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《新宮ダム》



 柳瀬ダムの下流に位置する新宮ダムは、昭和51年に完成した。

 この建設記録として、新宮ダム建設所編・発行『新宮ダム建設誌』(昭和52年)がある。
 建設中にたびたび台風に伴う洪水に悩まされたこと。このダムの周辺地域に中央構造線と御荷鉾構造線が走る三波川帯に位置し、我が国の代表的な地滑り多発地帯であることから堀ケ畑地区、ツヅレハタ地区の地滑り対策工に苦慮されたことも記されている。
 ダムの諸元は堤高42m、堤頂長 138m、堤体積約 8万m3、総貯水容量1300万m3、直線重力式コンクリートダムで、総事業費86億円である。用地取得面積75.4ha、水没戸数は 100世帯となっている。起業者は水資源開発公団、施工者は大豊建設(株)である。

 ダムの目的は計画高水流量1600m3/Sのうち 400m3/Sの洪水調節を行い、工業用水として伊予三島地域に対し最大3.28m3/S、灌漑用水として川之江地域の水田、果樹園に対し、灌漑期(6月6日〜10月5日)に 0.142m3/Sを供給し、さらに新宮ダムの分水を利用して銅山川第3発電所最大出力11700kw (約6000戸分)の発電を供給する。
 逆に、馬立川から延長3280mの隧道で新宮ダム貯水池に 4.0m3/Sの承水が行われている。


 昭和51年以降、新宮ダム建設によって宇摩地方の水供給の安定が図られてきた。この安定給水については、銅山川上水道企業団編・発行『銅山川上水道企業団二十年史』(昭和63年)で読み取ることができる。また平成6年の渇水時には、銅山川の貯水量が17%を割り断水措置寸前の深刻な状態であったが、9月29日台風26号の慈雨により窮地を脱した。このとき二つのダムと分水協定の成立が大きな役割を果たした。


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