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ダムの役割なぜ理解されないのか
- 利水編(上) 使い尽くされた水 -

日本ダム協会専務理事 横塚尚志
 
(これは、建設通信新聞(2010.2.10)からの転載です。)
 
河川への負荷強いる近世以降の水利用形態

 ダムによる洪水調節を理解してもらうことはとても大変であるが、ダムによる水資源開発となるともっと分かりにくい。理由の一つとしては、利水の場合、ダムの関与の仕方が一層間接的であることが挙げられよう。

 洪水調節はいかに分かりにくいといっても、その結果は川を流下する濁流という形で認識され、それとダムによる洪水調節との間に直接の因果関係があるというところまでは理解されている。

 しかし水利用ということになると、普通の人が認識しているのは、蛇口をひねった時に水が出るかどうかというレベルであって、それとダムとの間にはあまりにも多くのプロセスがはさまっているために、よほどのことがない限り、蛇口から出てくる水とダムとの間に何らかの因果関係があるなどということは想像すらされないであろう。その上、そもそもわが国の水利秩序というものが非常に分かりにくい。水利の基本となっているのは、地下水などの一部の例外を除き、水そのものではなく、河川の流水である。


 何だ、当たり前ではないかと思われるかもしれないが、海外ではそうでもない場合がいくらでもある。

 例えば米国の西部などでは、ダムに貯まった水そのものが水資源である。このような場合には、物と権利が1対1に対応しているから、事態は単純で分かりやすい。

 河川水の場合でも、流況が安定していて、使える水の量が一定していれば、話はかなり単純になる。

 しかしわが国の場合、河川流量の変動は季節的に見ても、時間的に見ても極めて大きい。水利用という観点でみた場合、とても使いにくい代物なのだ。

 それではわが国では、今までどのような水利用が行われてきたのであろうか。弥生時代からつい最近まで、主たる産業は農業それも水稲栽培であって、水利用も主としてそのために行われてきた。水稲栽培は大量の水を必要とするものの、常に一定量の水を必要とするわけではないので、その地域の流況に合わせるような形で水稲栽培が行われてきた。

 このような形態の農業は、ほぼ江戸時代までに飽和状態に達している。それは河川の流水で使えるものは江戸時代までにすでに使い尽くされていたことを意味している。

 ところが明治時代に入ると、まず水車、次いで水力発電という形で競合者が現れる。この段階で農業用水側との紛争が発生するが、水力発電は基本的に水を消費する利用形態ではないので、まったく調整が不可能という訳ではなかった。

 しかし戦後になって、特に高度経済成長期以降、重化学工業が発達し、まず大量の工業用水、次いで生活用水が必要となってくると、農業用水側と本格的な調整を行わなければどうしようもなくなってきた。

 都市用水は本質的に水を消費する利用形態であり、河川水の使える部分はすでに農業用水として利用し尽くされていたために、農業用水に食い込まない限り、新たに利用することはできなかったからである。

(2010年3月作成)
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