5.宮川ダム(宮川)の建設
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宮川は三重県と奈良県の境、大台ケ原山系に源を発し、大杉谷渓谷を経て一気に標高1000mを流下し、宮川ダムに流入する。ダムを通過し、桧原谷川、粟谷川を下り、三瀬谷ダムに入り、さらに大内山川を合流し、宮川用水粟生頭首工に至り、一之瀬川、横輪川を合わせ、伊勢市中島町の宮川堤を過ぎ、右岸に大湊川を分派し、伊勢湾に注ぐ。流路延長約93km、流域面積約 931km2の一級河川である。太田猛彦編著『宮川環境読本』(東京農業大学出版会・平成17年)によると、宮川流域の地形について、
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大内山川合流地点まで起伏の大きい山地、それから下流伊勢市佐八町付近まで丘陵性山地、それより下流は沖積平野で、平地の割合は少ない。そのため宮川の上流部は激しい憂食作用により深いV字谷を形成し、中流部では段丘が発達して水面が低いため慨して水害は起こりにくいが、下流部では逆に河床が両岸の平地より高いため、過去幾世紀にわたりたびたび洪水が氾濫し、尊い人命や財産が失われ、流域住民を悩まし続けてきた。 と述べてある。
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『宮川総合開発事業史』 |
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昭和25年5月戦後のわが国の国土の復興と産業の発展を促進するために「国土総合開発法」が制定された。昭和26年3月、青木理三重県知事は治水、発電等を目的として、「宮川河水統制計画」をつくり、これを基に灌漑と観光資源開発を含めた「宮川総合開発事業計画」が成立した。昭和32年この総合事業の主幹として、三重県多気郡大台町久豆地点に宮川ダムが建設された。三重県電気局編・発行『宮川総合開発事業史』(昭和35年)によると、このダムは3つの目的によって造られた。
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・計画洪水量2500m3/s のうち1000m3/sを調節して、伊勢市を中心とする下流域の水害を軽減する。 ・伊勢市を中心とする下流域の下市町村4900haの耕地に対し、灌漑用水をダムから、供給する。灌漑期間中は 750万m3の水が補給される。 ・宮川第一発電所、第二発電所、宮川発電所で合計約5万4300KWの電力を供給する。
宮川ダムの諸元は堤高88.5m、堤頂長 231m、堤体積38.8万m3、総貯水容量7051万m3、有効貯水容量5650万m3、型式は重力式コンクリートダムで、起業者は三重県、施工者は西松建設(株)、事業費26.5億円を要した。 前掲書『宮川総合開発事業史』において、田中覚三重県知事は、宮川ダム建設による治水と利水効果の他に、
かって、県南部奥地の交通路はまことに脆弱なものであったが、諸工事関連として開発された道路網は、一般交通は勿論、物資の輸送にも益するところ甚だ大である。
そして、
この開発事業によって水没者の方々に感謝し、なお、不幸にも殉職された方々の冥福を心から祈っている。
と、述べている。
宮川ダム完成後宮川総合開発事業は、昭和36年に宮川第三発電所(出力1万2000KW)、41年農業用水(関連する県営及び団体営事業の完成57年)、42年工業用水、発電を目的とした三瀬谷ダムが各々完成した。 この開発事業は、戦後の三重県の経済発展に大いに寄与することになった。
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6.蓮ダム(櫛田川)の建設
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櫛田川は、その源を奈良県境台高山脈高見山(標高1249m)に発し、蓮川、左奈川などを合流し、JR紀勢本線の鉄橋の下で南勢平野に出る。ここから祓川を分派し、本川は松阪市東北方で伊勢湾に注ぐ。幹線流路延長87km、流域面積 461km2の一級河川である。流域の年平均的降雨量は約2500mm、年平均総流出量は約8億m3で主に農業用水として利用され、かんがい面積は4800haである。櫛田川水系の地質は中央構造線が、紀の川、櫛田川、二見を結ぶ線で走っ
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蓮ダムは、この櫛田川左支川蓮川の三重県飯南部飯高町森地点に平成3年に完成した。建設省中部地方建設局蓮ダム工事事務所編・発行『蓮ダム工事誌』(平成5年)によると、蓮ダムは次の4つの目的をもって築造された。
・蓮ダムの建設される地点における計画高水1700m3/s のうち 700m3/s の洪水調節を行う。 ・ダム下流の既得用水に対する補給等、流水の正常な機能の維持と増進を図る。 ・三重県に対し、津留地点において、1日最大17万2800m3の水道用水の取水を可能ならしめる。 ・蓮ダム建設に伴って新設される蓮発電所において最大出力4800KWの発電を行う。
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『蓮ダム工事誌』 |
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ダムの諸元は、堤高78m、堤頂長 280m、堤体積48.4万m3、総貯水容量3260万m3、有効貯水容量2940万m3、型式は重力式コンクリートダムで、起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は飛島建設(株)・大日本土木(株)共同企業体、事業費は 830億円を要した。なお、192戸が移転している。 蓮ダムは、昭和34年の伊勢湾台風の大災害を契機として計画され、昭和46年地形、地質のダム実施計画調査を開始して以来、20年の歳月を経て完成した。
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