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レポート:品木・八ツ場ダム見学会
 現場に行くと見えてくるものがある 

 平成23年9月23日〜24日、秋分の日の連休に市民防災まちづくり塾・関東建設弘済会共催による「品木、八ツ場ダム見学会」に参加してきた。
 市民防災まちづくり塾とは、江戸川区や江東区の各地域の自治会などで構成される自主防災組織の方々で、これまでも利根川の上下流の見学会などを行っている。また(社)関東建設弘済会は、土木建設業務経験者による防災エキスパートの養成を通じて社会貢献をしようという組織。今回の企画では見学ルートの設定から運営までのお膳立てをされたとのこと。以前インタビューさせていただいた前江戸川区土木部長の土屋さんからのお誘いということもあり、八ツ場ダム建設予定地を初めて訪れることとなった。

秋晴れのもと、一路八ッ場へ

 JR総武線新小岩駅前ロータリーに朝8時半集合。首都圏に大量の帰宅困難者を発生させた台風12号の影響もなく天気は晴れ、山を歩くには最適な気候となった。バスは予定通りの時間に出発。三連休初日で混雑する中、関越道に乗る。車中では、「ダムに翻弄される町」という長野原観光協会のビデオと、「小貝川災害復旧の記録」というビデオを見た。渋滞のため下車する時間がなくなってしまい、車中で昼食をとることになった。途中、JR群馬原町駅北口で、現地をご案内いただく予定の(社)関東建設弘済会の防災エキスパート事務局長の高橋さんが合流。橋さんは以前、八ッ場ダム工事事務所に勤められておられ八ッ場に関わること通算14年、ここが第二の故郷というほど地元に詳しい方である。

空中を真一文字に結ぶ不動大橋を見上げる

 緑豊かな吾妻渓谷に沿って吾妻川を遡り、水没予定地に建てられた資料館「やんば館」に到着。これから見学する地域一帯についての説明を受けた。空中に浮かぶ巨大な十字架のように見えた不動大橋(湖面2号橋)を見上げるが、ダムが出来た時、今ははるか頭上にある橋を渡ることになるのだという説明でダム湖の大きさを痛感する。今立っている場所が深い湖底になるというのが、にわかには信じられない。こういう感覚のズレが常にダム問題につきまとうのだろうか。

やんば館から見た不動大橋

やんば館前の看板
 やんば館から不動大橋へ移動。ここから吾妻川下流を見ると、のどかな山村風景が拡がっていた。不動大橋の右側にこの橋名前の由来になった不動の滝がある


不動大橋
真新しい墓石が悲しみを誘う

 不動大橋から一本松代替地へ向かう。次いで川原畑諏訪神社と代替地。このあたりは墓地も神社もすでに移転済みとのこと。お墓を移転する際には、先祖への申し訳なさで、悲しまれた方が多かったということ。墓石の新しさがやけに目に付いた。代替地の造成が進んでおり、ゆとりのある宅地が並んでいる。ただ商業用のスペースにはまだ移転した建物はなし。空き地が寒々しい。続けて、水没予定地の吾妻渓谷と川原湯地区へむかう。

諏訪神社

諏訪神社から見た川原畑地区(代替地)
名勝、吾妻渓谷を歩く

 緑濃い吾妻渓谷は、「関東の耶馬溪」と称され、景観が見事である。流量が少ないときに河川景観が損なわれていることから、ダム建設で安定した流量が保たれつつ美しい景観を保持できるようになる。

吾妻渓谷(ダム建設予定地)

吾妻渓谷(ダム仮排水路
 渓谷ルートは約4キロあるため、見学はダムが計画されている滝見橋周辺。仮排水路、ダム計画の看板があった。渓谷の保存を求める反対運動の声に配慮して、国側はダムサイトの建設地を当初予定地から600m程度上流に移動し、上流にダムが計画されたが、渓谷の上流側4分の1程度がダムに沈むこととなるとの説明を聞いた。滝見橋から見える三段の白糸の滝はとても美しかった。渓谷では川の勢いで岩が削られてできた奇岩もみられ、噂通り景観がすばらしかった。

歴史ある温泉地に苦悩のあとが見える

 さらにバスは進み、水没予定地の川原湯地区代替地、工事中の新川原湯温泉駅(仮称)をみて、宿泊する川原湯温泉、山木館へ。この温泉は源頼朝によって発見されたと伝えられている古い温泉場である。源家に由来する笹竜胆の家紋が山木館にも、温泉街の共同浴場「王湯」にも掲げてあった。

川原湯温泉案内図

笹竜胆家紋(王湯)
 山木館へ行く途中に見かけた手書きの看板には周囲の山の風景に線が引かれダム天端標高586mとある、この近くにある旅館は水没してしまう。川原湯神社は少し高台へ移転し残る。これだけの歴史のある温泉場が水没するのは、やはり住民にとっては耐えがたいものだと思う。

 水没予定地域ということで、すでに将来のダム湖に面した代替地(打越地区)に温泉を引くためのトンネルも用意され、新たな旅館の建設を予定されているが、あまりに長く時間がかかったため、移転をあきらめた宿もあり、現在残っている旅館は山木館、丸木屋、やまきぼし、やまた旅館、ホテルユーアイとわずかに五軒と丸木屋の売店「お福」だけ。


ダム天端表示(川原湯)
 "ジャニーズが一日孫になります。ダムに沈むお福の店にお手伝い"という看板が目についた。お福のおばあちゃんは、「私達は60年間ダムに翻弄されている、平成4年にようやく動きだしてからでも20年経った。しかし、この前の政権交代で再び止まってしまった。息子達は、ダムは出来るものだと思っているが、国はとにかく愚図だと思う。おじいちゃんはダムについては反対とも賛成とも、一言も言わないでいる」とのこと。長年、八ッ場に係わってこられた橋さんは、このようにダム事業のことで苦労しているのは、とにかく国民で、川の上下流の人達なんですよと、話されていた。

山木館前(集合写真)

山木館の前上に水没位置表示
下流部の住民にささえられるダム事業

 八ッ場ダム事業は、用地補償や地域整備にかなりの費用がかかるが、その一部は下流の地域が負担している。一都五県の知事と議会が、それぞれの負担金を背負っても賛同してきた経緯がある。下流域が大きな経済負担をするということは、逆に言えばそこに住む人々のメリットが大きいと言うことなのですが、報道の論調ではダムはムダという視点が強調されがちであり、こうしたメリットに触れることは少ないように思える。川原湯温泉の代替地の造成事業を見ると、地元の人が古くからの温泉宿を続けたいとなると、下流に移転してまっては営業的に売り物の景勝や伝統というものが失われる懸念があるので、やや上流に代替地を造成し(ずりあがり)、温泉を源泉から引いてくるトンネルを作るなど、相当の大事業を行っている。それにかかる費用も大きいだろうが、これを可能にしたのは、おそらく下流域(東京や埼玉など)の経済力であろう。八ッ場ダムは下流にとって必要なダムだということがわかる。

利根川について、下流域の住民は考える

 夕食後、自己紹介を兼ねて懇親会が開かれた。そこでは各自が係わっている利根川のありようについて話が弾んだ。今回の視察に参加されている人の多くは、都内の海抜ゼロメートル地帯にお住まいで、そこで地域住民が主体となって防災を考えるという立場の人たちなので、やはり洪水被害を受けないようにするにはダムを造って欲しいという考えだ。
 年配の方の中には、キャサリン台風の水害を経験された方がいて、洪水の恐ろしさを子供や孫にも伝えていき、自分たちが出来るかぎりの備えをしようという思いがある。まさにゼロメートル地帯に住んでいるからこそ、地域で助けあって命だけは守りましよう、ということだ。
 土屋さんによれば、この江戸川区は、台風時などもし破堤し洪水になれば、東京湾の海水面と同じ水位になる。だから少なくとも3階建ての建物(あるいは地面から4m以上の場所)に逃げなければ、まず助からない。キャサリン台風の時は、江戸川区では総武線の線路が唯一、その高さのある場所だったとかで、大勢の人がそこに逃げた。それでも膝まで水に浸かったという。そして、およそ一万六千人が線路づたいに市川駅方面に歩いて逃げたのだ。それも水を被っている鉄橋を渡ってだ。家の屋根まで水に浸かり、見渡す限りの水で、想像を絶する光景だったであろう。もし今、都内でそういうことが起こったなら、一体どれだけの被害が出るのだろうか?区内で計画されていたスーパー堤防の第一義的なねらいは、堤防で洪水を防ぐというのではなく、数万人が逃れるだけの、その高さと広さが確保できるという堤体にあるという事実が、世間にはまったく伝わっていないのは大問題だ。パフォーマンスと揶揄された、あの事業仕分けで「今の進捗率だと400年かかるというならスーパー無駄使いだ」と言って切って捨てた議員は何もわかっていない。およそ70万人の江戸川区民にとって、それが命の仕分けになっているというのに。

50年間台風は同じルートを来ていないから安全?

 キャサリン台風により利根川は埼玉県の栗橋付近で破堤したが、氾濫水は二日かけて東京都にまで押し寄せてきた。この時、約60万人が浸水被害を受け、被害総額はおよそ70億円といわれた。現在もし同じ規模で洪水が起きたら、浸水地域の住民は230万人、被害総額では34兆円という。これが想定内の被害である。しかしながら、キャサリン台風以降は、ダムが建設されていなくても東京は洪水に見舞われたことはない。だからダムなどいらないというのが反対する人たちの主論である。果たして、それで良いのだろうか?東日本大震災は千年に一度という規模で大津波が押し寄せた。地層からも貞観大地震の津波跡が見つかっている。これだけ強い自然を相手にしたとき、人間はどう考えれば良いのだろうか。もしももてる技術、防ぐ術があるのであれば、有効に使うべきだろう。それでも間に合わないならば逃げて命を守るべき方策を、なんとか知恵を絞って出さねばならない。無駄使いだと批判することではないだろう。

台風は必ずやってくるもの

 もし利根川上流域に大雨が降ったなら、奥利根流域の川筋にはダムがあるのに、吾妻流域側は手薄だ。水が利根川方面に一時に流れていくと当然どこかで溢れてしまう。だから、上流域の山間部に八ッ場ダムが必要なのだ。先日の台風12号のように長く雨が降り続いたらどうするというのだろうか?あれだけ長く強い雨が降り続いたら斜面にびっしりと植わっている杉の木も含めて根こそぎ山が崩壊するではないか。懇親会では、もし浸水すれば水ひくまではどのくらいかかるかや、各地域の物資の備蓄状況はと、とても真剣な議論が交わされていた。大震災以降も、せいぜいインスタントラーメンやトイレットペーパーくらいしか備蓄してない我が家などは大違いである。

強酸性水を中和して、ようやく普通の川になる死の川

 2日目の朝早く、新しい源泉近くにある足湯に行ってみた。源泉は80℃ほどあり、簡単に温泉卵ができるようだ。こうした自然の恵みがあるからこそ、400年も温泉地として生き残ってきたのだ。しかし、そこが湖底に沈むと言われればやはり心が痛む。

川原湯温泉足湯

川原湯神社
 宿からは出発時間を1時間早めて、白根山にいくことになった。山頂には、火山活動による硫黄成分が溶け出して酸性となった湖水をたたえる、水釜、湯釜、涸釜の火口湖がある。一番美しいエメラドグリーンの湯釜を見ることができた。白根山は草津温泉の湯元になっているが、山に降った雨が地下に浸透して地層に含まれる多量の硫黄成分が溶け込み、それが湧出して自然に河川に流れ込んでいる。併せて、硫黄を採掘する鉱山の排水が流れ込んだことで、あたり一帯の川の水が酸性化してしまった。なかでも吾妻川流域の強酸性の川は、「死の川」と呼ばれ、魚も住めない、昆虫も寄せ付けない、コンクリートの橋脚をも溶かす恐ろしい川であった。もちろん飲み水にもならず、農業用水にも使えず、流域の人々の生活にも影響を与えていた。


湯釜(白根山山頂)
品木ダムによる酸性水中和事業

 八ッ場ダムの計画は今から50年以上昔からあったが、この強酸性水に対してコンクリートでダムを建設しても長くは持たないということが判っていたので、当時はなかなか事業が推進されなかったのではないか。そこで、まず吾妻川に石灰を投入して中和し酸性度を弱めるための中和事業が始められたという。実施にあたっては、何度も繰り返し実験が続いたそうだ。

品木水質管理所中和工場内にある開発事業の碑

水没前品木地区(アミューズメント館)
 白根山から向かった品木ダム水質管理所の「環境体験アミューズメント」では、酸性水の中和が行われる現場の様子を見ることができる。豊富な温泉水は必ずしも良い影響を与えるばかりではないのだ。魚も住めない強酸性の水が流れる川というように、自然には諸刃の剣のようなところがある。

湯川で酸性体験

上州湯の湖に流れ込む川
 エメラルドグリーンの品木ダム(上州湯の湖)は中和生成物を下流に流さないために貯めておくためのダムであるが、見学した時、浚渫船「草津」が土砂とともに沈殿した生成物の浚渫をしていた。天然の川に石灰ミルクを投入してできた生成物は産業廃棄物に扱いになるため浚渫し、水分をしぼり、環境に配慮して近くの森林に埋め10年経って林野庁の所管にもどされているという。

上州湯の湖

品木ダム浚渫船「草津」
 品木ダムで中和事業を行わないと、利根川に流れていく水がうまく使えない水質であるという事実については、八ッ場ダム問題に絡んで、あまり報道されたのを見たことがない。わざと報じない何か意図的な姿勢すら見て取れる。原子力が難しいなら、なぜ水力だという意見が出てこないのかという事にも通じるものがあるのではないか?世の中には、まったく不思議なことが多い。

埼玉県には水道水が必要

 我が国では少子化の影響で地方では人口が減少しつつある。しかし首都圏では人口が増えているところもある。埼玉県では、かつて人口急増に伴う水需要の増加に対応するため、過剰に地下水を汲み上げたため地盤沈下が発生。そのため河川からの水道水がより多く必要となり、県営水道においては八ッ場ダム完成を前提とした暫定水利権は全体の29%にもなっていて関係都県の中ではもっとも高い。八ッ場ダムはまさに埼玉県の人の生活に直結する水道水の安定に係わっている。

ダムの治水効果を検証する

 利根川の基本高水の計画水位が過剰であるとかいう専門的な議論についてはよくわからないが、山間部に雨が長く降り続くということを現時点では、想定内にした方が良いのではないだろうか。温暖化の影響かゲリラ豪雨による都市型の水害(短時間に強い雨が降る)ということや、前線や台風が停滞し長雨が続くという事態は、今後増えるのではないだろうか。そう考えると、利根川の上流域にダムをバランスよく配置すれば、下流域を洪水から守れるのではないか。今もなお、利根川上流域の約1/4の面積を占める吾妻川流域においては、洪水調節機能を持った施設はない。だから八ッ場ダムは、集水面積、洪水調整容量が利根川上流のダムの中で最大で、治水効果が大きいダムといわれている。つまり、八ッ場ダムで洪水調節をしなければ、下流域の洪水の危険性は減らないのだ。我々は、もう少し具体的に危険性を理解すべきなのかもしれない。

地元の人に聞く、八ッ場ダム建設の経緯

 国が計画を発表した当初、「首都圏の人たちのために生活の場が水没する」ことに地元住民の方々は強く反対した。その後、賛成派、反対派と地域を二分するような大問題になり地元の方はつらい思いをされた。
 その後、昭和55年に生活再建案、振興対策案が出され予算も出ることになり、平成2年に八ッ場ダムに係わる振興計画案が提示され、いよいよダム建設に向け動き出した。住民の方々は苦渋の選択の末、ダム建設構想から40年以上が経過した平成4年に「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」を締結、ようやくダム事業が動き始めた。しかし、政権交替により「コンクリートから人」へのスローガンとともに、あっさりと中止されてしまった。

地元では、一日も早いダムの完成をという声がある

 治水・利水の恩恵を受ける下流自治体はもちろん、苦渋の選択をされた方々は一日も早い完成を願っている。付帯工事はすでに8割近く進んでいるのに、国が中止の方針を示し本体工事については、まだ着手されていない状況である。地元は、これまでの経緯を踏まえながら、計画どおり平成27年の完成を国に要請しているところだ。もうこれ以上、ダムに翻弄されたくないというのが本音のところだろう。どこでボタンを掛け間違えたのかはわからないが、遠く東京都内の海抜ゼロメートル地域に住む大勢の人にまで影響するダムである。やはり一刻も早い完成が待たれるところだ。百聞は一見にしかず。TVの画面からはわからないものが、現場に行くと見えてくるものがある。

 帰路の車中でみた「水の旅路」のビデオは、814も支流を持ち、総合計322キロの流れを持つ大きな利根川の物語だった。

 徳川家康が江戸城に入り、人の力を使って河川工事をし始めてからすでに400年以上。利根川は江戸の人々の暮らしを変え、現代の繁栄の礎を築いてきたのだ。今後も、この川といかに共生していくことが大切であるかを知り、川を巡る人々の苦労や知恵を学ぶことができた旅であった。

(レポート:中野 朱美)

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