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5.飯梨川・静間川〜山佐ダム・三瓶ダムの建設

  


【飯梨川−山佐ダム】 
 飯梨川は島根県の東部に位置し、隣接する斐伊川と分水嶺をなす王峯山(標高 820m)に源を発し、北流しながら東比田川、宇波川、祖父谷川、山佐川を併合し、中海に注ぐ。流域面積 208km2、流路延長40kmの一級河川である。
 山佐川はこの飯梨川の支川で流域の大部分は山地で占めるが、山地独特の段々畑の農産物にとっては必要な河川である。流域面積56.8km2、流路延長16.3kmである。

 飯梨川は、たびたび洪水により被害を受けてきた。このため飯梨川総合開発事業の多目的ダムとして布部ダムが昭和42年に完成し、洪水調節を図り、発電を行い、松江市東出雲町、安来市に都市用水が供給されるようになった。
 布部ダム完成後は、さらに下流部に工業地帯の進出と住宅化が進み、このため治水の安定と都市用水の供給が必要となっていた。
 松江市は昭和48年6月20日から11月1日の 135日間、渇水に見舞われ、給水制限が続き、市民を悩ませた。このような状況から治水と利水の安定を図ることから、昭和55年山佐川の中流部広瀬町( 現・安来市)上山佐地内に山佐ダムが完成した。


『山佐ダム工事記録』

 この山佐ダムの建設記録については、島根県企業局開発課編・発行『山佐ダム工事記録』(昭和56年)、同『山佐ダムと広域水道』(昭和56年)の書がある。

 山佐ダムの諸元は、堤高56m、堤頂長 220m、総貯水容量 505万m3、型式重力式コンクリートダムで、その目的は、ダム地点の計画高水流量 260m3/sのうち 220m3/sの洪水調節を行い、松江、安来、東出雲町、八束地域に対し、今津地点において 0.448m3/sの水道用水を補給するものである。施工者は・熊谷組、五洋建設・共同企業体、事業費80億円である。補償関係は移転家屋21戸、用地取得面積42.9haとなっている。なお、山佐ダムの完成後、松江市地域においては、極端な給水制限は行われていない。

  


【静間川−三瓶ダム】 
 静間川は島根県のほぼ中央に位置し、その源を三瓶山(標高1126m)等に発し、北流し、広坂温泉を流れ、瓜坂で西流して、川合で忍原川を合わせ、大田市街地を貫流し、河口より 2.2kmで三瓶川を合流し、日本海へ注ぐ。
 三瓶川は静間川の支川であって、大田市街地はこの川の中流部に形成されている。かつて大田市大森町の石見銀山は天領として栄え、徳川幕府の経済を支えたところである。

 古くから三瓶川流域はたびたび氾濫を繰り返し、近年では昭和39年、40年、46年、47年、50年と連年のように被害を被った。特に50年7月の梅雨前線には多大な被害を受けた。
 このような社会的背景として昭和55年実施計画調査を開始して依頼、17年の歳月を経て、三瓶ダムは大田市三瓶町野城地先に完成した。


『三瓶ダム工事誌』

 この三瓶ダムの建設記録については、島根県編・発行『三瓶ダム工事誌』(平成9年)が刊行された。

 三瓶ダムの諸元は、堤高54.5m、堤頂長 140m、総貯水容量 712万m3、型式重力式コンクリートダムで、その目的はダム地点の計画高水流量 380m3/sのうち 320m3/sの洪水調節を行い、ダム地点下流の三瓶川沿川の既得用水の補給を図り、大田市に対しダム地点において水道用水として 0.174m3/sの取水を可能ならしめるものである。土嶋知己島根県土木部長は、三瓶ダム施工の技術について、『工事誌』に、
「このダムは、重力式コンクリートダムとして計画され、固定式タワ−クレ−ンによるコンクリートの運搬、コンクリート用骨材に購入骨材の使用、河床部から右岸部にかけての高透水ゾ−ンの基礎処理に対する施工、また、県内では、初のダム管理用水力発電の設置、併せて貯水池の水質保全のための噴水設備等を特色としています。」
と、述べている。

 施工者は青木建設(株)、(株)鴻池組、今岡工業(株)共同企業体。事業費 210.2億円である。補償関係は移転家屋18戸、用地取得面積71.9haとなっている。

 なお、三瓶ダムは大山隠岐国立公園三瓶山に隣接していることから、親水ゾ−ンをつくり、景観鑑賞ゾ−ンを設置し、環境に配慮している。さらにダム湖の活用や地域活性化を図るために、市民の意見を基に「さひめ湖」と命名された。さひめ湖まつり、植樹祭が積極的に行われ、上下流域の交流がなされている。

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