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7 宮ケ瀬ダムの建設


宮ケ瀬ダム

 宮ケ瀬ダム(宮ケ瀬湖)は、相模川中津川に左岸津久井町青山、愛川町半原、右岸清川村宮ケ瀬、愛川町半原地点に建設され、平成12年12月竣工式を迎えた。東京、横浜から50┥首都圏に、総貯水量1億 9,300万m3を有する最大の多目的ダムである。

 このダムの目的は

・ダム地点の計画高水流量1700m3/Sのうち1600m3/Sを調節し、中津川沿岸の洪水を守り、相模川下流についても城山ダム等とともに洪水を低減させる
・新規利水として1日最大 130万m3を横浜市、川崎市など15市9町に給水する
・流水の正常な機能を維持し、河川環境の改善を図る
・愛川第一発電所、第二発電所によりそれぞれ24,200Kw、 1,200Kwの発電を行う。これは一般家庭約25,000世帯の年間使用量に相当する。

 宮ケ瀬ダムの上流に道志導水路(約8km)を設け、道志ダム(道志川)から導水を受け、逆に、ダムサイト下流に津久井導水路(約5km)を設けて道志川へ流入させ、相模川水系の宮ケ瀬ダム、相模ダム、城山ダムにこの2つの導水路をもって有機的に連携した総合運用が図られている。


『宮ケ瀬ダム−湖底に沈んだ望郷の記録』

 ダムの諸元は堤高 156m、堤頂長約 400m、堤体積 200万m3、有効貯水量1億 8,300万m3、重力式コンクリートダム、事業費3970億円である。起業者は国土交通省、施工者は鹿島建設(株)・(株)大林組・戸田建設(株)共同企業体である。なお、ダム水没面積 490ha、水没世帯は 281世帯となっている。 

 この建設記録として、神奈川新聞社編・発行『宮ケ瀬ダム−湖底に沈んだ望郷の記録』(平成13年)はダムを造られる側と造る側との軌跡を捉えている。また、水没までの移転者の生活をカメラで追った村田孝写真『湖底の村・宮ケ瀬』(平成14年) 、井之口マツ写真『宮ケ瀬−ダムに沈んだ村』(平成15年)は各々自費出版されている。


『宮ケ瀬−ダムに沈んだ村』

 平成16年11月2日小田急線本厚木駅前からバスに揺られて、満水の宮ケ瀬ダムを訪れた。湖辺には小中学生や親子連れで賑わっていた。水の郷のゾ−ンの傍らに「望郷の碑」(昭和61年4月26日清川村建設委員会建立)がふと目にとまった。

「愛しき宮ケ瀬の里 静かに湖底に眠るとともに 未来に望みて湖岸に立つ  神奈川県知事長洲一二」

とあり、 274世帯の名が刻まれている。ほとんどの水没者は厚木市中萩野(宮ノ里団地)と湖辺周辺に移転され、第2の人生を送っている。
 広々としたダムサイトに佇めば、水没者の心情に思いを馳せ、宮ケ瀬ダムの山住有巧、中村靖治、荒井治、竹村公太郎、上阪恒雄等の歴代所長のダム造りに懸けた情熱を自ずと感じさせてくれる。湖畔の宮ケ瀬霊園には、全国のダム建設に尽力した山本三郎(建設事務次官)、佐々木才朗(建設省)、手柴正(水資源開発公団)が眠り、静かに宮ケ瀬ダムを見守っている。

 〔湖底となる 老鶯 鳴き交わす〕 <小島火山>

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