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◇ 13. 下の原ダム(小森川)の再開発

 小森川は佐世保市の南西部に位置し、その源を隠居岳および幕の頭に発し、三川内、早岐地区に流下し、早岐瀬戸に注ぐ延長12q、流域面積28.26km2の二級河川である。流域内には長崎県営江永(治水ダム)、佐世保市営下の原ダム(利水ダム)が造られている。

 小森川の水利用は古くから行われており、水田の灌漑用水として河川の随所に堰を設けて取水している。また、佐世保市の水道水源としても利用されている。流域の年平均降水量は2,030oである。
 佐世保市の水源は市内の既存6ダム(菰田ダム、相当ダム、転石ダム、山の田ダム、川谷ダム、下の原ダム)と河川からの表流水に依存しているが、安定取水施設公称能力日量7万7,000m3に対して、日最大給水量は10万m3を超えている実情にある。


 このため、暫定豊水水利権や旧海軍の設置した取水施設からの取水で不足分を補っており、不安定な状況にある。既存水源の脆弱さから、度々給水制限が実施され、不安定な水運用を強いられている。また、水需要は核家族や下水道の普及などによる一般家庭用水の増加に加え、大学の進出、ハウステンボス関連リゾート施設や米軍基地などの業務営業用水も増えている。




 このような状況から下の原ダムの再開発(嵩上げ)よって、開発水量は、現水利権量0.137m3/s(11,800m3/日)より3,000m3/日を増量させ、0.171m3/s(14,800m3/日)を取水することとなった。

 この嵩上げ工事については、佐世保市水道局編・発行「下の原ダム再開発工事誌」(平成19年)の書がある。5.9mの嵩上げの効果は、貯水量が1.7倍となり、新規の開発容量と渇水対策容量として、山の田ダムと転石ダムの貯水容量を合わせた量に相当する86万3,000m3の増量となる。

 再開発後の下の原ダムの諸元は堤高36.5m(30.6m)、堤頂長178m(169.5m)、堤体積7.51万m3(4.34万m3)、総貯水容量230万m3(143万m3)、有効貯水容量218.2万m3(131.9万m3)、型式重力式コンクリートダムである。起業者は佐世保市、施工者は鹿島建設、堀内組、高橋土木共同企業体で、事業費は48.7億円を要した。


「下の原ダム再開発工事誌」
 この工事誌の中で、吉村啓一佐世保市水道事業及び下水道事業管理者は、再開発の意義とその特徴について、次のように述べている。

「今回の下の原ダム再開発事業には大きな3つの特徴があります。ひとつは異常渇水時の緊急備蓄用として渇水対策用量を水利権として全国で初めて許可されたこと。また、既存施設を有効活用することで効率的な水開発となり、5.9mの嵩上げで既存ダムの1.7倍の貯水容量が確保できたこと。3つめとして、下の原ダムは市南部地区唯一つの水源であることから、貯水位の嵩上げ工事を行う必要があったということです。通常のダム建設工事と異なり、慎重かつ迅速な施工が要求されましたが、関係者の皆様方のご協力により、ダムが完成しております。
 リサイクル等の循環型社会の構築が求められている昨今の社会情勢の中、既存施設の有効活用がキーワードとして取り上げられていますが、このような様々な特徴をもつ下の原ダムの嵩上げ技術が工事誌に記録、保存されることにより、今後におけるダム再開発に少しでも役に立つことができればと考えております。
 平成19年、佐世保市は水道給水開始100周年を迎えます。この節目の年に、下の原ダムが新たな水道用水の確保とともに地域に愛されるダムとして生まれ変わりますことは次の100年につなげる大きな一歩となることを確信しております。」

 コンクリートの嵩上げ工事は、ダムの水を空にして行う方法が容易であるが、佐世保市の場合、貴重な水源を空にすることは出来なかった。水を貯めたまま行う条件で検討がなされた結果、下流側に新しいダムを打ち継ぐ施工が採用された。いかに佐世保市が水に苦労し、その水を一滴でも無駄にせずに、有効に市民のために利活用することを心掛けているかよく理解出来る。

 長崎市および佐世保市水道の始祖と言われている吉村長策博士は、昭和3年東京市の自宅で永眠。68歳であった。佐世保の海の見えるところに骨を埋めてほしいとの遺言によって、墓は佐世保市水道局の裏の西方寺、海の見える丘に建立された。


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