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2 相模川の河水統制事業


 これらの水道水を含めて、工業用水、農業用水、電力の供給に係わる水資源開発における神奈川県内の相模ダム、城山ダム、三保ダム、宮ケ瀬ダムの建設を追ってみたい。神奈川県民の母なる川である相模川は、山梨県の山中湖を水源とし、山梨県、神奈川県を流れる一級河川である。山梨県では桂川と呼ばれ、谷田川に大野ダム、葛野川に深城ダムが築造されている。神奈川県内に入ると相模川となり、秋山川、道志川、串川、中津川、小鮎川、小出川を合流し、河口付近では馬入川と呼ばれ相模湾に流出する。延長 109km、流域面積1680km2である。古くから舟運が盛んで流域の挽板や木炭などの林産物が河口の須賀湊(平塚氏)、柳島(茅ヶ崎市)に集め、江戸へ回漕されていた。明治末期には駒橋発電所が稼動し、昭和に入ると、相模川河水統制事業による神奈川県の上工水道源となり、流域の灌漑用水を含む利用率を高め、神奈川県の産業、経済発展の基盤となってくる。

 昭和9年12月神奈川県議会は、相模川の総合利用の研究のための調査費を認め、のちの相模川河水統制事業のスタ−トとなった。
 昭和13年支那事変がおこった翌年であるが、県議会において相模原開田開発に端を発した相模川の水は上水道、工業用水、水力発電、農業用水、そして下流の洪水調節として、相模川の治水、利水計画を集結した一大事業として着手することとなった。

 平塚市博物館編・発行『相模川事典』(平成6年)に、相模川河水統制事業について、次のように記されている。

「河水統制とは大河川の多目的な利用に際し、その利用価値の常時平均化を図るため、洪水と渇水とを支配調整して、可及的に水量を一定にすることをいう。それには河川の上流に大規模な貯水池を設け、これに洪水を貯留し、渇水の補給に充て、下流の水量の変化を少なくして水の利用度を高めるとともに洪水氾濫時等による被害を未然に防ぐことである。その結果上水道、工業用水、発電用水や灌漑用水に利用できる。19世紀中頃に始まるダムによる河川開発はドイツで成果を挙げ、アメリカにおいてTVA(テネシ−総合開発機構)の成功が世界の注目を集めた。これにより我が国でも総合開発の気運が高まり昭和12年内務省を中心に全国の17河川で河水統制事業が実施された」

 さらに、相模川河水統制事業について

「神奈川県与瀬町(相模湖町)に相模ダムを造り、ダムによって生じた落差により、発電(相模発電所)を行い、相模発電所でピ−ク発電を行うので、下流の水量を安定させるためのダム(沼本ダム)を築造して調整池を設ける。その沼本ダムからの流れを城山町久保沢に導引し、横浜市水道、川崎市水道および相模原開田開発に分水し、残水を本流に還元する際生ずる落差により再び発電(津久井発電所)とするものである」と述べている。

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