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ダムの役割なぜ理解されないのか
- 利水編(下) 無限の安全性への過信 -

日本ダム協会専務理事 横塚尚志
 
(これは、建設通信新聞(2010.2.18)からの転載です。)
 
“ダムから蛇口まで”利水の実態を国民に

 なぜ不安定な利水状況に陥ってしまっているのであろうか。その原因には大きく分けて2つある。

 その一つは、江戸時代までに使える水はすべて使い尽くされていたと前に記したが、今日的な基準で考えた場合、使えない水まで使っていた川もあったのである。

 この部分は先者優先の大原則にのっとり、ダムによる新たな水資源開発を行う際、これに先立って河川管理者により手当てされることになっている。これを不特定利水と呼ぶが、川によってはこの量が膨大で一度に手当てすることができず、今日に至るも不安定利水として残っているのである。

 もう一つは暫定豊水水利権と言われるものである。既得水利権者との間の調整が円滑に進んでダムの計画が成立したとしても、実際に新たに取水を始められるのはもちろんダムが完成した後である。

 しかしダムの建設には一般に多大の時間を要するため、新規需要が急激な勢いで伸びていた時にはダムの完成を待つ余裕のない場合もあった。

 河川の流況は年々歳々変化するために、同じ取水をする場合でも降水状況によっては、ダムがまったく要らない年もあれば、ダムがあっても取れない年もある。いずれダムが完成すればその取水は安定利水になるのだから、ダムはできていないが取水したって良いではないか、ということになる。これが暫定豊水水利権と言われるものである。この場合、当該ダムがあまり間をおかずに出来上がれば問題は少ないのだが、簡単にはダムができる見込みもないのに安易に取水されてしまったりすると、不安定な状態が長く続くことになって、後に禍根を残すことになるのである。


 いずれにしても、この利水安全度は無限の安全性を約束するものではないので、何年かに一度は必ず所定の取水のできない年が発生する。こういう時に行われるのが渇水調整と言われるものである。

 この場合、一般の人と利水関係者との間では、渇水というものの受け止め方が大きく異なることが問題である。一般の人にとっての渇水は、あくまで自分が水を使う時に不都合が生じるかどうかということだ。

 これに対して行政的な意味での渇水は、水利権で保証している取水に支障が生じる状態である。川からの取水と各家庭の蛇口までの間に多くの段階があるために、この両者の間には大きな隔たりがあり、本当は深刻な状態なのに一般にはあまり危機感を持たれないという状態になってしまったりする。

 このように考えてくると利水だって決して万全でないことは分かるのだが、問題は一般の人々との認識の差があまりにも大きいということである。このままではわが国の利水に対して、国民の間に正しい理解は芽生えず、支持もまた得られないであろう。

 少々遅きに失したかもしれないが、こういう利水の実態を洗いざらい国民に説明して、改めて理解と審判を仰ぐことを1回は試みなくてはならないのではないだろうか。

(2010年4月作成)
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