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《耶馬渓ダムと平成大堰》



 耶馬渓ダムは山国川総合開発の一環として特定多目的ダム法に基づき山国川水系山移川の下毛郡耶馬渓町大字柿坂の地点に14年の歳月を要し、昭和60年3月に竣工した。この建設記録として建設省耶馬渓ダム工事事務所編・発行『耶馬渓ダム工事誌』(昭和60年
)、同『耶馬渓ダム建設工法誌』(昭和60年)が刊行された。
 このダムの位置づけについて「山国川の改修事業は昭和19年の大洪水を契機に昭和23年より直轄事業として下流部本川15.5Km、派川 1.4Kmの築堤、護岸工事を着手していたが、近年における出水の状況及び流域の開発発展に鑑み、抜本的に改修計画を見直した結果、上流ダムによる洪水調節を含めた治水計画が昭和43年に樹立された。また一方では深刻化している北部九洲の水不足及び大分県北部の工業の開発に対処するため水資源開発の必要性が唱えられていた」とある。

 さらに目的として
@耶馬渓ダム地点で最大流量 970m3/sのうち 710m3/sを貯水池に
貯留し、ダム放流 260m3/s以下の流量とする。これにより下流基準点「下唐原」での最大流量を4800m3/sから4300m3/s以下の流量に低減させ 500m3/sの効果をもたらす。
A山国川下流部の農業用水及び都市用水の安定を図る。
B北九州、京築及び中津市の水道用水として 0.916m3/sを新規に供給する。
C大分県の工業用水として、下唐原地点においての 0.684m3/sを新規に供給する。
Dダムからの利水施設を通過して放流される流量最大使用水量 5.0m3/sと有効落差(43.1m)を利用して、大分県において新たに最大出力1700Kwを耶馬渓発電所にて行う。
 


 
 ダムの諸元は堤高62m、堤頂長 313m、堤体積39.5万m3、総貯水容量2330万m3、重力式コンクリートダムで総事業費約 450億円である。起業者は建設省、施工者は大成建設(株)、梅林建設(株)である。補償については、用地取得面積 137.9ha、移転家屋71戸(75世帯)、公共補償、神社、祠10戸等となっており、昭和50年10月中津留、原井地区等に全世帯の移転が完了した。

 末廣孝義耶馬渓ダム工事事務所長は「ダム建設技術の面から見ますと着工に際し、技術力の確保に相当に苦労を払ったという経過もあり、この反省と50年代のダム技術の記録として、純粋なダム建設技術を工法という面から抽出し、取りまとめた」と述べ、その『耶馬渓ダム建設工法誌』は、ダム本体を含め、ダム用仮設備、放流設備、管理設備、工事用道路、付替道路試験湛水、調査施工関係者まで纏められており、貴重なる技術誌の書である。
 耶馬渓は日本三大奇岩名勝地妙義山(群馬県)、寒霞渓(香川県小豆島)の一つで江戸期の儒学者頼山陽がその絶景を賞讃した地であり、また文豪菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台でもある。そのため耶馬渓ダムはこの名勝地にふさわしく、周辺の水辺景観はよく整備されており、多くの観光客が訪れる。

   ◇
 


 
 昭和60年3月耶馬渓ダムが完成し、このダムによる開発された水を取水する平成大堰は山国川河口から約4Kmの左岸福岡県築上郡新吉富村大字垂水、右岸大分県中津市大字高瀬地点に、平成2年11月に竣工した。この建設記録として、建設省大分工事事務所、山国川ダム・堰統合管理事務所編・発行『平成大堰工事誌』(平成3年)が刊行された。
 この大堰建設の必要性について、「河口地点の市場堰はコンクリ−トの固定堰のため河道内で突出しており、洪水の流下の妨げとなっていることから鋼製のロ−ラゲ−トの可動堰に改築し、洪水時にゲ−トを引き上げることにより、洪水流下の増大を図り、洪水の安全度を向上させる」とある。

 堰は高さ3.15m、長さ 218.0mの可動堰で、補償については、用地取得面積 1.4ha、山国川漁業協同組合に係わる漁業補償が行われた。総事業費 108億円を要し、起業者は建設省、施工者は飛島建設(株)、梅林建設(株)である。

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