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1.経緯
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三重県の山郷谷池(所在地:津市美里町船山)は、ダム便覧に推定の位置情報が掲載されていた位置未確認のアースダムでした。表記から所在地は県庁が置かれている津市内ということになりますが、このダムは平成の大合併で津市の一部となった旧美里町内に位置していたものでした。この地域は、現在でも静かで豊かな農村の風景が広がっています。 ダム便覧のフォトアーカイブスには、その推定位置にある土堰堤の画像が山郷谷池のものとして多数掲載されています。しかし、この堤体は、ダムマイスターのmayunoさんの文献的調査や地元の複数の方の証言により大日池(または弁天池)と呼ばれるものであることが確定的なものとなりました。
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大日池(弁天池)下流面 |
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なお、mayunoさんの調査により、各々の堤高は、 山郷谷池=7.5m 大日池=5.9m である可能性があり、仮にこれが真の数値であるとすれば山郷谷池は、堤高不足から河川法上のアースダムの要件を満たしていないということになります。現地で見る限り、大日池は、少なくとも10m前後の堤高を確保しているように感じます。(個人的経験による印象です。)
ところで、山郷谷池は、山一つ隔てた隣の谷に造られたものだという話も地元の方から伺っていました。(これまでに、複数の方から山郷谷池の同じ位置情報を教示していただくことができました。) さらに山郷谷池と称される溜池は、取水設備等の老朽化のため貯水を停止し、事実上の廃ダムになっているということでした。農業用水の水源として使用されなくなってから、すでに30年以上経過しているそうです。つまり現在、山郷谷池はダムとしては全く機能していないものとなります。 これらの事実により、山郷谷池とされた農業用のアースダムは、書類上の数字や実際の堤高に関わらずダム年鑑・ダム便覧に掲載される資格を相当以前から喪失していたと言わざるをえません。
つきましては、これまで地元の方に伺った内容を公にし、大日池のこれからの活躍に期待したいと思います。
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2.大日池(弁天池)
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山郷谷池の推定位置にある堤体は、「大日池」ないしは「弁天池」と呼ばれるものでした。上述の通りmayunoさんの調査による津市作成の公文書には「大日池」と記載されています。したがって、この呼称が正式なもので「弁天池」という名前は地元の方の通称と考えなければなりません。
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大日池の余水吐は、堤体のほぼ中央に設置されていて、フィルダムとしては珍しい構造になっています。もっとも、フィルダム堤体上に放流設備を設置することは、あり得ないことですから中央の部分は堅固な地山であると考えなければなりません。すなわち、大日池はW字型の谷に盛り立てられた堤体であると推測されます。
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大日如来坐像 |
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大日池という名前は、堤体付近に古くから存在している大日堂に由来するものです。この建物の中には大日如来坐像が安置され、ガラス越しにその姿を拝むことができます。現地の説明板によれば、三重県内に現存する唯一の鉄製仏像であるということです。私は、仏教や仏像にはまったく知識がありませんが、鉄製の仏像は東日本では多数製作されたものの西日本の例は非常に少ないということです。赤茶けた仏像はこれまでにも幾度となく見たことはあります。また、それが仏像のデフォルトだと思っていました。ところが、この小さな御堂の中では大日如来が金色に輝いて静かに座っていました。この仏像の姿には正直驚いてしまいました。
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神社跡地の石碑、字体は「舩山神社」、後方の建物が大日堂 |
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大日堂に隣接した敷地は、船山神社跡となっていました。船山神社は、平安時代中期の『延喜式』に記載がある神格の高い神社であったということです。この神社は明治期に同町内にある辰水神社に合祀され現在に至っています。辰水神社は、毎年大きな干支を飾ることで知られているそうです。この行事は、昭和61年の寅から始められ、今年は、写真のように巨大な申が初詣の参拝者を迎えたということでした。
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辰水神社 |
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船山神社顕彰碑(辰水神社境内) |
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また地元の方の中には、この池を「船山弁天池」あるいは単に「弁天池」と呼ぶ方もいました。かつて、この小さな貯水池右岸寄りに本当に小さな島があって弁天様(弁財天)が祀られていたそうです。現在、狭山池ダム(大阪府)や生野ダム(兵庫県)など貯水池の中に神社が祀られているダムが散見できます。この大日池でも改修前は似たような姿が見られたのです。近年堤体の改修工事が行われ、その際、弁天島は貯水容量を増やすため掘削されて消滅したということです。
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大日池(弁天池)貯水池 |
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堰堤右岸部に、小さな岩が祀られるように設置されていました。その岩には何も文字等は刻まれていないようです。しかるに地元の方の話では、この岩こそ、かつて貯水池の島に鎮座していた弁財天の姿だということでした。貯水容量を確保するため弁財天は居住地であった島を人間に譲り陸地に転居されたのです。
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弁財天として祀られる岩 |
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3.山郷谷池
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かつては、船山集落から稜線沿いに山郷谷池に通じる徒歩道があったということで、当時、農業用水管理にはこの道を利用していたそうです。その山道も、すでに人々から忘れ去られ原生林に戻っていました。下流側から杉林の中を通って行く道もあるはずですが、すでに農業用の水源としては利用していないため、現状はどうなっているかは不詳だということでした。 市販の地図には、貯水池が描かれているものと何も記載されていないものに分かれます。国土地理院の最新の地形図には、貯水池は記載されておりません。ただし、その部分は人工構造物を示すように等高線が直線になっています。さらに、航空写真を見ても、貯水池らしいものが写っているものと原生林のようなものが写っているものとに分かれます。
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山郷谷池への流入河川と推定 |
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下流側からアクセスを試みました。かつて山郷谷池に流入していた渓流と思われる安濃川の小さな支流を確認することができました。
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掘割のような地形 |
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杉林内は、意外に手入れが行き届いていました。もう少しで、現地まで行けそうでしたがあまりにも足元が悪く、また地面の高低差が激しかったため、このあたりで断念しました。
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杉林 |
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4.おわりに
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山郷谷池は地元の事情により復旧されることなく一帯は山林に帰ることになるようです。本当は一人のダム愛好家として、堤高15m以上の堤体で現在も利用されていることを希望していました。結果的に期待に反して、このような結論となって位置未確認ダムが1つ減ることになりました。これは、事実が判明したまでのことですから、良しとしなければならない事かもしれません。
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大日池(弁天池)の越流部 |
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山郷谷池は、老朽化と農業用水の需要が少なくなったことが原因で放棄されました。「耕作面積が減少したため溜池は2つも必要ないが、片肺飛行では少し不安なので大日池を少しだけグレードアップして予備の分も確保した」という形です。両方の溜池は、これまで懸命に地元の稲作を支えてきました。これからは大日池ひとりの活躍に頼らざるを得ませんが、この地域の農業が発展して『新山郷谷池』の建設が迫られるような時代が一日でも早く来ることを願います。
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