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土屋信行さん特別インタビュー
〜「首都水没」を出版 〜

 土屋信行(つちやのぶゆき)さんは、江戸川区の元土木部長で、現在は、公益財団法人えどがわ環境財団の理事長をされておられます。以前、ダムインタビューにご登場願い、首都東京の洪水に対する脆弱さについて語って頂きました。また海抜0メートル地帯において、すぐに避難できる高台としてのスーパー堤防を整備するという事業計画について、スーパー無駄遣いと批判されて事業仕分けされてしまったことを嘆いておられました。

 今回は、当時から発信し続けておられた東京の洪水の危険性についてまとめた「首都水没」が上梓されたのを機に、再度、お話を伺い、どうして東京の水害リスクが高いのか?その歴史的背景、構造的問題などを解き明かして頂きます。



防災意識を高めたい

中野: まず近況をお伺いします。江戸川区を退職されてからは、えどがわ環境財団に移られ理事長をされていると伺いました。また、リバーフロント財団でもお仕事もされておられるのですか?

土屋: リバーフロントでは非常勤の理事にして頂いているので時々行っておりますが、主としては、えどがわ環境財団におりまして、江戸川区民のための公園事業や環境行政のサポートをさせて頂いています。

中野: それと、先日、私も参加させて頂きました市民防災まちづくり塾というのもありますね。これも防災についての啓蒙活動として、いわば土屋さんにとってのライフワークというべきものでしょうか?

土屋: そう大げさなものではないです。「防災」というと、最近では防災機関や防災専門家とかいう肩書きの方がTV、新聞等に出ていろいろ解説するようになった訳ですが、では一般市民の意識もそうなっているかというと全く違う。むしろ自分だけは災害に合わないという、いわゆる「正常化バイアス」といいますが、多くの方はまず自分は災害に遭わないと考えている人が多いので、防災というものを肌身に感じて頂きたいと思いました。例えば、ダムの話は聞いたことはあるが、ダム本体を見たことがないという方も多く、また街の中での河川の工事現場がほとんどなくなってしまったということも一因ですが、そうした河川工事によって今の安全な生活が支えられていることに気づかない状況なのです。それで市民の皆さんに防災ということを現場から感じ頂こうということからこの塾を立ち上げました。

新書「首都水没」を出版



土屋: 今回「首都水没」とセンセーショナルな題名にした訳ですが、首都圏では地震への警鐘がよく言われておりますが、水害についてはどなたも意識が向いていないので、注意喚起の意味で強調してみました。地震については今から20年前に阪神淡路大震災があって、その後続けて中越、能登、宮城沖地震が起きました。それから東日本大震災が起きたので、だいたい十数年ごと、みんなが忘れない一定のインターバルで起こっています。やや不謹慎な言い方ですが「地震は自信をもって起こる」ものだと思っていまして、これは皆さん共通認識があります。阪神淡路大震災では約6400人が亡くなり、その8割が倒壊家屋で家具の下敷きになっての圧死という事実から、今はほとんどの方が大型家具は固定しなくてはいけないというように「地震防災」の意識は高まっていますが、首都圏の人々にとって水害については全く意識がない、その危険性については寝耳に水状態です。

中野: 確かにマスコミでも地震を警戒する報道が多いですが、首都圏の水害については取り上げられたことがそれほどないですね。
土屋: 誰も、東京で水害によって命を無くす危険があるとは想像していません。関東ではカスリーン台風以来、関西では、昭和34年の伊勢湾台風以後、大規模水害は起こっていないのでまったく無防備、無関心という感じでしょうか。ゲリラ豪雨の影響で小規模な河川の氾濫というものはありますが、広範囲に街が水に浸かるという大水害が起きていないので、数千万人もの人が身近に危険を感じるという意識がないのです。

東京は世界一危ない都市

中野: 本の最初には世界の都市の自然災害リスクランキングで、東京が一位になったという事が書かれていますが、東京ならではの問題はどこにありますか?

土屋: まず自然地形として東京は、西に武蔵野台地、東に下総台地があって、その中間に低平地、いわゆる海抜ゼロメートル地帯が広がっているということで、ここはいくつもの河川によって運ばれてきた土砂が堆積してできた沖積層で6000年程前までは海でした。こうした軟弱地盤のところに人口が集中して大都市ができ、経済的にも大きく発展していったのです。つまり自然地形としては危ない地域に日本の社会や経済の中枢があるという事実に対して、もし大規模な水害が起きたらどういう経済的リスクがあるかを考えると、途方も無い被害が生じることは間違いないというので世界一の危険があるとされたのです。これは再保険を引き受ける保険機関が発表したもので、普通、保険会社は自社のリスク回避のために保険に保険をかけるということをします。従って、再保険を受ける側は大きなリスクがあると莫大な保険金を請求されることがあるので、ハイリスクのところの再保険は保険料率を高く設定せざるを得ないということになり、東京の災害に対する再保険料率は世界トップということになります。

洪水のリスクを抱えながら工夫して文明が発達した

中野: 東京の水害リスクが大きいという評価には本当に驚きました。歴史からみて地形がどのようにつくられていったかを考えれば防災対策はわかると思うのですが、そういう面ではどのような対策があるとお考えでしょうか?

土屋: 地形として危ない場所に都市は発展していないかというと、実は世界的にみても東京の場合と同じように大都市はだいたい大きな川の河口付近にあります。歴史的にみると、古くはメソポタミア文明、インダス文明、黄河文明等も同様です。裏返して見ると、そこは非常に豊かな土地だったのです。エジプトでは洪水期にピラミッドを造っていて、水が引いたら肥沃な土地で小麦を育て、次の洪水期の前に刈り取って倉庫に入れていました。その周期を的確に予想するために天文学、数学が発達したのです。言い換えれば、洪水を利用して文明が発達してきたとも言えます。江戸時代も同様に、入り江を埋めて低平地を高い土地にして利用し、水路を沢山造って水運をし、いわば洪水に寄り添って暮らしていたのです。昨年、広島で大きな土砂災害がありましたが、もともとそこは住んではいけない土地という意味で「蛇崩れ」等の名前が付けられていました。そういう具合に言い伝えとして気をつけるようにしていたのです。
 東京でも同じような場所は山の手でもあります。ゲリラ豪雨で危ない場所になります。一昔前なら、武蔵野台地に降った雨は低いところに集り、大地を削りV字谷になって水が流れて川が形成されます。それが妙正寺川や神田川等です。それがバランスをとって流れている間は誰も危ないと思いませんでした。周囲には畑や森があるのでそこに降った雨は地面に染み込んで川に流れるまでは一定の時間がかかるという、タイムラグがあったのですが、現在は畑や森がなくなりコンクリートとかアスファルトで覆ってしまったので、降った雨が直接、川に流れ込んでしまいます。計算値ですが、だいたいV字谷の時間降雨は30mmが限度で、それ以上の雨が降れば当然溢れてくるのです。それを今、50mm強の雨でも大丈夫なようにしようというと、いろんなことが必要になってくるのです。だから環状七号線の地下を掘って首都圏外郭放水路を造ったのです。この施設は、あふれそうになった中小河川の洪水を地下に取り込む調節池の働きをします。地下50メートルのところに総延長6.3kmのトンネルを通して江戸川に流す、世界最大級の地下放水路です。


ゼロメートル地帯では地震洪水が危ない

中野: 東京は都市化が進むにつれ、地面がアスファルトに覆われていき雨が染み込む余地がなくなったというのも問題の一つですが、地下水の汲み上げで起こった地盤沈下の影響も大きな問題だと聞きましたが。

土屋: 地盤沈下が最初に注目されたのは、関東大震災後に行われた水準測定がきっかけです。このときに行われた測量調査で、荒川放水路周辺で広範囲にわたって沈下が見つかりました。荒川放水路は明治の大水害の結果、都心を守るために掘られました。当時、河道筋を決めて守る地域と、遊水池で持たせるという計画でしたが、その計画の実現より前に都市化が進み、現在ではこの辺りに200万人以上が住んでいます。また高度経済成長期には、この地域でたくさんの地下水を汲み上げました。地下水に天然ガスが含まれていることが分かったので大量に汲み上げてガスを採取して燃料として使い、水は工業用水として活用したのです。その結果、地盤がもともと軟弱な堆積土砂で構成されていたため、地盤沈下が猛烈な勢いで進みました。荒川放水路の真ん中では最大5mも沈下してしまいました。時代が進んで周囲に建物が建てこんでしまった後では、必要な堤防の断面積を確保することが出来ないため、時代をおうごとに堤防をどんどん嵩上げしていくことになり、いわゆる「カミソリ堤防」と言われる薄く高いコンクリートの堤防になっていきました。

中野: だから本にあるように、大雨が降らなくてもゼロメートル地帯では、地震が起きればカミソリ堤防が耐えられなって壊れることで洪水になる恐れがあるのですね。

土屋: それこそが「地震洪水」です。私はどこへ講演に行っても、ゼロメートル地帯には「第四の洪水」があると言ってきました。東京では、第一の洪水が利根川や荒川が溢れたり、河川の堤防が決壊したりして起こる「外水氾濫」、第二の洪水が台風と共に海の水がやってくる「高潮洪水」、第三の洪水が、雨水を排水できずに低地に溜まり続ける「内水氾濫」そして第四の洪水がこの「地震洪水」です。阪神淡路大震災時には、淀川の堤防が崩れてしまい形をなしていませんでした。あの時は渇水期の1月でしたが、もし東京で起きたらと考えると渇水期であっても満潮では地盤面から4m以上の高さがあり、干潮でも海面下に沈んでしまうゼロメートル地帯である訳ですから、1年365日いつ地震があっても堤防が壊れた場合、水没してしまうのです。
 これまで内閣府の中央防災会議の災害担当のところへ、東京の低平地だけではなく大阪、神戸、名古屋のように伊勢湾等にもある特殊堤で囲まれたゼロメートル地帯は地震洪水を地震の被害予測のなかに入れてくださいと十数年来お願いをしてきました。今回初めて昨年末に発表された首都直下型地震の被害想定のなかに、地震が起きて堤防や水門などの機能が失われた場合、ゼロメートル地帯を中心に大きな浸水被害が及ぶことについて初めて言及し、水害になる地域の図面を入れて頂くことが出来ました。

地震があったら地下鉄から逃げろ

中野: 地震と洪水はイメージとしてなかなか結びつかなかったのですが、このような洪水も起きるということがわかりました。それでもし地震が起きて洪水になるとすれば、具体的にどういう場所の危険が大きいのでしょうか?

土屋: 海抜ゼロメートル地帯の地震洪水の浸水は、東京の地下に網の目のように張り巡らされた地下鉄を通じて広範囲に拡大していきます。「地震があったら地下鉄に逃げ込め」は、東京では成り立つ防災知識ではありません。東京の地下鉄は全て?がっています。「水の低きに就くが如し」というように水は低いほうに向かいます。地下に流れ込んでいくとすると、一番深いところに建設された地下鉄大江戸線に向かうのです。大江戸線は他の地下鉄の駅とクロスするところは乗換えができるように作られているので、水はやがて全路線に回り、地下鉄が満杯になると、地上に溢れ出てくるのです。

中野: やはり、東京に住む人には、水害への危機意識がありません。水害の経験がない人が大部分なので、どうしても自分は安全だと思ってしまいます。


土屋: そうですね。関東地方は昭和22年のカスリーン台風以来大きな台風は直撃していません。たまたまこれまでは台風の直撃を受けていないので、あれほどの洪水を経験していないのです。それで、防災意識が薄らいでしまっているのです。台風が直撃しないのは、運がいいだけです。先日、ゲリラ豪雨で地下鉄の駅に水が入ってしまった時、TV取材を受けたのですが、切り口がすべて「地下鉄水害」なんです。地下鉄の水害は全体の水害の入り口でしかありません。例えば、降った雨が排水出来ずに溜まり続ける「内水氾濫」で止まらなければ、次の危機は、河川堤防の破壊による「外水氾濫」になり、結果として地下鉄水没になるのです。いくつかの報道では、地下鉄水害が恐ろしいと言っているのですが、その後に来る大洪水が恐ろしいことを解ってほしいですね。入口を防水隔壁(水防ゲート)にしてもらえれば防げると思うのですが、美観を考えてスリットになっていたりするのです。水害を考えて地下街を作っていないのです。対策をとるなら全部見直さないといけない。防水隔壁は現在増強中で、今後も増やしていくことになっています。

中野: 地下鉄は危ないので、浸水の拡大を止める防水壁対策は進んでいるようですが、他にも危険があるのでしょうか

土屋: 東京の地下を繋げているのは地下鉄だけではありません。 共同溝も洪水時に浸水を広げていく可能性があります。地下に張り巡らされた共同溝や電力通信設備のための地下トンネルは全て繋がっていて、洪水を拡大させることが考えられます。地下の大動脈の水没は日本経済に多大な損失を与えます。

東京の三大水害とは

中野: 明治以降、東京で起こった三大水害と言われるものについて、再度、整理して教えて頂けますか。

土屋: 東京の三大水害は、明治43年の「東京大水害」、大正6年の「大海嘯」(だいかいしょう)そして昭和22年の「カスリーン台風」と言われています。まず、明治43年の水害では江戸時代からある利根川の「中条堤」が決壊したのをきっかけに、これに頼ることを破棄し、河道そのもので治水対策をする判断をしたので、荒川放水路を造るという大工事が行われました。
 その後、大正6年は「大海嘯」と言われる津波のような大規模な高潮がきて、深川、品川、葛西でおよそ3m浸水し、葛西村(現在の江戸川区)では248人の死者を数え、全国で1324人の死者・行方不明を生む大被害をもたらし、全壊家屋は全国で36,000戸余り、東京府では前後2回にわたって高潮が押し寄せました。高潮も規模が大きいと破壊力を持って迫ってくる津波と同じなのです。それから海岸部に堤防がつくられることになりましたが、昭和24年のキティ台風、34年の伊勢湾台風と高潮のたびに高さが嵩上げされていきました。
 一方、昭和22年のカスリーン台風の時、利根川の栗橋町上流地点で堤防が破壊したため大洪水が発生しました。東京では、足立・葛飾・江戸川区を一面の海にし、浸水期間約2週間という未曾有の大水害となりました。明治43年の大水害の時は破堤しなかったため大丈夫だと思われていたのですが、地域の開発もこの約40年間に相当進んでおり、降った雨が地面に浸透できない面積が増えていたことから、利根川の水は栗橋に集中することになってしまいました。そこで利根川水系に初めてダムによる治水を防災対策に位置付けるという考え方が生まれたのです。


中野: 以前のインタビューでも少しお聞きしましたが、かつて徳川家康が行った利根川東遷事業でもともと流れていた川の方向を変えてしまったので、洪水に巻き込まれたのですね。

土屋: そうです。まさに言い伝え通りに時代が変わっても洪水は自ら定められた「みずみち」に従って流れたのです。現在では、利根川水系、荒川水系においては、上流域は「ダム群」で、中流域は「遊水池群」、下流域は、「放水路」で守るという役割分担による洪水調節の方針が確立しています。

明治以降の治水対策は完成していない



中野: 東京の洪水調節のためにも八ッ場ダムが建設されることになって良かったです。ですが明治時代からの治水対策というものはまだ完成していないのでしょうか。

土屋: 構想に対して整備率からするとほぼ6割弱で、まだ終わっていないのが実情です。八ッ場ダム問題のように、計画の途半ばで、ハードウエアの整備をやめてしまうのは大問題です。代替策を議論して中止したかというのでなく、ただ中止しまっては本来その計画によって守られる地域はなぜ中止か、見捨てられたのか?という思いになるのは当然です。

中野: 中止したらどの位費用がかかるかという試算ができていなかったのですね。
土屋: ダム建設を止めた場合、ダムに替わる10種類以上の検討案が出ましたが、私の試算値で言うのは申し訳ないのですが、ダムは一番コストがかからないし早く出来るということになったのです。昔から川幅を広げるというような治水対策をやってきたわけですが、現実的には都市化が進んでしまった東京では、用地買収を考えると江戸川、利根川地域では2兆円のコストがかかる計算になります。八ッ場ダム建設をやめて500億円から600億円を節約したといっても次の世代に治水の安全を未完まま引き渡すということでしかないのです。

地球温暖化と洪水対策

中野: 普段から一人ひとりが危機意識を持っていけなければいけないのですね。地球温暖化が進む中、最近は非常に激しい雨の降り方をするゲリラ雷雨が多く発生していますが、都民としてはこれからどういうことに注意をしていくべきでしょうか?

土屋: 日本では温暖化対策というと、どうしても緩和策のCO2削減のほうに話しが行ってしまいがちですが、それが功を奏して温暖化にブレーキがかかったとしても時間がかかるのです。それまでの災害に対しては、現実的な適応策を考えなければならないところまできていると私は思います。
 しかし、具体的に適応策をとるには膨大なインフラ整備がかかわってくるので、国の問題として決めて、取り組まないといけません。実際、オランダでは2007年に温暖化への適応策として、海面上昇、堤防の嵩上げ、降雨の最大流量など策定し、整備事業を開始しています。アメリカなど主要各国も、地球温暖化に対して適応計画を策定しています。昨年は、イギリスと中国が策定しています。イギリスではインフラ事業行う際に、鉄道のレール高は、予想される浸水高よりも1m以上高くすることを求め、洪水のリスクの増大を防ごうとしています。
 日本では、治水に関して、気候変動による降雨強度が増えるとされる地域について、試算をしていますが、それを具体的な河川の整備計画にまで反映されていないのが実情です。本来は、予測されるデータをもとに堤防の高さを上げたり、河川幅を広げたりしなければならないのに、洪水対策の実施計画の基準が変わらないので、堤防の高さ、強度、ダムの容量の検討等一切やっていないことは大きな問題と言えます。大水害のリスクは地球規模の温暖化が気候変動を招き、気象現象を極端化させているため、増大しています。

中野: なるほど、地球温暖化を防ぐための対策も大切ですが、現実的な水害への適応策をとることが重要なのですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。



(参考) 土屋信行(つちやのぶゆき)さん プロフィール

博士(工学)
技術士(建設部門・総合技術監理部門) 土地区画整理士
公益財団法人えどがわ環境財団理事長
公益財団法人リバーフロント研究所理事
一般社団法人全日本土地区画整理士会理事
土木学会 タクスフォース委員首都圏低平地災害防災委員会

 1975年東京都入都。第四特定街路建設事務所、第五建設事務所、下水道局建設部土木設計課主査、多摩都市整備本部区画整理担当主査、江戸川区区画整理推進課長、東京都第三区画整理事務所換地課長、建設局区画整理部移転工事課長、建設局道路建設部街路課長、江戸川区土木部長、などを歴任し、2011年 公益財団法人えどがわ環境財団理事長。
 この間、環状七号線、環状八号線の建設・設計、つくばエクスプレス六町駅土地区画整理事業に従事。中でも、秋葉原及び汐留再開発事業のまちづくり設計を行った。
江戸川区では、放置自転車ゼロ対策に取り組み、日本一の葛西地下駐輪場を完成させ、日本土木学会賞を受賞した。特に災害対策では、ゼロメートル地帯の洪水の安全を図るため、平成20年度に、海抜ゼロメートル世界都市サミットを開催し、現在も幅広く災害対策に取り組んでいる。
 現在、東日本大震災の復興まちづくりの学識経験者委員として、宮城県女川町の復興に取り組んでいる。

(2015年2月作成)
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