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13. 箕輪ダム(沢川)の建設


箕輪ダム

 沢川は、その源を守屋山1650mに発し、箕輪町松島付近で天竜川に注ぐ。流域面積49.4km2、流路延長18.7kmの河川である。

 沢川沿岸一体は、昭和25年ジェーン台風、昭和36年集中豪雨など度々水害を被っている。これらの災害を契機として多目的ダム箕輪ダムの建設がおこり、長野県上伊那郡箕輪町長岡新田に、昭和49年から19年の歳月を経て平成4年に完成した。


『箕輪ダム工事誌』

 長野県土木部編『箕輪ダム工事誌』(上伊那ダム建設事務所・平成5年)によると、ダムの目的はダム地点の計画高水流量 280m3/sのうち 230m3/sの洪水調節を行い、下流既設取水の安定化及び河川環境の保全のための流量を確保する。さらに水道用水として伊那市、駒ヶ根市、箕輪町、南箕輪村、宮田村に対し 50000m3/日を供給するものである。

 ダムの諸元は堤高72m、堤頂長 297.5m、堤体積30.6万m3、総貯水容量 950万m3、型式重力式コンクリートダム、企業者は長野県、施工者は飛島建設(株)、日本国土開発(株)、戸田建設(株)共同企業体、事業費 285.2億円を要している。昭和57年3月箕輪ダム補償基準調印式が行われているが、主なる補償は移転家屋36戸、取得面積63.5haとなっている。


『箕輪ダムの湖底に眠る』

 水没者の一人である中林孝一著『箕輪ダムの湖底に眠る』(自費出版・昭和63年)には、ふるさと長岡新田の地理、歴史、文化、産業について綿密な調査で纏められている。さらに、ダムの交渉経緯、長岡新田地区の過疎化問題にも触れ、子息たちが都会で暮らしはじめ帰郷は無理だと考え、先祖への許しを乞い、 400年の歴史あるふるさとに別れを告げる、水没者の心情が吐露されている。ダム建設には、このように水没者の哀しみがひそんでいる。だから「飲水思源」の精神を忘れてはならないだろう。

  耳馴れし瀬音は止みて
        今夜より湛ふるダムの静かなるかな
                         (金田千晴)

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