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5.大谷池(大谷川)の建設

 愛媛県では大谷川という名の川は18もみられるが、この大谷川は上流端を伊予市上三谷建石にあって、八反地川を併合し、伊予灘に流出する延長8.39kmの二級河川である。 大谷池はこの大谷川に昭和20年3月、愛媛県営用排水改良事業として、伊予市南伊予地点に完成した。現在の諸元は堤高35.3m、堤頂長 164m、堤体積35.5万m3、総貯水容量 175.9万m3で型式はアース式である。

 伊豫郡大谷池土地改良区編・発行『大谷池 築造五拾周年記念誌』(平成6年)には、その構想から竣工までの経過、工事に貢献された人々のことが述べてある。大谷池の関係区域は南伊予、北伊予、郡中、松前町の一部であるが、毎年のように干害と水害に悩まされてきた。大正11年、大干ばつ、12年に大水害に見舞われ、昭和5年の干ばつは稲は枯死し、一望焼け野原のようであったという。南伊予村長武智惣五郎は私財を投入し、大谷池築造に取り組んだ。

 昭和6年伊予郡南伊予村3ケ町村用排水改良事業としてスタート、だが昭和9年室戸台風により仮締切り、床堀りなど基礎工事の流失埋没、また岩質がもろく、セメントグラウトの漏水防止に苦労、工作機械もなくほとんど人力施工、着工まもなく、日中、太平洋戦争に突入し、労務者と資金不足、そして昭和17年工事は愛媛県営事業に移行した。村民の奉仕的な作業が続き、述べ人数37万3000人を擁し、このような苦難を乗り越え昭和20年4月竣工式を迎えた。補償関係は水没家屋移転7戸、水没面積約16haである。
 だが残念なことは、この工事において、土砂運搬作業中崩壊してきた土砂の中に埋まり3人の尊い生命を亡くしたことである


『大谷池 築造五拾周年記念誌』

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