猿谷ダム
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昭和32年6月に7年ぶりに十津川分水事業は、竣工し、五条小学校にて盛大に完工式が行われた。直轄ダムとしては、全国唯一の利水ダムである猿谷ダムは、水不足に悩む大和平野に水量豊かな紀の川の水をかんがい用水の分水と併せて発電開発を行うことで完成した。
築後30年管理を綴った近畿地方建設局猿谷ダム管理所編・発行『猿谷ダム管理のあゆみ』(昭和63年)がある。
【「いらん水だけを流してくる。わしらが欲しい水は流してくれんじゃないか」 「ダムは雨が降ったときに水を溜めるものだ、それにもかかわらず豪雨のときにダムが放流した。一体なんのためにダムを造ったんだ」】
と地元の苦言に悩まされている。 さらに、出水時のキャンプ場から避難させる苦労について、第12代管理所長植村陸男は、
【現地では、職員が行っていくら警告してもキャンプ場から人が出ないわけですね。というのは十津川村がキャンプ場に入るのに1人 100円を河川敷の清掃費ということでお金を取っているんですよ。お金を取っているものだから、「なぜ出なきゃいかんのだ」とキャンプ場に入っている人と口論が始まるわけです。そこで、どうしようもなくて警察に応援を頼んだのです。人身事故もなくすみましたが、いま考えると背筋の寒くなる思いです】
と語っている。
平成11年8月14日神奈川県山北町酒匂川上流玄倉川のキャンプ地において、玄倉ダム管理所の職員、警察官の避難勧告に応じず13人が死亡した事故が想い出される。
次に、この書から管理30年間の労苦を新聞記事で追ってみる。
昭和44年6月9日 放水用ゲート1門が突如開く (人身事故なし) 50年11月27日 ダム造成地で地盤沈下 移転6戸 危険 51年6月14日 「十津川分水工事記念碑」(米田 正文氏の自筆)建立 52年11月7日 ダム湖畔地盤沈下補修工事始まる 54年9月10日 上流に貯砂ダム建設(56年完成) 10月31日 水面覆う大量の流木(台風16、 20号) 55年7月29日 淡水赤潮発生 57年1月12日 西岸に桜並木の遊歩道計画 59年11月17日 ダム干上がる 送水発電ストップ 61年2月8日 ジャリ採取許可 5月30日 ダム右岸展望台完成 9月26日 川原樋川発電所完工式
ダム管理の万全を期しながら「水守り」となって努力を重ねているが、全国のダム管理に共通することは「日々勉強し、日々苦労して改善する」(第5代所長本田幸男)の言葉につきるであろう。
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