《多目的ダム〜厳木ダム》
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厳木[きゅうらぎ]ダムは、松浦川水系厳木川上流の東松浦郡厳木町大字広瀬地点に、多目的ダムとして、昭和62年完成した。この建設記録について、厳木ダム工事誌編集委員会編『厳木ダム工事誌』(厳木ダム工事事務所・昭和62年)が刊行されている。
「松浦市の改修事業は、昭和36年から直轄河川として促進してきたが、昭和42年7月、昭和47年の7月等の洪水により厳木川、および本川合流付近の相知町に大きな被害を及ぼした。これを契機に、昭和50年に松浦川水系実施基本計画が改定され、松浦市の基準地点松浦橋で基本降水水流量を 3,800m3/sとし、厳木ダム等上流ダム群により 400m3/sを調節し、松浦橋地点の計画降水量を 3,400m3/sとする計画が策定された。」とある。さらに事業目的として、松浦川の既存用水の補給、流水の正常な機能を要し、水道用水として、厳木町、相知町、唐津市、多久市に対し32,000m3/日の供給、工業用水として唐津市に対し10,000m3/日の取水、また発電として、厳木ダム貯水池を下池、天山ダム貯水池を上池として最大出力60万kwの揚水発電を行うことができる。
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この書に、予備調査時点で、当時厳木町の岩屋炭鉱など斜陽化になったことで、福山義信厳木町長から、単なる治水ダムだけでは町には何の役にも立たない、多目的ダムとして、特に発電を入れることを強く要望されたこと。また、厳木ダムは「水源地域対策特別措置法」が適用されず、地元要望からの團場整備事業、生活環境の整備について、佐賀県と一体となって取り組んだり、各種の要望のなかで、電源交付金によって解決されたことも、記されている。
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さらに、岡部俊宏厳木ダム工事事務所長は、ダム工事にあたって、「ダム基礎基盤の大半が結晶片岩類からなり、まれにみる良好なダム基礎であり、基礎処理、コンクリ−ト打設等工事全般に亘り順調に推移したものであります。当ダムの特徴としては、流域面積が小さいことから中小洪水処理用として、中位標高にオリフィスを設置するなど、使用目的に応じた放流設備を配置し、非常用洪水吐は自由越流方式とし、その減勢は、導流壁により行い、副ダムでさらに減勢するという二段階減勢方式としており、さらにダム高 100mクラスのダムにおけるコンジットゲ−トとして、本邦で初めて摺動式を採用するなど、技術的にも特徴のあるダムであります。」と、述べている。
ダムの諸元は堤高 117m、堤頂長 390.4m、堤体積 108万8千m3、総貯水容量 1,360万m3、重力式コンクリートダムで、総事業費 614億円を要した。起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は鹿島建設(株)、清水建設(株)、(株)鴻池組である。
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用地取得面積は 83.56ha、水没移転家屋6世帯である。昭和55年3月多久市北多久町高木川内地区に6世帯全員は、円満に集団移転を行った。補償交渉に係わる『人とダム』(厳木ダム工事事務所・昭和62年)の書には、補償交渉の苦労が語られ、妥結時の被補償者との暖かい交流が記録されている。 なお、昭和62年ダム完成後、厳木町、相知町における厳木川流域には、人的、経済的な被害を及ぼすような水害は生じていない。
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厳木ダム |
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