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ダム番号:1214
 
水月新池 [愛知県](すいげつしんいけ)



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テーマページ 位置未確認ダムを探して…水月新池 〜「新」の一文字は何処に(経過報告)〜
左岸所在 愛知県瀬戸市中品野町島原 
河川 庄内川水系水野川
目的/型式 A/アース
堤高/堤頂長/堤体積 19m/73m/千m3
総貯水容量/有効貯水容量 4千m3/4千m3
ダム事業者 愛知県
着手/竣工 /1950
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[水野川→松川]
【07当初→07最終】河川名[松川→水野川]

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位置未確認ダムを探して…水月新池
〜「新」の一文字は何処に(経過報告)〜

ダムマイスター 01-024 安部塁
協力:ダムマイスター 01-033 mayuno
1.はじめに

 愛知県瀬戸市の「水月新池」は、推定の位置情報が記載されていない位置未確認ダムでした。ダム便覧の情報を一部抜粋すると、下記のようになります。

左岸所在地   愛知県瀬戸市中品野町島原
目的/型式   A/アース
堤高堤頂長  19m/73m
着工/竣工   /1950年 

 昨年開かれたダムマイスター情報交換会で皆様に意見を求めたところ、mayunoさんから、その候補地は、東海環状自動車道せと品野IC付近の堤体が可能性として高いのではないかという意見がありました。ダム便覧では、所在地が「島原」とされていますが、これは現地に実在する「鳥原(とりはら)」の誤記・誤植と考えれば辻褄が合うのではないかということです。この堤体にはmayunoさんも、すでに足を運ばれでおり、相応の堤高が認められたということでした。その場所には、石碑があったものの碑文には「水月新池」の文字は確認できなかったそうです。


東海環状自動車道せと品野インターチェンジ
 私も、この場所を水月新池の一つの候補として考えたことがありましたが、航空写真では堤高不足のように思われたため少し離れた別のエリアをターゲットにしていました。

2.再検討

 愛知県瀬戸市、日本人が毎朝ご飯を食べるときに手にするお茶碗、その食器が実際にこの地で製造されたかどうかは別として、「セトモノ」という言葉は陶磁器の代名詞となっています。

 せと品野IC付近にある貯水池について、市販の住宅地図で確認すると『大洞新池』という名称が記されていました。「大洞」とは、この堤体がある一級河川庄内川水系水野川支流の大洞川(おおぼらがわ)と関係があることは明らかです。


『大洞新池』の表記(住宅地図より)

大洞川、土石流危険渓流の標識
 一方、瀬戸市が作成したハザードマップにはその場所の名称が『水月池』とだけ記されていました。「新」の一文字が足りません。もっとも、両方の名前を平均すれば、めでたく『水月新池』となるはずですが…。


『水月池』の表記(瀬戸市ハザードマップ<二又池・荒子池>より)
 mayonoさんが訪れた際に、この堤体で石碑を確認しているということでした。アースダムでは、石碑は草むらの中に静かに潜んでいることがしばしばあります。このような場合、冬枯れとなる季節を選ぶのが最適です。こうして、時季を選んで地形図を参考に現地に向かうことにしました。途中、堤体が崩壊した溜池のような湛水地(湿地?)がありました。竹木が生茂り、もはや管理されていないようです。よく見ると人工的な構造物の痕跡が認められます。水月新池はすでに決壊していたのでしょうか。


湛水地の構造物
 念のため持参した地形図(国土地理院)と照合してみます。その地形図には特に貯水池のようなものは描かれておりません。しかし、せと品野ICのランプウェイ高架橋との位置関係から、この地点は目的地よりも少し下流であることがわかりました。目指すべき水月新池は、もう少し上流です。


水月新池と思われる堤体下流面
 なだらかな坂道を登って行くと、目的としていた堤体に到着することができました。その斜面には、無数のクマザサが生えています。植物の生長が盛んな季節には、一面がクマザサの緑で覆われるようです。


余水吐越流部の状況
 堤体は、これまで登りつめてきた高低差を考慮すると基礎岩盤から20m程度の高さを確保していると考えられます。また、堤頂部も歩測で70m程度の長さを確認することができました。余水吐右岸側に設置されており、越流部が木材と土嚢で少しだけ堰上げされていました。今日でも農業用の水源として大切に利用されているようです。


堤頂部左岸から右岸方向を望む
3.石碑

 堤体左岸部には、mayunoさんのお話の通り、小さな石碑が設置されていました。刻まれている文字は、独特の書体で読み取り難いものでしたが、おそらく次のような文字であると推測しました。


石碑下流側の文字
壽来志日仁    ※最初の文字は「寿」の旧字体であると思われます。
咲て安良宇与
古野佐久良  ※二番目の文字は「野」の異体字であると思われます。

石碑上流(貯水池)側の文字
記念佐久良
   宝山
昭和癸巳弥生

 長い昭和年間において十干十二支の組合せが「癸巳(みずのとみ)」となった年は、「昭和28年」の一度限りでした。これは石碑の設置年を示しているものと思われます。ダム便覧では、水月新池の竣工が昭和25年とされていますので、やはり堤体築造と関係があることは確かです。石碑自体、しっかりとしたコンクリートの土台に固定されています。何らかの意図を持って、この場所に設置されたものと考えなければなりません。このアース堤体は、水野川支流の大洞川に建設されたものです。石碑の設置者は「水野」を「癸(みずのと)」にかけて、癸巳年となる1953(昭和28)年を待って、この記念碑を建てたのかもしれません。また、この地が水の恵みあふれる土地になるようにとの願いを石碑に込めたのかもしれません。

 下流側の碑文の内容は、
【寿来志日仁】すぎし日に
【咲て安良宇与】咲きてあらうよ(‐あろうよ)
【古野佐久良】このさくら
 という意味であると考えました。俳句でしょうか。
 なお、『咲て』は「咲いて」と読むのか「咲きて」と読ませるのか迷いましたが、ここでは「咲きて」の方を選びました。

 上流側の碑文の内容は、
【記念佐久良】記念さくら
【宝山】宝山
【昭和癸巳弥生】昭和28年3月
ということになります。「宝山」とは俳句の作者の俳号でしょうか。

 石碑の設置者は「佐久良(桜)」にこだわり続けていますが、当地は桜の名所ではなさそうです。また、周囲を見渡しても桜の樹らしいものは見当たりません。竣工記念にソメイヨシノを植樹し、併せて石碑を設置したのかもしれません。その後、記念樹は枯れてしまい石碑だけが残ったのかもしれせん。


貯水池の状況
 この石碑の由来について瀬戸市を通して照会しましたが、地元農家の方も全くわからないということです。そのため、すべては想像の域を出ません。しかし、石碑の存在は、この堤体が昭和28年前後に築造されたという貴重な証拠を伝えています。

4.瀬戸市の回答

 堤体の規模がダム年鑑・ダム便覧に掲載されている諸元とほぼ一致していると思われること、瀬戸市作成のハザードマップに「水月池」と記載されていることから、この場所が「水月新池」である可能性がきわめて高いものと考えました。

 ところが、瀬戸市に確認したところその回答は、
・ため池台帳上の「水月池」はハザードマップに掲載されている位置ではなく、その下流にある貯水池のことである。
・水月池は、ため池としては潰廃(かいはい)したものとして扱われている。
・上流の池については、ため池台帳には何も記載がない。
・「大洞新池」という名称については、ため池台帳では市内にその名称がなく地図会社が便宜的に記載したものと考えられる。
 ということでした。


瀬戸市ハザードマップ<二又池・荒子池>より当該部分を抜粋
 整理すると、ハザードマップに記載されていた「水月池」とされる堤体は、「水月池」ではなく、行政側がその存在を把握していない名称不明の河川構造物ということになります。そして、ため池台帳には、あの崩壊したような湛水地(上掲地図では左上が下流方向)が「水月池」の本来の位置として記録されていたということになります。これらのことから、今後ハザードマップは微修正されるようです。


水月池の状況、上流部より
 補足すれば、水月池もその上流の池(名称設定なし)も危険度の高い堤体としてハザードマップにリストアップされたものではありません。また、このハザードマップには、池の名称記載位置にこそ小さな過誤がありましたが、国土地理院の地形図よりも遥かに正確な現況を反映していました。このハザードマップの信頼度に何ら揺るぎはないと思います。


水月池の上流にある堤体の余水吐
 さらに、地図にも記載されている通り水月池の下流には、万一の場合に備えて砂防堰堤が待構えています。(ただし、土石流危険渓流の流域ですからお住まいの方は、地元の気象情報等に十分注意すべきです。)

5.経過報告

 以上のことから、少なくとも愛知県瀬戸市内には「水月新池」は行政上存在しないことが明らかになりました。調査はふりだしに戻りました。


庄内川水系水野川
 ただし、水野川水系で水月新池の諸元を満たす堤体は、せと品野IC付近に存在するもの以外に見当たりません。水月池が老朽化したため、上流にあらたにアースダムを建設して「水月新池」と命名したと考えるのがもっとも合理的です。そして、その記録が何らかの事情で役所の書類から欠落して今日に至ったのかもしれません。


石碑
 一方で、水野川にこだわらず、もう少し広い範囲を調べる必要があるのかもしれません。

 結果的に水月新池は現状も位置未確認のままとなり、このレポートは経過報告で終わります。もし、あの石碑について何かご存知の方がいらしましたらご一報願えれば幸いです。

(2016年3月作成)


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