策定された際、関西電力が政府公認のコンサルタントに選ばれました。他の先行していた電力会社には申し訳なったのですが、そこは義理固い国で完全に一社だけに絞られてしまいました。ミャンマーは2011年3月に軍事政権から民主政治に移行しましたが、まだ海外投資を呼び込むための制度が十分できていません。また、有望な水力地点には中国の影響が強く及んでおり、ここで水力IPP事業を立ち上げるにはしばらく時間がかかりそうです。

中野: その国その国の事情があるのですね。

吉津: そうです。ミャンマーの後、ラオスの水力IPP事業に関わりましたが、ミャンマーにはミャンマー、ラオスにはラオスのやり方があり、その国の国民性、歴史、商習慣などを大事にしないとうまくいきません。それから、日本で出来たからと言って、日本の技術をそのまま持ち込むのには無理があり、その国の経済レベルに技術基準を合わせる必要が出てきます。ところが、日本で身につけた技術基準のどこを落としたらいいのかはじめはさっぱりわかりませんでした。幸いにも日本は経済の発展とともに技術も発展してきていますので、日本の昔を辿れば、相手国の経済レベルに応じた昔の技術基準が参照できるということに気がつきました。今改めて、災害のたびに技術基準に改良を加えてきた先人たちの知恵と努力に感銘を受けています。

フィリピンのサンロケ水力プロジェクト

中野: 海外進出についての展望をお聞かせください。

吉津: フィリピンのサンロケに続く水力IPP事業としては、台湾で一つ小さな水力IPPプロジェクトを手がけましたが、現在は、ラオス、インドネシアで、それぞれ一つずつプロジェクトが動いています。ラオスは関電がメイン・インベスターですが、インドネシアはインドネシア電力公社がメインで出資比率51対49でやっています。
 海外事業の難しさについて、今年の夏から本格着工する予定のラオスのナムニエップ1プロジェクトの例で説明します。
 ラオスのような発展途上国で、堤高約150mの重力式コンクリートダム、約29万KWの発電容量をもつ発電所の建設をいかにして成功させるかというのは、国内とは違った難しさがあります。ラオス政府との開発権取得に係る交渉、水没地域住民との移転先に関する調整、売電先との電力単価の交渉、国際金融機関との融資条件に係る交渉や環境アセスに関する協議、メーカーや建設業者との契約交渉など、すべてを事業採算性が取れるようにコントロールする必要があります。実は、リーマンショックの影響で、国際入札や電力料金交渉を一度やり直しています。
 例えば、国内の場合、建設途中に設計変更によってコストがオーバーしても電気料金である程度回収できるのですが、海外の事業では、プロシェクトファイナンスで融資を受けていますので、将来発生するリスクを予め適切に見込んでプロジェクトコストを設定しておかないと銀行が資金を貸してくれないのです。建設期間中に発生する可能性がある洪水や地質リスクなどの自然リスクを、国内プロジェクトに比べて十分な調査データがない中で、契約上如何に分担して、コストオーバーラン・リスクの最小化を図るかがポイントとなります。また、水没移転住民との交渉は、はじめはタイ人、ラオス人に任せていましたがうまく進みませんでしたので、当社の人間を現地に駐在させて対応させました。移転地のモデルハウスを現地の女性に見せたり、田んぼに試験フィールドを造って日本の農業を紹介したりしているうちに、徐々に親近感が湧いてきて、地元住民の理解を得つつあります。
 グリーンフィールドの水力IPP事業は海外事業特有の難しさはありますが、成功すればその分リターンも大きく、日本では経験できないスケールの大きさや、屈強な海外勢とのタフ・ネゴシエーションなどは、人材育成の面からも大きな意義があります。また、オールジャパン体制で臨めば、日本のイメージアップとともに、日本企業の活性化、国際競争力強化、技術継承などにも貢献できると考えています。いろいろな苦労はありますが、これからも前向きに取り組んでいきたいと考えています。

日本の水力発電の未来

中野: ナトー(nato)ではダメで、一緒の目線で仕事をしないといけないのですね。
 水力発電はクリーンエネルギーであり、しかも需要に応じてすばやく発電量が増やせるメリットがありますが、日本ではなぜ水力に期待が集まらないのでしょうか?

吉津: 水力発電は山の高さと雨の量でポテンシャル(可能性)は決まっていて、未開発地点としてリストアップされたポテンシャルのなかでは、今後どれだけ開発できるかはある程度把握できており、開発が進まない部分については環境規制があるとか、経済性に問題があるとか、他の水利用が進んでしまっているとかなどの理由が明らかになっています。そういう意味では、今後開発可能な水力地点はかなり限定されてきているのは事実です。
 一方で、風力や太陽光などと同様に、農業用水などを利用したマイクロハイドロはFIT(再生可能エネルギー全量固定価格買取制度)を利用して、近年盛んに開発されています。また、日本では現在、風力、太陽光などは全体の1%位なので大きな問題にはなっていませんが、それが将来的に1割2割になってきますとその出力変動が無視できなくなります。水力発電はピーク供給力としてだけではなく、周波数や電圧変動の調整機能にも優れているため、その価値が見直されつつあります。今後、水力の使い方が変わってくる可能性もあると思います。現在、日本では原子力発電が止まっていて、火力発電が9割で、残りの1割の大部分を水力が占めています。

震災後の電力業界は

中野: 3.11の震災以降、電力業界の経営環境は大きく変化しましたが、どのような変化があったのですか。黒部川の運用はどうでしょうか

吉津: 原子力については、福島第一発電所のような事故を二度と起こさないように、昨年7月に施行された原子力規制基準への適合性を確保するにとどまらず、世界最高水準の安全性を目指してできる限りの努力をしていますが、残念ながら、現在すべての原子力発電が止まっており、これを代替している火力発電の燃料費が経営を圧迫しています。徹底した聖域なき経営効率化を図った上で、お客さまに節電をお願いし、電気料金も上げさせていただき、他電力などから電力を融通していただきながら何とか電力の安定供給を全うしています。
 黒部川の発電運用については、この図を使って説明します。これは、黒部ダムの60m利用水深のなかで、年間の貯水池水位の上がり下がりを示した図ですが、雪解けの頃4月5月6月あたりで水を溜め込み、夏場の電力需給逼迫時に使い、秋口に貯めて、また冬に使い、3月末にカラにする。これが通常のパターンで、これを毎年繰り返すのです。ブルーのところが発電で使った水です。


 3.11以降は、夏場、冬場の電力需給逼迫時に入る前に貯水位を極力高めにして、十分な供給力を保つようにしています。揚水発電とともに、黒部川の発電所群の供給力は、需給調整の最後の切り札になっています。

中野: 原子力のこともあり、電力のベストミックスという考えかたも出てきているのでしょうね。将来的には、どのような「あるべき姿」を描かれているのでしょうか?電力事業の将来において、水力発電はどのように位置づけられていますか?

吉津: 二度のオイルショックを経験した日本は、原子力を電力供給の基盤に据えることを決めました。一次エネルギー自給率が4%しかない我が国にとっては、ほとんどすべてを輸入している化石燃料だけに頼るわけにはいきません。風力、太陽光などの再生可能エネルギーはできるだけ増やしていくとしても、安定性や経済性などの面で限界はあります。
 3.11以降の情勢を踏まえ、将来の電源構成のあるべき姿が議論されていますが、3E(安定供給、環境保全、経済性)+S(安全性)の観点で、安全性が確認された原子力も含め、できるだけ多くのポートフォリオを持つべきだと思っています。既設水力発電は全体の10%程度ですが、先述のとおり、今後、水力の周波数調整機能がさらに重要性を増してくると考えています。

中小水力発電が進まないわけは

中野: 安定した水の流れがあれば小型の発電機を使っていつでも発電できると伺いますが、いわゆる中小水力発電がなかなか普及しないというのにはどういう理由、原因があるのでしょうか?これからもっと普及させるには、どういうことが課題ですか?

吉津: 大量生産によるコスト低減が期待されている太陽光や風力とは異なり、今後開発される水力地点は奥地化・小規模化しており経済性が合わないことが、水力発電が進まない最大の理由です。電力会社の造る発電所は、全てその地点のポテンシャルに最適なものを造っていますが、経済性を高めるためには、機器の標準化・汎用化を図ることなども一つの方策だと思います。プロジェクトを担当したものは最適規模で設計するということが、染みついています。私もそうなんですが・・・(笑)。

中野: 日本は、こだわりが強いのですね。

吉津: メーカーさんからもよく言われます。関電さんは一品一品違う設計ですが、夏冬フル稼働していて、トラブルがあったら土日休日も関係なくすぐ来てくれといわれますが、もっと余裕を持った設計をしてくれたらいくらでも対応できますからと。技術者魂というか、一番よいものを目指してしまう職人気質からはなかなか抜け切れません。

くろよんスピリットを若手の皆さんへ伝えたい

中野: 日本が海外へ技術進出していくうえに先ほどの経験談はとても参考になりますが、一方、若手技術者へ日本の土木技術の伝承がされていかないと心配です。
 社会基盤やエネルギーといった分野を目指そうという学生さんや今、そういう分野にいる若手のエンジニアの方にエールを贈るとしたら、どういう声を掛けますか?

吉津: 同じような議論を私のいる職場でもしています。黒部川の開発は、先人が「くろよんスピリット」を発揮しながら、全力を尽くして成し遂げたものであり、ここに先人の労苦がすべて凝縮されています。私たちは、先人から受け継いだ「くろよんスピリット」を今風に表現するとどうなるかということをみんなで議論しました。


 「どんな困難な仕事でも、そのべースに大義・夢があれば、それに誇り・やりがいを感じ、情熱を注ぎ込むことができる。その情熱は周りに伝わり、仲間と力を合わせて挑戦すれば、困難を乗り越えることができる。困難が大きいほど得られるものも大きく、また、このような営みが人を育て、仲間との絆も深められる。」これが私たちが考えた「くろよんスピリット」です。
 「くろよん」当時は右肩上がりの経済であって、みんな同じ方向を向けたのですが、今はゼロサムになってきていますので、どの方向を向けばいいのかわかりにくくなっています。ただ大義や夢をいだきなさいと若い人に言うだけではだめで、我々世代がしっかりと、この国をどういう方向に引っぱっていくべきか、土木業界はどういう貢献をすべきか、など、進むべき方向をしっかり示し、若い人達がそれにやりがいを見出すことができるようにしていかないといけないと思っています。
 また、震災後、自然災害に対する国民の見方が大きく変わり、土木設計手法そのものに対して世の中から大きな疑問符がつけられています。震災前は、自然の偉大さ、脅威は人工の力で完全に克服できるものではないので、一定の調査をし、過去の事例に鑑みて、適切な安全性を見込んだ設計をして、それをモニタリングしながら、安全性を確認していくというのが基本的な体系でした。ところが震災後はその設計手法自体に不信感が生まれてしまい、一部には科学的根拠が不十分であるかのごとき、きびしい見方が出てきています。事業者として、構造物ひとつひとつの設計合理性について、しっかりと世の中に説明する責任がありますし、今までよしと思っていたことでももっと科学的に突き詰めて設計の質を高めていかなければならないとも思っています。次世代の土木屋が信頼を得るための大きな転換期だと思います。

サポーターとしてのダムマニアさんについては



中野: 確かに説明をしていくことができるチャンスですね。
「くろよんスピリット」は伝えていかなくてはならないことですし、50周年の記念講演をお聞きした時も非常に感激しました。これが日本の戦後復興をささえてきた電力なんだと思いました。当協会では、広く一般の方々に、ダムの実態、役割、魅力などについて知って頂くために、それを支援する役割を持つダムマイスター制度を実施しておりますが、広報についてはどのようにお考えですか。

吉津: 昨年、くろよん50周年特別企画として、ダム内部の監査郎やダム下流面のキャットウォークを見て頂く黒部ダム見学会を限定8回で開催しましたら、定員の10倍以上の応募がありました。参加者の方々からは「ものすごく感動した!」などの感想を数多く頂きました。
 これまではダムの維持・運転に支障が出ないように、一般の見学者の受け入れは必要最小限に抑えていましたが、先ほども話しましたように、これからは設備の安全性などについて、これまで以上に一般の方々に説明し、ご理解を得ていく必要がありますので、ダムマイスターなどのダム好きの方々にもご協力いただいて、私たちと一緒にダムPRをしていただくようなことができればいいなと思っています。また、先人たちが苦労して造り上げたダムや発電設備を、多くの方々に見ていただくことは、先人の労に報いることにもなるという考え方もあると思います。電力の安定供給と一般見学者受入れを両立させることができるよう知恵を絞っていきたいと思っています。

夜雀さんの質問に驚いた

中野: ダムマニアの方に直接お会いしたことはありますか。

吉津: 以前から、藤野浩一さんからダムマニアさんのお話はお聞きしていましたが、なかなか皆さんとお会いする機会がありませんでした。一昨年、ICOLD 2012 Kyotoの前夜祭(WDN)が京都駅であった時、初めて、角先生からご紹介いただいたのが、萩原さんと夜雀さんでした。その時だったと思いますが、夜雀さんから「黒部ダムのスロットの止水板は銅でできていますか?」と質問をされて、ここまで、勉強されているのかと、驚きました。その後、大会開催中もお会いしまして、本当にダムを愛して下さって、よく知っておられると感心しました。この方々を通じて、世の中に、電力ダムの機能、役割をしっかりと情報発信して頂くことは非常に有り難いことです。

中野: 一般の方にもダムの事をわりやすく説明していただけるので、まさにダムのサポーターですね。以前、インタビューで藤野さんは、ダムマニアさんのOFF会にご協力頂いたり、ご自身も地域に開かれた発電所として、奧清津第二発電所を一般公開に尽力されて、来館者も2009年には来場者数が25万人を超えたとお聞きしました。
 ダムツアーなど、ダムによる町おこしについて、どのようにお考えですか。

吉津: お世話になった地域社会の方々の町おこしに、ダムや発電所が貢献できるのであれば、ぜひとも検討すべきものとは考えますが、ご案内するからには安全を確保し、説明のためのコンテンツや体制をしっかり整えておかなければなりません。例えば、黒部ダムはギャラリーが10キロもあるので、迷い込んだら大変なことになりますから、相当数の案内人の確保が必要となります。
 震災後は電力の安定供給が最優先課題であり、火力、水力についてはとにかくトラブルが生じないよう、設備の点検や運転に細心の注意を払っていまし、また、原子力や海外の対応もあり、人手がなかなか出せないのが現実です。このような状況で何ができるかについて知恵を出していきたいと思っています。

世界も認めるくろよんをしっかり守り引き継いでいきたい

中野: 黒部ダムを見学した時に、2010年4月に国内電力初「IEEEマイルストーン」受賞を受けた記念碑がありましたが、受賞するのは時間がかかるのでしょうか。

吉津: もともと米国にある世界最大の技術者団体「電気電子学会(IEEE)」が、社会や産業に貢献した歴史的な業績をたたえるために贈るもので、認定は25年以上たった技術が対象になります。過酷な自然環境の中、突貫工事で建設した黒部ダムと、戦後の産業復興による急速な需要増加に対応し、電力供給に重要な役割を果たしていることに対し評価を受け認定証を受賞しました。

中野: 今年、くろよん50周年ですが、もう少し早くても良かったですね。


吉津: そうですね。その後の経済発展への貢献度の評価に時間がかかったということもあったのでしょう。この制度が制定されたのが1983年でした。ちなみに、黒四発電所には、「IEEEの認定証」の横に「土木学会の第1回技術賞」が飾ってありますが、この賞は、昭和40年に創設されてすぐに、黒四発電所の建設で受賞したものです。

中野: 海外でも黒部ダム建設の偉業は認められているのですね。

吉津: 一昨年のICOLDのポストツアーでも黒部ダムに海外の方がお見えになりました。実は、3年前にスイス・ルツェルンで開催されたICOLD年次例会で、高さ180mのアーチダムであるエモッソン・ダムを訪れた際に、ダムの変位計測値が解析値と合わない旨の議論があったので、ダムの変位は、水圧、気温だけではなく谷幅が季節によって変化する山押し現象にも影響を受けていることを黒部ダムで確認しているという説明をしました。それを聞いていたダムエンジニアが何人か黒部ダムを見に来てくれたんです。嬉しかったですね。

中野: 建設時から黒部ダムの注目度は高いですし、今でも人気のあるダムですが、吉津さんご自身のお好きなダムはやはり黒部ですか。

吉津: 自分が建設に携わった出し平ダムには我が子のような愛着を抱いていますが、今回、くろよん50周年でその開発の歴史をしっかり勉強し、改めてその偉大さを再認識しました。先人の不撓不屈の精神力と団結力で完成させ、地域社会の皆さまはじめ多くの方々に愛されている黒部ダム、黒部の大自然にその威風堂々たる雄姿を横たえる黒部ダム、やはり黒部ダムがbPです。先人から受け継いだ素晴らしいくろよんを、地域の方々や協力会社の皆さまとともにしっかり守り引き継いでいきたいと思っています。


中野: 本日は、貴重なお話を頂きまして有難うございました。

(参考) 吉津洋一さん プロフィール

吉津 洋一(よしづ よういち)

関西電力株式会社 北陸支社長
昭和31年10月14日生

S 55.03 東京大学工学部土木工学科卒業
S 55.04 関西電力株式会社入社  
S 55.04 北陸支社 黒部川水力調査所
S 57.09 新愛本水力発電所建設所 土木課 土木設計係
S 58.04 新愛本水力発電所建設所 第一工区 (出し平ダム)
S 59.09 建設部 水力計画課 (水力計画)
S 62.10 出向 【海外電力調査会】 北米研修
S 63.08 建設部 水力計画課 (水力計画)
H 01.12 建設部 土木課 副長
H 02.06 総合技術研究所 環境技術研究センター 副主任研究員
H 03.12 建設部 水力計画課 (水力計画) 副長
H 07.06 和歌山支店 土木建築課長
H 09.06 土木建築室 土木課 課長
H 10.06 土木建築室 水力開発課長
H 19.06 土木建築室 土木グループ チーフマネジャー
H 21.06 土木建築室 土木部長
H 24.04 北陸支社長

H 11〜H 19 ミャンマー水力コンサル、ナムニアップIPP事業(ラオス)などに関与
H 22〜H 24 IEA水力実施協定ANNEX-XI(水力発電設備の更新と増強)のOA(主査)
H 21〜H 24 日本大ダム会議 京都大会実行委員会 行事分科会長

[関連ダム]  黒部ダム  出し平ダム
(2014年1月作成)
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