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1.はじめに
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高田池(たかだいけ)は大分県豊後高田市大字高田に所在するとされる農業用アースダムで、ダム便覧上では位置未確認の状態となっています。国土数値情報における位置は桂川自体を指していますが、その場所に溜池はありません。 堤高19メートル、堤頂長145メートル、総貯水容量205,000立方メートルという諸元は、やや大きめの溜池であることを示唆しており、近県の例では大熊毛池(大分県国東市)や菖蒲谷ダム(福岡県北九州市)に近い規模です。このくらいのサイズの溜池であれば、国土地理院地図や市販のドライブマップなどに名称が掲載されている可能性もあるのですが、手元にある地図ではその存在が確認できません。 他に所在地を示唆する情報は、河川が桂川水系桂川であること、ダム事業者が「浦田土地改良区」であることといった程度で、十分な情報があるわけではありませんが、このたび現地訪問等でその位置を推定してみましたので、レポートさせていただきます。
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豊後高田市「昭和の町」 |
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2.二つの高田池
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豊後高田市公式ホームページの情報では、豊後高田市の住所表示は平成17年の市町合併により変更されているようです。高田池の所在地とされる豊後高田市大字高田は、現在の是永町、水取、本町、鍛治屋町、金谷町、浜町、中央通、新町、新地、今町、高田に該当します。市役所や“昭和の町”などがある市街地の範囲に相当しますが、この範囲内に大規模な溜池は確認できません。高田池の探索範囲は、ここを中心に少し範囲を広げて考えてみることにします。 高田池の事業者は「浦田土地改良区」であるとのことです。浦田はおそらく地名であると思われるのですが、現在の豊後高田市内の町名で浦田という名はありません。行政が発行した資料等で浦田という語を探してみると、市内に浦田井堰と呼ばれる堰があることを知りました。所在地は豊後高田市上北で、桂川本流に設けられた堰です。高田池の接続河川が桂川であること、所在地が近いこと等から、土地改良区名として冠された浦田との関係を想定してもよさそうです。 豊後高田市が発行している洪水ハザードマップを確認してみると、市内にある溜池の多くに名称が記載されており、溜池の探索にはたいへん有用な資料であることがわかりました。前述の浦田井堰を中心として名称を確認してみると、「高田池」と記された溜池が2箇所あります。所在地は来縄(くなわ)とかなえ台で、いずれも旧大字高田からは外れているものの比較的近距離にあり、接続河川も桂川であると思われます。 以上より、この2つの溜池のいずれかがダム便覧における高田池に相当するのではないかと推測し、来縄にある溜池を高田池@、かなえ台にある溜池を高田池Aとして現地訪問を行うことにしました。
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高田池位置図(国土地理院ホームページデータを加工) |
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3.現地訪問〜高田池@(来縄)
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高田池@は市街地の南西、来縄地区に位置する小規模な溜池です。本名大池・本名新池等の溜池と並んでおり、位置関係からは本名大池の直下に位置するものと思われます。近年の航空写真では、干上がって底が露出している様子が確認できますが、ダムの基準を満たすような規模には見えません。 実際に現地に行ってみると、道路脇にある狭い湿地状の場所で、草が生い茂った状態でした。北側は道路擁壁になっており、明確な堤体もありません。既に廃棄されたものか現在も活用されているものか不明ですが、いずれにせよごく浅い皿池であると思われます。 高田池@が、ダム便覧における高田池である可能性は低そうです。
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高田池@ 写真奥に見える堤体は本名新池 |
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4.現地訪問〜高田池A(かなえ台)
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高田池Aは市街地東側のかなえ台に位置し、地図上では桂川が大きく蛇行する位置の右岸にあたります。かなえ台は、豊後高田市大字鼎(かなえ)の一部が独立して新たな町となったとのことで、現在は大分北部中核工業団地が形成され、工場群が立地しています。かなえ台の名のとおり、地区全体が高台になっています。 近隣にはいくつかの溜池が点在し、高田池Aの北東には高宇田池、南西には尾迫溜池という溜池があります。
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大分北部中核工業団地 |
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工業団地の西端近くから高田池Aに続く管理道がありました。道はアスファルト舗装されているものの草木の浸食が著しく、とても常時通行がある状態とは思えません。
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高田池A入口 |
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管理道を300mほど下っていくと、高田池Aの左岸側に至ります。なだらかな堤体は草に覆われており、湛水がほとんどないため下流側から眺めているような印象です。対岸(右岸)側に取水塔のような施設と洪水吐が見えます。
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高田池A堤体 |
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天端は自動車が走行できる程度の幅員があって舗装されていますが、やはり周囲から草が茂っています。下流面もひどい薮で、堤高ははっきりしません。
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コンクリート製の立派な洪水吐が設けられていますが、水位は遙かに下方です。草木の状態から見ると、近年は洪水吐が機能するまで水位が上がっていないようです。 溜池上流は工業団地が造成され、あたかも巨大なアースダムのように見えます。溜池左岸上流(写真右端)から流入路が設けられており、工業団地の雨水排水等が流れ込んでいるものと思われます。
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高田池A洪水吐(後方は造成地の斜面) |
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工業団地から見下ろすと高田池Aの全景が見えます。堤体自体は相当の規模があると認められますが、湛水がほとんどない状態であること、たとえ満水になっても約20万立方メートルという貯水量はないと思われること、明らかに放置された状態であることなど、不審点が多くあります。 堤体自体はダムの規模を満たす可能性が高いと思われるため、本溜池をダム便覧上の高田池に該当するものと仮定して検討を続けてみたいと思います。
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高田池A全景 |
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5.資料調査
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現地調査では十分な情報が得られなかったため、インターネットや図書館等を利用して情報収集を行いました。
(1) 地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院が提供するウェブサイト「地図・空中写真閲覧サービス」では、過去の航空写真や測量図等を閲覧することができます。 高田池Aが位置するかなえ台の状況を中心に調べてみたところ、昭和45年の国土基本図に高田池が記録されていることがわかりました。場所は高田池Aと同じ場所ですが、範囲は現況より遙かに広く、現在工業団地として造成されている箇所まで広がっています。 工業団地の造成工事は平成6年11月25日に起工式を行ったという記録が残っていますので、概ねその時期に溜池の大半が埋め立てられたものと考えられます。
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昭和45年国土基本図(国土地理院ホームページデータを加工) |
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国土基本図の作成時期と近い昭和50年の空中写真では、高田池の様子が確認できます。この航空写真から堤頂長を計測してみると、概ね90m程度ではないかと思われます。ダム便覧上の高田池の堤頂長145mには及びませんが、近隣では比較的大きな規模の溜池であったようです。 なお、この時点では取水塔は存在していないように見えます。
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昭和50年空中写真(国土地理院ホームページデータを加工) |
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工業団地造成後の平成9年の空中写真では、溜池を含む丘陵上の広い区域が造成されていることがわかります。湛水域は消滅していますが、堤体の形状はそのまま残存しています。写真でははっきりしませんが、取水塔が設置されているようにも見えます。 すぐ東側に大きな土手が形成されています。
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平成9年空中写真(国土地理院ホームページデータを加工) |
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直近の平成27年の空中写真では、再び堤体が緑に覆われ、僅かな湛水が見られます。周囲には多くの工場が立地しています。
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平成27年空中写真(国土地理院ホームページデータを加工) |
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(2) 大分北部中核工業団地パンフレット 工業団地を紹介したパンフレット『大分北部中核工業団地NEOテクノ Fuki(富貴)の里』では、工業団地の区画図が掲載されていますが、その中に2つの池があります。 西端に表示された「川東調整池」が、位置・形状からみて高田池Aに該当します。なぜハザードマップ等と異なる名で表示されているかは不詳ですが、その名称からは調整池に変貌していることが窺えます。 北端には「高宇田調整池」が表示されており、ハザードマップに掲載された高宇田池に該当します。この池も過去の空中写真では比較的大きな溜池であった様子ですが、高田池Aと同様に埋め立てられ、小規模な調整池になっています。
(3) 大分県土地改良史 『大分県土地改良史』では浦田井堰について記述され、記事中で高田池についても触れられています。 「高田池は明治28年(1895)起工同33年に竣工し、5カ年の日時と76,000円の巨費を要したが、貯水量に比べて集水面積が狭いため満水せず、利用価値が極めて少なく、昭和2年揚水施設によって補水したが僅かに水不足を補ったに過ぎなかった。」「昭和9年高田池の承水路延長1,500メートルを河内村大字森宮尾迫より掘削し、集水面積の拡大をはかり高田池は満水した。」とされています。 ダム便覧上の竣工年は明治40年(1907)となっているため、本記事とは7年の差がありますが、比較的近い時期といえます。 河内村から承水路を設けて集水面積の拡大をはかったということであれば、高田池は当該地の下流に位置するものと考えられます。旧河内村は昭和26年(1951)に合併により「豊後高田市森」となっています。所在地はちょうど桂川の蛇行する位置を挟む地区にあたり、まさに高田池Aが位置するかなえ台の直近です。 以上からも、高田池Aがダム便覧上の高田池に該当する可能性が高いと思われます。
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6.まとめ
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以上の現地調査及び資料調査の結果、高田池Aがダム便覧上の高田池に該当するものと判断いたしました。ダム便覧に掲載されている高田池は大分北部中核工業団地の造成に際して埋め立てられ、工業団地の雨水調整池として再利用されているものだと推定されます。平常時の湛水はほとんどない様子であることから、潅漑用としては利用されていないのではないでしょうか。 堤体や洪水吐こそ残存しているものの、現在の状態は“高田池の痕跡”に過ぎないと思われます。 豊後高田市は観光資源として“昭和の町”を大きく売り出していますが、一方では昭和の農業を支えてきた溜池はその数を減少させています。やむを得ないこととは知りながらも、時代の変遷を感じさせることとなった調査でした。
(高田池推定情報) 左岸所在:大分県豊後高田市かなえ台 位置:北緯33度32分53秒 東経131度28分34秒
※参考文献 『豊後高田市史 通史編』(豊後高田市、1998) 『大分県土地改良史』(大分県農政部耕地課編、1979) 『2500分の1地形図(61)』(豊後高田市、2007) 『豊後高田市洪水ハザードマップ 市街地周辺』(豊後高田市、2013) 『豊後高田市洪水ハザードマップ 桂川浸水想定区域B』(豊後高田市、2013) 『大分北部中核工業団地NEOテクノ Fuki(富貴)の里』(地域振興整備公団・大分県・豊後高田市、2003) 『鼎地区遺跡発掘調査報告書 高宇田条里遺跡・高宇田条里遺跡貝元地区』(豊後高田市教育委員会、2000) 『桂川水系河川整備計画』(大分県、2009) ウェブサイト「大分県議会会議録検索システム」(大分県) ウェブサイト「豊後高田市公式ホームページ」(豊後高田市) ウェブサイト「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院)
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