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■資機材の輸送

 ダム建設現場は、周辺を北アルプスの急峻な山岳に囲まれた、外界と隔絶した奥深い峡谷の中にあった。工事に必要な大量の資材、工事用機械などを現地に輸送するために、輸送路として長野県大町市からダム地点に達する大町ルートが計画された。このルートには、後立山連峰中央部赤沢岳の地下を貫く約5kmのトンネル(大町トンネル)があり、その建設は大破砕帯に遭遇するなど困難を極めた。これが、後に、映画「黒部の太陽」となった物語を生んだ。大町トンネルの工事は、幾多の困難を克服して完成し、昭和33年5月には大町ルートが全通した。
 ダム付近の工事は、厳しい工期から大町ルートの完成を待っていることはできなかった。昭和31年夏頃から入山して、大町トンネルの迎えぼりを進め、同時に工事用道路の建設に着手。32年6月には、仮排水路工事に着手。これらに必要な資機材や食料などは、標高2700mの立山一ノ越峠を越え、人力で運び上げた。また、ブルド−ザーなどの重機械類を雪上自走させて山越えを敢行、現場に搬入する未曾有の雪上輸送作戦も実施された。
 
先発隊が黒部渓谷に入る。

人力による物資の輸送。
一人あたり50〜60Kgの荷を、急坂を登り降りして運ぶ。通常背負うが、これは、丸太を敷き詰めた道をそりに乗せて引き降ろしているところ。立山のボッカ(山人足)を総動員。それでも不足し、遠く富士山などからも呼び集めた。最盛期には400人にも及んだという。
雪上輸送中のブルドーザ。急斜面を後進で降りている。


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