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1.黒部川紀行

◇立山黒部アルペンルート

 平成17年8月5日〜6日東京都墨田区役所における「雨水東京国際会議」に参加した。その翌朝新宿駅から「あずさ3号」に乗車、信濃大町駅に降りた。眼前に後立山連峰が連なる。「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の碑を横目でみながらバスに乗り込み扇沢まで行く。

 多くの観光客で賑わっている扇沢は、立山黒部アルペンルートの信州側の出発点であるが、かつて黒部第四発電所(黒四ダム)の工事の際には、関西電力(株)建設事務所等が建ち並ぶ建設基地であったところである。
 扇沢からトロリーバスの改札口に並んでいると、親切な老夫婦に「半袖では黒四ダムのトンネルは寒いですよ。長袖は持っていますか」といわれ、そんなに寒いのかと思い、あわてて白い合羽を売店から買ってきた。

 トロリーバスは赤沢岳をぶち抜いた関電トンネル(大町ルート)を 6.1km、15分程で過ぎる。黒四ダムの工事の命運をかけた大破砕帯をあっけなく通り過ぎたが、ここから破砕帯の標識の壁をくいいるようにみた。どうしても見落としたくなかったからだ。

 黒部トンネル駅に着く。やはり、老夫婦が言ったようにトンネル内は寒いが合羽をはおることなく、急いでダム展望台(標高1508m)に上った。アーチダム黒四ダムは滔々と放流され虹を発しながらその雄姿が眼前に広がってくる。

  夏霧は怒濤のごとし黒部ダム
                川原河八

 まさしく、この風景を表現した句である。日本一の高さ 186mを誇るダムであるが小さく見えた。立山連峰の3000m近い山々に囲まれているからであろう。

 展望台からトンネル駅構内を通ってダムサイト右岸側に出るが、この間が凍えるように寒かった。そこに黒部トンネル湧水が地中深くしみ出ており、驚くほど冷たく、喉を潤してくれた。ダムサイト右岸側をさらに取水口の方へ進むと、ツルハシとノミを持った「六体の人物像」に出会う。「尊きみはしらに捧ぐ」とあり、殉職者慰霊碑は彫塑家松田尚之の作で建立されている。その横にダム建設による 171人の殉職者(転落事故60人、落盤事故49人、車両事故31人、その他雪崩など31人)の名が刻まれており、この碑に一礼する。

  黒四の慰霊碑にぬぐ登山帽
                田口晶子

 それからダムサイト左岸側に渡り、遊覧船「ガルベ」で、針ノ木谷までの往復11.5kmの黒部湖を一周する。湖は壮大なアルプスの山々にやさしく包み込まれているようで、水没した平の小屋が新たに湖辺に移転され、湖上からマッチ箱のように眺められた。

 黒部湖駅からケーブルカーに乗る。車内は家族連れで満席だった。 0.8kmを5分で黒部平に到着するところが、途中で停電、停車。雷雨が原因だという。電力をつくり出す黒四ダムにおいて停電するとは夢にも思わなかった。トンネル内は真暗闇、車内だけがほのかに灯がついている。このような状況が7〜8分続いたが、子どもたちは「ワイワイガヤガヤ」と元気である。このケーブルカーの電力は、関西電力(株)でなく北陸電力(株)の系統だという。

 ようやく着いた黒部平は霧の中、もちろん立山ロープウェイ 1.7km(7分)大観峰まで雄大な景色は何も見えない。今度は、室堂から美女平までの高原バスは雨の中、立山駅に降り立ったときは雨は止んでいた。富山電鉄で宇奈月温泉駅には夜にたどり着いた。さまざまな黒四ダムの想い出となる一日となった。なお、黒四ダムサイトのレストハウスで購入した、くろよん観光・編・発行『黒部ダム・アルペンルート』(昭和57年)は、アルペンルートを解説し、黒部ダム建設工事記録と映画「黒部の太陽」のスチール写真も掲載されている。



『黒部ダム・アルペンルート』
◇黒部峡谷

 宇奈月町は至るところから沢水の音が聞こえてくる。水の町である。「東京雨水国際会議」では、24億人が清浄な水が得られないという問題提起がなされた。このことを考えると、一層宇奈月町の水の豊富さに有難みを感じた。

 8月8日快晴。7時32分始発黒部峡谷鉄道トロッコ列車に乗った。宇奈月駅から欅平駅まで20.1km、トンネルの数は41ケ所、橋22基、日本一美しい峡谷の旅である。黒部川を渡って左岸側沿いにのぼっていくと、すぐに宇奈月ダムが見えてくる。さらに、柳河駅前には、宇奈月ダム建設によって水没した柳河原発電所(平成4年10月廃止)の代替として新柳河原発電所が平成5年に完成している。この発電所は出力41,200KWで、湖上に浮かぶ円型のヨーロッパの城をイメージした造りである。ほどなく黒薙駅に着くが、宇奈月温泉の源泉は黒薙温泉(文政2年開場)から引湯しているという。黒薙駅から笹平駅を過ぎ、左側に蒲鉾型のコンクリート造りの冬期歩道が見え、出平駅に着く。昭和60年に完成した発電用の出し平ダムが右側に現れる。勢いよく放流している。猫又駅対岸に黒部川第二発電所があり、さらにトロッコはゆっくりとブナ林のなかを進み、左岸に渡り、鐘釣駅に着く。この駅には黒部の氾濫を防ぎ、洪水から下流の人々を守る「鐘釣三尊像」が安置されている。さらにのぼり、昭和11年完成の小屋平ダムを過ぎ、欅平駅に着く。一般用のトロッコ列車はここが終点である。この地点は富山県下新川郡宇奈月町黒部奥山国有林内であって、黒部川第三発電所、新黒部川発電所(地下式)が建設されている。

 ここから6km上流に、仙人谷ダムがある。このダムの築造のためにトンネルが掘られ、そのとき、摂氏 100度以上に達し、過酷な労働を強いられたが高熱隧道は貫通し、昭和15年仙人谷ダムは完成している。このように黒部川は水力発電開発の歴史を秘めながら日本一深いV字峡谷美を形成し、明るい水をもって流れていた。


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