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《A-2ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品(その2)》

 曽野綾子の『無名碑』(講談社・昭和44年)は、土木技師三雲竜起が田子倉ダムをはじめ、名神高速道路、タイのアジア・ハイウェイ−の建設に挑んだ物語である。娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然条件と闘い、ライフ・ラインの建設に立ち向かう土木技師の誠実な、孤独で生きる男の姿を描いた大作である。本書のオビに「土木技師三雲竜起の造る巨大な碑にその名が刻まれることはない」とある。このことから『無名碑』の題名となったのだろう。施工業者の前田建設工業(株)の協力によって、著者は、只見川の田子倉ダム、名神高速道路、タイのランパ−チェンマイ・ハイウェイ−第2工区の現場まで足を運び、取材された。




 さらに、曽野綾子の『湖水誕生(上・下)』(中央公論社・昭和60年)は、信濃川水系高瀬川、長野県大町市大字平地点における高瀬ダムの建設を描いた作品である。
 高瀬ダムは、昭和48年のオイルショックにおける工事延期、昭和51年6月に起こったアメリカアイダホ州のティトン・ダム(中央コア式のゾーンタイプアースダム)の決壊事件を時代背景として、高瀬ダム建設に従事する技術者たちと、夫不在の家族たちの生活群像を描く。それは、山奥のダム技術者たちの単身赴任勤務の宿命である。親子の愛、老夫婦の愛、若者たちの恋、そしてダム造りへの愛と、様々な愛が交錯し、ダム建設は進捗していく。ダム造りは、技術者たちの熱意と能力だけでなく、その家族のたちの愛の力も含まれる。

 高瀬ダム地点は国有地のために、水没者との補償交渉の手間は省けた。建設省とのダムの安全性の審査、林野庁との保安林解除申請、長野県との県道拡幅の申請などの官公署の手続きも描写されている。著者は高瀬ダム現場に7年間、熱心に通いつづけ、ダム工事作業を繰返し繰返し見聞し、ロックフィルダムの施工プロセスを事細かに、湖水誕生まで表現する。ダム小説を書く動機について「土木の世界を過不足なく世間に知らせたいという小さな情熱」に拠るものであると、そのあとがきに述べている。この情熱は充分に達成され、『湖水誕生』の作品は、昭和61年土木学会著作賞を受賞した。

 高瀬ダムの諸元は、堤長 176m、堤頂長 362m、総貯水容量 7,620万m3、最大出力 128万Kwで企業者は東京電力(株)、施工業者は前田建設工業(株)である。 他に、ダム建設に挑んだ小説として沖縄の福地ダムを舞台とした高崎哲郎の『山原の大地に刻まれた決意』(ダイヤモンド社・平成12年)を挙げる。


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