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ダム番号:2823
 
綾北ダム [宮崎県](あやきた)



ダム写真

(撮影:灰エース)
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どんなダム
 
日本初のコンジットゲートを備えたダム
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2門のコンジットゲートがあるが、これは日本で初めてのコンジットゲート。しかも、通常、アーチダムのコンジットにはバルブかローラーゲートが採用されるが、このダムにはラジアルゲートが設置されている。ゲートを出た水流がスキージャンプ式の台で飛び出して、空中で当たって減勢する。ごく珍しい。
[写真](撮影:夜雀)
テーマページ ダムインタビュー(55) 廣瀬利雄さんに聞く 「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」
ダムツーリング -火の国・九州-
このダムどんな人? ・・・ダムの擬人化イラスト集・・・
洪水吐き拾弐景 《第九景》 綾北ダム 〜高圧ラジアルゲートを有するアーチダム〜
このごろ wDNレポート(7)〜生きて・荒瀬ダム
左岸所在 宮崎県小林市須木下田字宇都1番131  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯32度05分54秒,東経131度08分34秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  古賀根橋(4km)  綾南(5km)  田代八重(5km)

河川 大淀川水系綾北川
目的/型式 FP/アーチ
堤高/堤頂長/堤体積 75.3m/190.3m/75千m3
流域面積/湛水面積 149.3km2 ( 直接:148.3km2 間接:1km2 ) /95ha
総貯水容量/有効貯水容量 21300千m3/18800千m3
ダム事業者 宮崎県
本体施工者 熊谷組
着手/竣工 1957/1960
ランダム情報 【ダムカード配布情報】2024.8.2現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.0
○綾北ダム管理所 9:00〜17:00(土・日・祝日含む)
ダムカード画像コレクション
綾北ダム Ver.1.0 (2015.04)
[協力:ジム二ストと西港のダム好き]
リンク Dam's room・綾北ダム
damsite・ダムデータ
Damstyle・綾北ダム
THE SIDE WAY・綾北ダム
ダム好きさん【綾北ダム】
雀の社会科見学帖・綾北ダム 見学 その1
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】流域面積[150.3→149.3]
【06当初→06最終】流域面積[149.3→150.3]
【06最終→07当初】左岸所在地[西諸県郡須木村柚園国有林内→小林市須木村柚園国有林内] 流域面積[150.3→149.3] 湛水面積[95→82]
【08最終→09当初】堤高[75.3→75]
【09当初→09最終】堤高[75→75.3]
【13最終→14当初】左岸所在地[小林市須木村柚園国有林内→小林市須木下田字宇都1番131] 湛水面積[82→95]

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ダムインタビュー(55)
廣瀬利雄さんに聞く
「なんとしても突破しようと強く想うことが出発点になる」

土木研究所で世界に類のない設計をする

中野: 建設省から土木研究所に行くことになってどんな研究をされていたのですか?

廣瀬: 土木研究所では、河川構造物研究室に配属になりました。


綾北ダム (撮影:夜雀)

中野: 河川構造物研究室というのは、その後ダム構造研究室と名前が変わっていったところですね。

廣瀬: ダム構造研究室の前の時代です。これは僕にとって幸いしたといっていいと思うのですが、当時は建設省でダムをやった先輩が余りいませんでした。僕は大学を卒業してまだ2年目でしたがダムの設計に関わることになったのです。その頃、宮崎県が綾北ダムを造るに時に、設計を土木研究所に頼みにきて、河川構造物研究室が引き受けました。そのとき、依頼先から君たちが設計したダムをその通りに造りますと。しかし一つ条件があると…。それはどういう条件ですかといったら、世界に類のない最先端のダムを設計してくれということでした。
2つのスキージャンプで放流する洪水吐きの設計

中野: かなり難しい宿題ですが、やり甲斐もありますね?

廣瀬: それで、当時まだ珍しい新アーチダムという、ごく堤体の薄いアーチダムの形式を考えて、僕は水関係の担当だったから、2つの洪水吐きから出た水流がスキージャンプで飛び出して空中で当たって減勢する斬新なコンセプトで設計しました。そうしたら本当にその通りに造ってくれました。これは実に嬉しかったです。他に似たもののない、目新しいダムとはどういうものがあるかといろいろ考えつつ、ちゃんと機能的に設計するということは結構大変でした。

中野: ダム造りに、ゆとりがある時代だったんですね。土木研究所時代はたくさんダムを見て歩いたりされたのですか。

廣瀬: 現場歩きは、2年先輩の飯田隆一さんとよく行きました。道路もまだ舗装されていない時代ですから車で行くのも大変で疲れ果て、帰りの汽車も満員なので出入り口のすぐそばの通路に座り込んで寝ていましたよ。

中野: 戦後の復興途中で、すごく大変だったと思いますが…。

廣瀬: そうした中で、東北では鎧畑ダムとか、ダムがいっぱい出来ていましたよ。

 ・・・→ 全文はこちら
(2015年7月作成)



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洪水吐き拾弐景
《第九景》 綾北ダム
〜高圧ラジアルゲートを有するアーチダム〜

解説:箱石 憲昭
写真:本誌編集部(撮影協力:小林土木事務所)

綾北ダムは、第八景で紹介した鳴子ダムに遅れること約3年、昭和35年度に完成したアーチダムである。当初は鳴子ダムと同様に、仮排水トンネルを利用したトンネル式洪水吐きと越流頂を組み合わせた洪水吐きが計画されていた。しかし、アーチダムの堤体に放流管を設置するため構造上の検討や、高圧ゲートの製作の可能性の検討を経て、越流頂と放流管を組み合わせた洪水吐きへと変更された。高圧ラジアルゲートの採用は、第参景で紹介した二瀬ダムとほぼ同時期に検討されている。設計水頭が二瀬ダムの約69mに対して綾北ダムでは約30mであり、本邦初の摺動式が採用された。高圧ラジアルゲートの下流には、水脈を拡散させて減勢効果を高めつつ、堤体から離れた位置に着水させるためのシュート台が採用されている。シュート台の形状検討を含めて、土木研究所で水理模型実験が行われた。

次に建設されたアーチダムである室牧ダムでは、荷重を分散させる高圧ローラゲートが採用され、綾北ダムは高圧ラジアルゲートを有する唯一のアーチダムとなった。また、アーチダムの減勢工の設計に関する水理模型実験が積み重ねられ、シュート台を省略した設計が行われるようになった。そのため、綾北ダムは、高圧ラジアルゲートとシュート台を有する一風変わった他に例を見ないアーチダムとなったのである。


(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(2017年3月作成)


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