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ダムの役割なぜ理解されないのか
- 利水編(中) 水利秩序と水資源開発 -

日本ダム協会専務理事 横塚尚志
 
(これは、建設通信新聞(2010.2.17)からの転載です。)
 
10年に1度渇水年レベル以下の利根川利水安全度

 わが国の水利用の基本となるものが河川の流水であることは前回記したとおりであるが、実際に水利用を行うときの大原則は“先者優先”である。

 後から利用しようとする者は、すでに利用している者の権利を侵してはならないのだ。したがって、すでに農業用水として利用し尽くされている川から新たな取水を行うことは基本的には不可能で、それを可能にしたのがダムによる水資源開発だった。

 すでに農業用水として利用し尽くされているといっても、河川水にまったく余剰がなかったわけではない。日本の河川は、季節的にも時間的にもその流量の変動が極めて大きいが、この大きく変動する部分は簡単には使えず未利用のままであったから、その部分をダムに貯留しておいて、河川水が不足する時に補給できれば、その分だけは新たに使えることになる。

 これがダムによる水資源開発の原理であり、既存の農業用水と共存しつつ新たな水利用を可能にしたことから、急増する都市用水の需要を賄うためにダムによる水資源開発が多用されることになった。


 季節的、時間的に変動が大きいといっても、毎年同じパターンが繰り返されるのであれば、話はこれでおしまいである。しかし、これに加えて年ごとの変動がまた大変に大きいことが事態を複雑にしている。年間降水量でみても、雨の多い年と少ない年とでは倍近い開きがある。

 ダムによる水資源開発の原理のところで記したが、ダムからの補給がなければ不足することになる河川の流量は、雨の降り方によって年々歳々大きく変動してしまう。雨の多い年(豊水年という)には不足そのものが発生しないこともある。こういう年にはダムは要らないし、逆に雨が極端に少ない年(渇水年という)にはダムがあっても所定の水が使えないかもしれない。どんな降水量の年でも必ず所定の水が使えるというわけにはいかないのだ。

 そこである程度以上雨の少ない年には所定の水が使えなくても我慢しようというように決めておかなくてはならない。これが利水安全度と言われているものである。

 この安全度を大きくとれば、水不足に陥る頻度が少なくなる反面、せっかく大きなダムを造っても使える水は少なくなる。逆にこの安全度を小さくとると、小さなダムでも多くの水を使えるようになる反面、所定の水が利用できなくなる年が頻繁に発生することになる。

 そのレベルをどの程度にするかは、まさに国民の合意形成を必要とするところなのだが、これが実際問題としてはなかなか難しい。行政的には「10年に一度発生するような渇水でも取水できる」程度というように決められているのだが、それではすべての水系でそのとおり行われているのかというと、現状では必ずしもそうではない。

 利根川など多くの水系でこの基準を大幅に下回っているのだ。

(2010年5月作成)
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