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◇ 12. 川谷ダム(相浦川)の建設

 相浦川はその源を長崎県佐世保市大字柚木に発し、大字柚木、大野を貫流して、相浦湾に注ぐ延長20q、流域面積66.9km2の河川である。相浦川は平均河床勾配44分の1の急流河川で、流域一帯は2,000oの降雨量があり、昭和23年9月西九州を襲ったアイオン台風の時には1時間88oの降雨量を示し、相浦川流域に多大な被害を及ぼした。

 このため昭和25年度において、相浦川上流河口より16q地点川谷に堤高18m、堤頂長110mの砂防ダムの認可となって工事を着手されたが、これを機会に佐世保市において最も不足していた水道用水として堤高46m、堤頂長179mに計画変更された。


 実は今回の川谷ダム工事の変更は3度目のことであった。
 第1回目は、昭和18年10月海軍により、軍港水道計画の一環として起工されたが、苛烈なる戦況に一部施工のまま中止された。
 第2回目は、昭和21年長崎米軍司令官による長崎県知事宛の貯水池築造の計画書により、特建工事を再開したが、昭和23年5月資材と資金の関係上再び中止された。
 昭和25年7月、砂防・洪水調節、水道用水、灌漑用水の補給の目的により、五ヵ年計画で再開された川谷ダムは、昭和29年政府の緊縮財政の方針に基づき、水道起債が思うに任せずに、工期が一ヵ年延び、昭和31年3月佐世保市大字柚木川谷地先に完成した。

 長崎県佐世保市編・発行「川谷ダム工事概要」(昭和31年)によれば、ダムの諸元は堤高46m、堤頂長178m、堤体積8.5万m3、総貯水容量172万m3、有効貯水容量165万m3、型式は溢流型重力式コンクリートダムである。総事業費は6.4億円を要し、その内訳は佐世保市水道費92.7%、長崎県砂防費7.3%であった。

 川谷ダムは4つの目的をもって築造された。
@ 水道用水として佐世保市に日量1万4,000m3を供給する。
A 砂防効果として30.6万m3の土砂を貯留する。
B ダム地点において洪水流量97m3/sのうち、46m3/sを放流し、51m3/sの洪水を調節する。
C 灌漑用水として夏期5月〜9月まで日量1万9,000m3を放流する。


「川谷ダム工事概要」
 ダム工事に従事した延労務者数は62万1,744人となっており、その内訳は坑夫3万5,492人、運転工1万7,230人、機械工1万998人、鳶工1万1,695人、大工7,501人、土工及び人夫51万8,614人等であり、当時のダム現場には多くの人達が働いていたことには驚嘆する。

 なお、この書では川谷ダムの技術面について、次の2点を挙げている。
@ 川谷ダムの基礎岩盤は硬質の玄武岩であり、非常に優れているが、噴出冷却の際に生じたと思われる亀裂が多く、さらに堰堤底面より約7m下に凝灰岩のポーラス層が4mの厚さで横たわっているため、設計では15mであったボーリングを、堰堤低部においては最高21m、平均15m以上で施工した。
A コンクリート打設については、セメントの硬化が4〜5時間で相当進むものであるから、1日8〜10時間にわたるコンクリート打設作業においては最も理想的な打設方法を採用した。また骨材の粒度の不均一、試験配合と現場配合とのギャップ、1リフト1.5mのコンクリートの圧力に対して安定であり、しかも最も経済的な型枠の組方等、細部にわたり技術面については細心の注意をはらった。



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