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1.はじめに
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姥河内上溜池は山口県美祢市にある小規模なアースダムで、ダム便覧(平成27年9月現在)には「北緯34度11分59秒東経 131度6分54秒」と掲載されています。地図上では溜池が存在していますが、便覧上では位置未確認と表記されていることから、当該溜池が姥河内上溜池だと確定している状況ではないようです。 所在地とされる美祢市麻生下は筆者の生家にほど近く、幼少時より幾度となく通った場所です。そんな位置にダムがあったことに驚きつつも興味を抱き、このたび現地確認を行いましたので報告させていただきます。
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2.対象の選定
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姥河内上溜池の所在地とされる山口県美祢市麻生下には小規模な溜池が点在しており、その多くは地図にも名称が記載されておりません。ダム便覧に掲載されている暫定の位置情報を中心とし、一定程度の規模を有する溜池を抽出すると、下記の5件が見つかりました。
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位置図(出典:国土地理院ホームページデータを加工) |
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@溜池A ダム便覧に掲載されている位置情報に相当する溜池。麻生交差点(国道435号と山口県道267号の交差点)の西600mに位置する。地図上で計測した堤頂長は45m程度と予想される。木屋川二次支川である日野川に接続する。 A溜池B 上記溜池Aのすぐ東側に位置する溜池。地理院地図を含めて多くの地図には掲載されていないが、一部の地図(ゼンリン住宅地図、全国地価マップ)では水域が示され、「洗川池」と表示されている。規模は溜池Aより大きい。地図上堤体が明確でなく、堤頂長は判然としない。位置から推測し、日野川に接続するものと思われる。 B溜池C 麻生交差点の南東2.6qに位置する溜池。姥河内上溜池として紹介されているホームページもある。地図上で計測した堤頂長は56m程度と予想される。次掲の溜池D・Eの下流に位置し、木屋川三次支川(日野川支川)である三ツ杉川に接続する。 C溜池D 溜池Cの上流160mに位置する溜池。地図上で計測した堤頂長は80m程度と予想される。 D溜池E 溜池Dの上流170mに位置する溜池。地図上で計測した堤頂長は43m程度と予想される。
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3.現地確認
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確認対象の溜池が確定したことから、それぞれの現地確認を行いました。
@溜池A
国道435号から道がつながっていますが、自動車の通行はできないため徒歩により接近することになります。途中にはイノシシ罠がいくつも仕掛けられています。国道から約10分ほどで堤体に到着します。 堤体はごく普通のアースダムのようですが、雑草が茂っているため堤高は目測できません。右岸側に小さな洪水吐きがあります。周囲に標識や看板等はなく、名称を特定することはできませんでした。
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溜池A |
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A溜池B
一部の地図で洗川池とされている溜池ですが、多くの地図や航空写真では確認できません。池の位置は現況森林になっているようです。国土地理院の空中写真閲覧サービスで確認したところ、1947(昭和22)年米軍撮影の写真において既に同様の状況が認められます。推測するに、かなり以前に撤去又は決壊が生じ、池が消滅しているのではないでしょうか。 現地では建設会社の敷地奥に相当するようですが、上記状況から現地調査を断念しました。
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溜池B該当位置の航空写真(出典:国土地理院ホームページデータを加工) |
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B溜池C
国道435号の南を通る旧道からのアクセスになります。田の中を通る未舗装の道路の先に堰堤が見えており、徒歩で接近することとなります。道の脇には古い庚申塚があり、周辺が古くから農地として開けていたことが推察されます。
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庚申塚(庚申塚右奥に溜池C堰堤が見えている) |
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民家裏からすぐに堰堤左岸に到達します。斜樋や広い洪水吐きを有する溜池で、標識や看板等はありません。堤高は低く、姥河内上溜池の堤高である15mあるようには見えません。
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溜池C |
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C溜池D
国道435号から分岐する市道(旧国道)からのアクセスになります。車道は途中から未舗装になりますが、普通車1台が通行するのに支障はありません。
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溜池Dへの進入路 |
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途中広くなっている分岐があり、ここに自動車を停めます。ここからは溜池Cの上流側が一部見えます。 溜池Cの反対方向に少し歩くと、ほどなくきれいな堤体が見えてきます。立派な洪水吐きや管理用の階段等も整備されており、明らかに近年改修された様子です。堤体直下等には山口県の測量標が埋設されています。危険防止の看板がありますが、溜池名称や管理者等の記載はありません。稼働中と思われるゲート操作用ハンドルが設置されています。 堤頂右岸までは一部舗装の車道が整備されており自動車で接近できますが、駐車場所もなく転回もやっとの状況なので、見学される場合は徒歩をお勧めします。
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溜池D |
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D溜池E
溜池Dの右岸を通る山道を進むと、徒歩10分ほどで溜池Eの右岸に到着します。途中一部足場の悪い箇所がありますが、危険というほどではありません。堤体は草木が茂り、下流側から堤高を目測することはできません。標識や看板等はありません。
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溜池E堤体 |
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堤体湛水側表面は石垣状となっており、取水設備(斜樋)と思われる設備が認められます。天端も草木が茂り左岸への到達は困難で、洪水吐きは確認できません。周囲の状況から観察するに、常時の管理がなされているとは言いがたい状況と思われます。
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溜池E |
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溜池E斜樋 |
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4.管理者に聞き取り
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山口県の防災資料から周辺溜池の管理をされている方が判明し、直接お話を伺うことができました。突然の訪問ながら、下記のような情報を教えて頂きました。
「姥河内上溜池は、3つある溜池のうち最上部のもの。上段から順に上・中・下と呼んでいる。竣工の順序は上溜池→下溜池→中溜池の順だと思う。」 「最も古い上溜池は江戸時代からあったのではないか。現在は手入れをしておらず、『底抜け』の状態。水位が低く役に立っていない。」 「中溜池は昭和14年の竣工。数年前に防災目的の補助事業により改修した。」 「規模は下溜池が最も大きいと思う。」
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5.文献調査
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管理者にお伺いした話をもとに、美祢市立図書館及び下関市立図書館を利用して文献を調査いたしました。関連する情報が見つかったものは主に次のような内容です。
(1) 防長風土注進案 麻生下村明細書(天保12〜安政年間、1841〜1859頃) 「一 水溜拾四ヶ所 (中略) 姥河内堤 水面四反程 土手長サ貳拾八間 根切拾五間」 ※筆者注 掲載されている14箇所の溜池のうち、姥河内堤が特に大きい規模であったようです。溜池管理者のお話では姥河内上溜池は江戸時代からあったとのことなので、この姥河内堤が姥河内上溜池に相当するのではないかと推測しました。姥河内上溜池の竣工年より60年ほど先行しますが、元々江戸時代からあった溜池をダムとして改修した時期が大正期だと仮定すれば矛盾はありません。当時の状況で「土手長サ貳拾八間(約51m)」であり、姥河内上溜池の堤頂長40mより若干大きいのが気になりますが、改修による変更や計測方法の差もあり得るのではないでしょうか。
(2) 豊田前郷土誌(豊浦郡豊田前村麻生尋常小学校編、記事内容から大正頃と推測) 「おばが河内は、其の地の浴に祖母石(おばいし)と称する石あるによる。立願すれば病を治すと。」 ※筆者注 溜池自体ではなく、名称に関する情報です。大正期には地名を「おばが河内」と呼んでいたことが伺えます。溜池名称も「おばこうち」若しくは「おばがこうち」と呼んでいた可能性がありますが、他に文献もなく、確定できませんでした。
(3) 美祢市地域防災計画 資料編 3-2危険ため池(美祢市、2014) 「姥河内(中) 所在地:豊田前町4区の1 貯水量:35.7千立方メートル 関係戸数:8戸」 ※筆者注 こちらは現行の防災資料です。「姥河内(中)」の表現があることから、複数並んだ溜池のうちの中間にあるものを指すことが強く窺えます。所在地は豊田前町4区の1とされていることから、溜池D=姥河内(中)でほぼ確定と思われます。山口県が発行した防災資料では、姥河内(中)の堤頂長が84mとされており、溜池D=姥河内(中)であることを裏付けております。
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6.まとめ
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姥河内とは麻生下の小字名で、萩藩の村勢要覧である「防長地下上申」(享保〜宝暦年間、1727〜1753頃)でも既に記述があります。現在の行政区画では豊田前町4区に相当し、溜池C〜Eの3基がある場所です。1q以上離れた位置にある溜池A〜Bが姥河内上溜池に該当する可能性は低いと考えられます。 溜池C〜Eは三ツ杉川に接続する同一水路上に並んでおり、上流側から溜池E・溜池D・溜池Cの順となっています。当然ながら溜池Eを「上」と呼称するのが最も自然であり、同様に溜池D=「中」、溜池C=「下」であると思われます。このことは管理者が明言された内容と一致しています。 溜池Eに関しては、現地の状況(堤頂長、接続河川)と公表されている諸元がよく整合しており、これが姥河内上溜池であると判断することが適当と考えました。 これにより、姥河内上溜池の位置を「北緯34度11分20秒 東経131度7分54秒」としてダム協会様に報告させていただき、直ちに修正いただきました。全くの初心者の報告ながら迅速にご対応いただきましたことに感謝申し上げ、まとめとさせていただきます。
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